声の神に顔はいらない。

ファーストなサイコロ

133 舞台の上の世界

「おい、あれは本当にさっきの男か?」
「それは自分も驚いてる……」

 いや、自分もバッシュ・バレルも役者という生き物を多少はしってる部類だ。役者の人と直接会うこともあるし、一般人よりは役者という生き物を理解してると思う。だから役を演じてる時と本人が違うのはよくある事だ。そんなに驚く事ではないはずだ。ない筈なんだけど……なんかジュエル・ライハルトの場合は、本当に目の前に居るのに同一人物かと……マジで疑ってる。

 実は双子で、自分たちは別々のジュエル・ライハルトにあってるのでは? と疑いを持ってる。そのくらい違う。存在感、仕草、声の張り方。ジュエル・ライハルトの全てが圧倒的だ。舞台上で彼だけが、とても大きくみえる。釘付けになる。目を離せなくなる演技とはこういうことか……それを思いしる。

 勿論、彼以外の団員のレベルが低いわけじゃない。キレも派手さもジュエル・ライハルトに劣ってる訳じゃない。でも……なんだろうか、この圧倒的な存在感は。舞台の上でなら、誰よりも輝ける――その姿を目の当たりにしてる。

 ジュエル・ライハルトは舞台上で出突っ張りだ。舞台のはじめから、派手に登場したと思ったら、見事な歌声を披露してた。そして常にそのよく通る声が張られてる。この舞台を毎日やってるとしたらヤバい。てか普通に、二回公演だったような? 昼と夜とホームページにあった気がする。

 流石はアメリカ……舞台の演出とかがやけに派手だ。色々な光のエフェクト効果とかを使ったり、舞台が大きく動いて形が変わったりと何かと凄い。全てが高次元でマッチしてる。これがラスベガスで一流を張る劇場の仕掛け。そしてそれを存分に使いこなす、一流の劇団とかいうのなんだろう。

 それに話もとても面白かった。八つの人格を内包した主人公がそれぞれ別の女性に恋して、なんやかんや騒動が巻き起こる。元の人格はこんな自分の事をイヤだと思いつつ、世捨て人になろうとするが、他の人格がそれを許さない。
 最終的には良い案配で折り合いをつける話だが、何も解決してない様にも感じるが、ジュエル・ライハルトの演技のすごさに皆が納得してる。まあ実際、複数人格の話は本人が折り合いつけて行くしかないものだ。それで本人が前向きになっていってめでたしめでたしだ。

 周りは立ち上がり拍手喝采してる。この客は仕込み……な訳ないだろう。流石にそこまでするわけないし……

「おもしれえ、おもしれえじゃねーか!」

 バッシュ・バレルは周囲とは違って獲物を見つけた肉食獣の様な顔してる。どうやらジュエル・ライハルトに興味をもったようだ。けどそれは自分も同じだ。彼は凄い。凄い役者なのは間違いない。けど、それが自分のキャラ達に合ってるかはまた別だ。それに舞台では凄いが、それが映画となるとまた勝手が違ってくるだろう。映画は舞台上ほど、大袈裟な演技はしないし。
 
 ジュエル・ライハルトはこれで実力を示した形なんだろう。その印象はすこぶるいいが、それで全てを決めれる訳じゃない。でも拒否ったらあの大きな体を縮こませて落ち込むんだろうなって思うと……胸が痛む。なにせジュエル・ライハルトは自分的には大型犬だからだ。
 まあけど、今はこの素晴らしいエンターテインメントの余韻に浸っていよう。

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