命改変プログラム

ファーストなサイコロ

記憶の花

 声が聞こえる。水面を掻き乱すような騒々しい声だ。ジャバジャバと強引に水を掻いて……静かだった世界を乱してく。


(うるさい……うるさい……うるさい……)


 心でそう思いながら僕は自分と自分が重なってく様な感覚にもがいてた。体を必死に動かそうとしてるんだ。だけど、それに何も付いてきてくれない。何も見えないし、気持ちだけが先走る。そんな中、自分と言う心が、自分の体と繋がってく感覚を感じてたんだ。


(早く……早くしないとあいつ等が––あいつ等も消えてしまう)


 頭の中にさっきまでの事がぐちゃぐちゃに回ってる。自分は冷静でないと、わかってた。だけど、止まらない気持ちが……気持ちだけがあった。そしてその気持にようやく体が追いついてきた。ガチガチとした体。まるで自分の体じゃないかのように固く、壊れかけのブリキの玩具の様に錆びついたみたいに感じる。


「……ぁあ」


 漏れてきた声は、自分の声とは思えない感じに出馴れてない感じ。声帯を使う事は体が忘れてしまったみたい……でもそんなのどうでも良くて、久しぶりに絞りだす声のせいで痛いけど……それでも僕は獣の様に唸るんだ。
 そしてその唸りを糧に、自分のお粗末になった体を引っ張り起こしてどこに伸ばすかも分からない腕を動かす。


「あがあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 耳に響くひどい声。それと同時に、女性の悲鳴の様な声も聞こえた。急に開いた瞳から、真っ白な光が入ってくる。目が痛い。だけどそれもどうでもよくて、腕の後は足を動かそうと体を更に前へ……するとその時真っ白な視界から黒い影が幾つも伸びてきたのが見える。
 僕にはそれがあの黒い奴の腕に見えた。だけど避ける事も出来なくて、その黒い腕が強引に僕の体を掴んでくる。


「がぁ! なぁあああせええええええええええええええ!!」
「抑えろ!」
「早く鎮静剤を!!」


 絡み付いてくる腕を押しのけようと僕は必死に抵抗する。だけど次々にかぶさってくる腕に僕の意思は奪われてく。そして何か首にチクっとする感覚があったと思ったら、体から力が抜けていった。そして妙な眠気に襲われて、ようやく光に慣れてきて、その手の正体を見れる様になってきたのに……目の前に居るのは黒い肌をしたあの化け物じゃなく、人間だった。白衣を来た沢山の人達。もしかしてまだ僕はLROに居て、そしてここはブリームスなんでは––と一瞬思った。
 だって誰もが研究者っぽい格好をしてるんだ。機械もいっぱい見えた……そしたら……その可能性だって……


「ここは……ど……こ……」


 再び真っ暗に染まる視界の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえた。


「そろそろ目覚める頃だと思いましたよ。君の大切な子が犠牲に成ったのですからね」


 大切な……考える力がなくなってく。深い深い水の中へと飲み込まれてくように、僕の意識は深淵へと沈んでく。




「スオウく〜〜〜〜ん! あ〜〜〜そ〜〜〜ぼ〜〜〜! お〜〜〜〜い、聞いてる〜〜〜? あ〜〜〜そ〜〜〜ぼ〜〜〜!」


 高い窓が一つだけ見える薄暗い部屋で、最近の眠りを妨げる声はいつだってこれだった。初めて日鞠と会った日、帰る方向が同じでおかしいな……と思ってたら、なんと僕達の家は隣同士だったのだ。
 日鞠の奴はすっごく驚いてた。でもそれは無理もない。だって今の今まで、僕は外の世界に足を踏み出した事なんか無かったんだから。だからきっと、この存在なんて両親の他には知られてなかっただろう。
 だからちょっとは気味悪がってもおかしくはない筈なのに……あの娘と来たら––


「すっごいね! すっごく嬉しいよ! だってだって、こんなに近かったら毎日一緒に遊べるね!」


 そう言って見せた屈託のない笑顔は、僕が思ってた反応とは明らかに違って……


(こいつ宇宙人?)


 とか思ったんだ。だってそんな嬉しそうな顔をする奴は居なかった。僕に向けられる視線はそんな優しいものじゃないから……だから……あいつは宇宙人なんだ。


 そんな宇宙人が今日も来て僕を呼んでる。あれから三日経つのに一向に諦める気配がない。普通は……三日も顔見なかったら忘れたりするものじゃないだろうか? 大人ならまだしも、彼女も子供だ。興味なんて簡単に薄れる筈だろうに……どうして毎日毎日叫ぶんだろう。少しはご近所の迷惑とか考えないのか? まあそこら辺は僕もよくわかってないけど……だって近所なんて感覚は知らない。一つの家は別の世界だ。
 外は宇宙と同じだ。宇宙もよくわからないけど、取り敢えず、自分が知ってる外の事なんかなにもない。ずっとずっと、僕はあの小窓を見上げて生きてきたから。
 だからあの娘の行動もよくわからない。応えたいけど……どう応えていいかも僕には分からない。そもそもここからは出られないんだけど……たった一つの出入り口には鍵が何錠にも掛けられてる。
 あそこが僕の意思で開くことはないんだ。食事も排泄も、自由には出来ない。自由なんて知らない。生まれた時から管理される……僕は多分、あの娘とは違う位置にいるモルモットなんだ。よく言われるしね。
 意味は知らないけど……よく言われる。


『望んで生まれた訳じゃないのなら、せめて私達の役に立ちなさい』


––て。それが嫌なワケじゃない。親の言うことを聞くのは普通らしいから。それに僕にとってはここが全てだ。だからこれも普通でしかない。管理されて、躾けられて……それが子供と親の関係なんだって……だけど––


「あの娘は僕とは違ったな」


 言うなればきっと自由。そんな気がした。ソレも言葉だけで意味とかはよくわかってないけど、彼女は宇宙の人なんだ。僕があの小さな窓から時々見える宇宙に生きる人。僕はこの部屋で……家で……同じ顔しか知らない。それに同じ服しか着ない。
 だけど窓のから見える世界は色々と移り変わってく。世界が着替えをしてるみたいに。それが自由なのかなって……勝手に思ってた。そして最近毎日来るあの娘も毎日違うもの着てるから……自由なんだなって。
 あの娘は気付いてないけど、地面と接した場所に設置された窓だから、思いっきり下がって必死に背伸びすればなんとかその姿をこっちは確認する事が出来る。葉っぱとか邪魔でちょっと見にくいけど、目は良い方だと思うから僕には見える。
 てか、そう言うのを鍛える為の変な訓練……てか実験をずっとされてるから、僕にはあの娘が見えるんだ。なんの意味があるんだろう––と思ってたけど、こうやって使える場面があるのならやっぱり良かったんだなって思う。


「ス〜オ〜ウ〜〜!!」


 大きな声を出し続けてたからか、ケホケホと咳き込む日鞠。そしてようやく今日も家の前から居なくなった。だけどなんでだろう……また明日も来てくれるんだろうな––って僕は勝手に思ってる。そして案の定、次の日もその次の日も日鞠は来た。風が強い日も雨が降ってたって、毎日誘いに来るんだからどんどんこっちが悪い気してくるよね。最初はちょっとした興味しか無かったけど、彼女が居るあの世界が、羨ましく思えてくる。
 だから僕もいつの間にか声を出してた。最初は小さく「ここ」と呟くだけだったけど、ちょっとずつ声を大きくしていくって事をわかり出す。


「ここ……ここだよ。ここに……ここだよ! ……ここ!!」


 だけど届かない。それもその筈この部屋の音は外に漏れないんだ。そういう造りだって言ってた。でもそれは全部が閉まってる時の筈。だから僕は椅子や箱を積み重ねて、窓への道を作ったんだ。天井付近の小さな横長のマド。それは換気の為に僅かだけど、開閉出来る。
 数えるほどしか無いけど、それを僕は見たことある。あの窓を開ければきっと……僕はそう思って不安定な土台をよじ登ろうとする。
 だけど––––ドベッッベチャガッコンと、尽く失敗してしまう。どう足掻いてもあの高さに届きそうもない。


「そうだ」


 ピコンと頭に電球が灯る。思い出した映像では確か親も棒みたいなのを使ってた筈だ。それを探す。すると壁に掛けられてる棒を発見。でもそれも結構な高さに……背伸びした程度じゃ届かない。だけど窓よりは断然低い。
 たぶん大人だと届くんだろう。だからもう一度土台を作って慎重に登った。そして背伸びして手を伸ばす。


「あと……少し……」


体を猫みたいに伸ばす。伸ばす……でもふと「何やってるんだろう」って思ったりもする。どうせここから出れる訳でもないのに。自分にはあの宇宙に出れたって、自由に飛ぶ翼も権利もないんだ。


「スオウ〜! スオウスオウスオウスオウスオウ〜〜〜〜〜!!」
「んん〜〜〜〜〜!」


 響いてきた声に何故か奮い立つ感じがする。僕はもう一度手を伸ばし始める。あの日の事が蘇ったんだ。初めて外に出た日。陽だまりの様な娘に出会った。きっと自分は、もう一度あの娘に会いたいと思ってる。
 だからきっとこの体が動くんだ。長い髪がうっとおしい……何も言わなかったからずっと伸ばしっぱなしに成ってるけど、今度髪の事を言ってみよう思った。そしてもう一度会った時にびっくりさせてやるんだ。
 そんな思いが僕の中で沸き立ってた。そしてようやく僕の手が棒に掛かった時だった。


––ガチャ––


 と鍵が開けられる音が響く。そして続け様にドアノブが回った。僕はあまりの出来事に固まってしまう。本当は慌てたりするものなのかもしれないけど……大体両親の前では固まってるから、その様になってしまう。
 人形の様に感情を表さない……だって僕はモルモットだから。開いたドアから現れたのはお母さん……と呼べる人。その人は僕の行動なんてどうでもいいように一瞥して窓を見上げた。


「まったく五月蝿いガキね。解剖してやろうかしら」
「!! ––だっうわっ!?」


 その言葉を聞いた瞬間、初めて考えるよりも先に体が動こうとした。だけどバランスの悪い場所に居たから体を少し動かしただけでその場所が崩れてしまった。地面に転がる僕の側にその人の脚が聳え立つ。そしてその頂上から声が聞こえてきた。


「何か言おうとしたわね。何かしら?」
「……あっ」


 唇が震える。そして体も震え出す。今たぶん僕はとんでもない事を言おうとした。それを自覚すると、途端に体が震え上がる。どんな事でだって……逆らったことなんかないのに……何で今僕はそれを言おうとしたんだろう。


「どうしたの? 言ってみなさいよ」
「あっ……う……ん」


 言えない。言えるわけない。そう思ってると今度はなんとピンポーンという音が家中に響く。しかも連続で……何度も何度もだ。その音を聞いてると何でだかちょっとだけ震えが止まった気がした。あの娘はまだ僕を求めてくれてる。そう思える音だ。
 それなら……こっちだって、勇気って奴を出さないと。


「あ……あの娘は……友達……なんだ」
「へぇ〜あ〜そう。ふ〜ん、友達ねぇ。この世に友達なんて存在しないわ。あれはただ面白がってるだけよ」
「そんな……事……ない」


 ––と思う。わかんないけど……わかんないけど、友達だって……言ってくれたんだ。僕は初めてその人の目を見つめる。すると一瞬眼球が開いた様に見えた。だけど直ぐに怖い色をその瞳に表した。


「そんな目、いつの間にするようになったのかしら?」
「うぐっ!」


 いきなり胸倉を掴まれて持ち上げられた。苦しい……


「私に逆らう気?」
「そう……じゃないけど……でも……だけどあの娘は……キラキラしてたから……」
「キラキラ? ––ふっ」


  その人が軽く笑ったと思ったら勢い良く振り回されて、僕は扉の外の壁へぶつけられた。背中から空気が押し出されて、ゲホケホと咳き込む。その人の方を見ると、タバコを取り出して火をつけて、煙を吹き出してた。


「行きなさいよ。会いたいんでしょ?」
「いいの?」


 その言葉予想外過ぎて、僕は思わず聞き返してた。すると更にその人は言う。


「良いも何も、これ以上あの糞ガキに騒がれると面倒なのよ。居るはずの子供を居ないと偽ってたなんて噂が立ち始めてるし、虐待を疑われても厄介だからね。こっちは我が子で実験してるだけなのに、世間の奴等はそれを分かろうとしない朴念仁しかいないわ。
 それに……そろそろ第三フェーズに入る頃合いだしね」


 何を言ってるのか殆ど僕には分からなかった。だけど最後に「行く気がないの?」と睨まられたから、僕は急いで走りだした。暗い家を走って、階段を上がって玄関に出て、裸足のままの扉を開ける。
 すると眩しくて暖かな陽射しが僕の体を包み込んできた。そしてその光の向こうには彼女の姿がある。


「あぁ! スオウだ!! ようやく出たね。一緒に遊ぼ!!」


 差し出された手が、向けられた笑顔が、心を溶かしてく様な気がした。僕は自然と目から水が溢れてた。


「どっ、どうしたの? うるさかったかな?」


 慌てながらそう言う彼女。その言葉に僕はうつむいて顔を頭を振るう。そして一歩踏み出して、同じくらいの彼女に抱きついた。


「ねえ日鞠……僕達……友達だよね?」
「……うん! 日鞠とスオウは初めて会った時から友達だよ!」


 ハッキリと聞こえるその声が嬉しかった。いっぱいいっぱい涙が溢れ出しそうになる。だけどそれをこらえて僕は言った。


「遊びって、何やるの?」
「簡単だよ! 楽しいことだよ!!」


 よく分かんないけど、それでいっかと思えた。だから僕達は二人で駆け出した、未知の宇宙だけど、初めて見た時よりも日鞠と一緒に見る宇宙はキラキラして見える。きっとこいつの光が周りをもっと照らしてるんだなって……僕はそう思ったんだ。
 この娘といたらきっといつまでだって世界は輝いて見えると感じた。そして実際そうだった筈だ。白光の中へ駈け出したあの日は、これまでもずっと続いてた筈だから––




「ん……」


 重い瞼が僅かに開く。どうやら眠らされて夢を見てたようだ。懐かしい夢。どうして今頃あの頃の夢なんか……僕は取り敢えず体を起こそうとする。––と、体が拘束されてる事に気付いた。全然動かん。
 するとガサゴソとする音がすぐ近くで聞こえた。そちらに首を向けると、黒い巨体がそこには存在してた。それはまるで熊のような……


「よかった。タイミング良く目が覚めたようですね」
「熊がしゃべっ––うぐっ!?」


 声を出した瞬間そのグローブの様な手で顔の半分を覆われた。なんだ? 一体どうなってんだ? 喰われるのか? 僕喰われちゃうのか? そんな事を考えてると、その黒い熊の手に鈍く光るナイフの様な物が見えた。


「静かに。動かないでくださいね。一瞬で終わりますから」


 それはもうダメだ……と思える台詞。拘束され、しかもこの抑えられてる手から見て怪力の持ち主なのは明白……逃げられない……そう僕は悟ったよ。本当に一瞬で終わるだろう。今の状態なら、一瞬で命を刈り取るなんて簡単だ。ギシシとベッドが軋む音が聞こえる。どこか分からない静かなこの場所で、僕は何も出来ず、誰にも知られずにここで終わる。その恐怖に僕は目を閉じるしか出来ない。

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