君の世界

椎名

◆8


 夕食を終えて━━この世界での夕食は陽が落ちるのと同時のようだ。当然、就寝時間も早い━━アーサー達と分かれると、謝礼を使って取った宿室のベッドへ背中から倒れた。

 科学の無い世界。剣と魔法。魔物。━━異世界。
 自分の身に起きたことを反芻させるように、うつらうつらと天井を眺めてみる。
 木の天井だ。コンクリートはあるのだろうか。地面は舗装されていた。煉瓦や硝子はあった。電池はない。馬車は馬が引く。明かりは蝋燭だ。━━どこまで、俺に“わかる”だろうか。
 藁が詰められているらしい枕を抱き締めて寝返りを打つ。

 そこに、『声』が聞こえた。


『お休み中のところごめんね、忍くん』

「あ、神様」


 今は部屋に一人きりなので、安心して声へと答えられる。


『えへへ……はい、神様です』


 やっぱり神様と呼ばれることには慣れてないらしく、神様は声だけで照れていた。かわいい。
 神様との会話の時間は、寂しさがなくなっていい。かわいい神様にぐちゃぐちゃの心と頭が癒される。

 ━━そう、和んでいた時間は、次の言葉によって奇妙な緊張へと変わった。


『━━忍くん、今はコイルしてないの?』


 ……コイル?


『無いならせめてナンバーだけでもわからないかな。こっちから掛けてみるから。そうしたら、ご家族が代わりに出てくれるかも知れないし。何か手懸かりになるかもしれない』


 神様は当然のことのように続けるが、そもそもコイルがわからない。
 神様の口調では、なんでか俺がそのコイルとやらを持っている前提みたいだ。


「あの、さ……神様」

『うん』

「……コイルって、なに?」

『へ。』


 神様が固まった。声だけなのにわかりやすい。
 神様は話し方は淡々としているけれど、その実とても感情豊かなのだとわかった。
 ……神様、もし顔が見えたなら、きっと今ポカンとしているんだろうな。


『……えーっと、コイル、だよ? ほら、外に出る時とかにするでしょ? 腕にさ』

「……腕にするのは、腕時計じゃねぇ?」

『うでどけい……』


 神様が子供みたいに繰り返す。呆気に取られている、といった様子だった。
 思うに、コイルとは神様の世界の物なんだと思う。神様は俺の世界にだって詳しい物知りだけど、だからこそ、相手が何を知っていて何を知らないのか、予測出来ないのかもしれない。


『ま、待ってね。仮にコイルを持ってないんだとして、じゃあ誰かと連絡を取りたい時とかはどうするの?』


 ……コイルとは、連絡手段に使用する物なのか。腕に着けると言っていたし、腕時計型携帯電話……みたいなものかな。
 だとすれば、俺が知る中で一番近いのはスマートフォンだ。


「スマホがあればなんとかなると思うけど……」

『スマホ!』


 声が跳ね上がった。スマホのことも知っているらしい。やっぱり神様だ。


『……うん、なるほど。忍くんは普段の連絡にはスマホを使うんだね。ちなみに、今は持ってる?』

「いや……元の世界の物はスーツだけだ」


 重たい通勤用鞄も、ポケットに入れていたスマホも、此方の世界で目覚めてからはなくなっていた。文字通り、身、ひとつだ。


『そっか……。ん、わかった。ありがとう。ちょっとこっちで調べてみるから、また何かあったら連絡するね』

「あ……」


 神様の会話を打ち切る合図に、咄嗟に縋るような声が出てしまった。
 案の定、神様はそれを捕らえて、優しい声で返してくれる。


『どうしたの?』

「……いや、なんでもない」


 さびしい。

 そう、本音がこぼれ落ちてしまいそうになって、唇を噛むことで阻止する。
 卑怯だ。こんな、同情を誘うような真似をして。優しい神様が、気にしない筈がないのに。
 きっと、神様はすべてを見ているだろうから、枕に顔を埋めて情けないそれを隠す。

 神様は優しい。でも、神様だ。この世界の神様だ。神様は、みんなの神様なんだ。
 俺ばかりが縋って、俺ばかり見てもらう訳には、いかないんだ。


『……そう。何かあったら、すぐ言うんだよ。席を外してる時は━━その、ごめんだけど、でも、できる限り君に応えたいから』

「神様……」


 やっぱり優しい神様は、そんな風に、俺を気遣ってくれる。

 本当は、言いたいこと、沢山ある。
 席外すってなんだよ、とか。もっと話してくれよ、とか。

 ━━でも。できない。


「うん。そうする」


 枕から顔を上げて、ほんの少し笑った。
 神様との会話━━いや、感覚的には通話だろうか━━が切れて、再び枕へと項垂れた。

 寂しい。
 子供みたいな感情が暴れる。誰かと話せば癒されると思っていた。アーサーもニーナも優しくて、彼等との時間は間違いなく楽しかった。宿主も愉快な人で、見るからに怪しい俺にも周りの客と変わらない態度で接してくれた。みんな、善い人達だった。

 ━━そしてそれは、孤独感を増幅させた。

 誰かに会うたび、話している最中だって、回りの早い毒みたいな“寂しい”は俺を蝕む。
 制御の仕方がわからなかった。━━だから、黙秘するしかなかった。
 神様と会話している時はこの発作に襲われない。きっと、神様には“通じる”という安心感があるからなのだと思う。神様は、━━俺を知っている。


「……あれ」


 いつの間にか少し寝ていた。天井が生理現象で濡れた眼から歪んで映る。感覚としてはただの転た寝だ。時間をみても、10分も満たないかもしれない。


「あー……」


 起き上がって、頭を揺すってみる。端からは病人か、二日酔いの人間のように見えたかもしれない。
 だから。


『━━大丈夫か?』


「━━━━」


 額へ手を持ち上げたまま、固まった。
 声だった。けれど、━━それは俺の知る『声』ではなかった。


『頭が痛いなら、もう一度寝るのをおすすめするが』

「だ、れ」

『あー……俺としては名乗ってもいいんだが、あれが名乗ってないからな……。そうだな。君が神様と呼んでいる男の上司だ』


 ……神様、の、上司?


『急に悪いな。どうか構えないでもらえるとありがたい。どうも俺は初対面の人間には萎縮されるようで』


 神様よりも深くゆったりとしたテノールが脳に響く。

 神様に……上下関係ってあるんだ……。
 いや、でも、よくよく考えれば天使にも階級があるそうだし、日本の八百万の神だってランクみたいなものが存在するとどこかで小耳に挟んだ気がする。
 神様に上司がいてもおかしくはない、か? もしかして神様は新米神様だったとか。
 ああ、それは━━かわいいな。


『……顔色が良くなってきたな』

「あ……」

『いい、楽にしててくれ。……少し、君と話したいんだが、構わないか?』


 男の声に慌てて姿勢を正すも、それを優しく咎められる。
 神様って、優しい人たちばかりなんだな。あ、人ではないか。


「はい、どうぞ」

『言葉遣いも普通でいい。あれとは、普通に話しているだろ?』

「あ、はい……う、ん」


 なんだろう……神様のことを軽く見ていた訳では決してないけれど、この声の主に気軽にしろと言われても難しいものがある。
 気安さが違うのだろうか。情報は声だけだというのに。


『君は……『神様』のことを、どう思っているだろうか』

「神様を……?」

『ああ。……『神様』は、随分と君のことを気にかけている。━━俺は、それを快く思っていない』

「━━━━」


 ああ、そうか。


「━━牽制、ですね」

『ああ。……すまない。君にとっては気持ちのいい話ではないだろう』


 声は淡々と━━そして誠実に、謝った。


「心配……なんですね。神様のこと」


 ああ。と彼は迷いなく頷いた。


『心配している。君が『神様』をどう認識しているのかはわからないが、あれにもあれの生活がある。今あれは、それのほぼを君を見守るのに使っているし、これからもそうするつもりだ。それでは体が持たないだろうに、あれはすぐに無理をする』


 声は、神様に対する慈愛で溢れていた。
 ……本当に、好きなんだろうな。神様のこと。
 だから、神様を守るために━━こうして悪役を買って出ている。


『君が今の現状に苦しんで、そして君にとって頼れるものが『神様』しかないこともわかっている。それでも、俺の優先順位はあれが上だ。あれが君に付きっきりになって自分を蔑ろにするようなことがあれば、俺は殴ってでも君から離す。今一番『神様』を求めているだろう君を切り捨てる。━━それを、理解していてほしい』


 震えそうになる声を意地だけで抑えて、はい、と答える。


「神様、優しいですもんね。俺も、……必要以上に神様を頼ったり、しません」


 嫌だった。なにが「はい」だ。そう、頭の中で汚くてどろどろした俺が吐き捨てる。いいこちゃんしてんじゃねえ。本当は、何よりも自分を優先してほしいくせに。
 ━━それが本音で、汚い俺の方が真実なのだ。

 けれど、だからこそ、抑えなければならない。本音を理解しているからこそ、そんな言葉は吐けない。

 この優しい神様たちを━━これ以上困らせたくない。

 本音を嫌悪するこの気持ちもまた、本音なのだから。


「安心してください。俺は━━」

『あ、いや。それは全然構わないんだが』

「は?」


 無意識に握り締めていた拳から、呆気なく力が抜けた。


『むしろどんどん頼ってやってくれ。その方が喜ぶ。あれは世話を焼きたがるタイプの末っ子気質だからな。たぶん君のことを弟のように思ってるんだと思うぞ?』

「お、おとうと……」


 思わず呆けてしまった。
 えっと、ええっと……ちょっと待ってくれ、今なんの話してたんだっけ?


『気を遣われる方が気にする。だから本音で当たってくれて構わない。でも、あれが背負いきれなくなったその時は、俺が無理やり引っ剥がす。それはあれの本意にないものだから━━恨む時は、俺を恨んでくれ。遠慮はいらない』


 ━━嗚呼。なんだ。彼は、ただそれだけの為に。


「本当に、優しいですね」

『━━そう、見せているだけだ。自分としては狡猾な方だと思ってるんだがな。すまん、あれが帰ってきた。今から食事なんだ。『神様』の手料理だぞ。くくっ、羨ましいだろ』

「心の底から羨ましいです」


 神様たちが見ているだろうことを想像しながら、口を尖らせる。


『━━その調子だ』


 声は、子供を誉める父親のようにどこまでも優しかった。

 少しの間を置いて、声が神様の『声』に代わる。


『ごめんね、忍くん! 先輩の相手しててくれてありがとう。変なこと言うなってちゃんと言っておくから!』


 慌てた様子の神様に、らしすぎて、さっきまで心臓が痛くて仕方なかったのに今は笑いが止まらない。


「あははっ、大丈夫だよ。楽しかった。俺、今すっげぇ暇だったからさ。……だから、神様たちさえよかったら、また、俺と話してほしい」


 また、少しの間が空く。これはわかる。神様が戸惑っている時の間だ。


『う、うん。わかった。……忍くん、なんかすっきりした?』


 すっきり。ああ、そうなのかも。


「おかげさまで。……お礼、言っておいて。あと、俺も遠慮しないから、遠慮しないでください、て」

『……ん、承りました。ちょっとだけご飯食べてくるね。今日はもう何も起こらない筈だけど━━すぐ戻ってくるから』

「ゆっくりでいいよ。……待ってる」


 神様からの応答がなくなる。
 新発見ばかりだった。神様も、人間みたいな生活をするんだな。上司がいるし、上司ってことは仕事があるんだろうか。食事だってするなら、俺達みたいに夜には寝るのかもしれない。━━本当に、人間みたいだ。

 けれど、やっぱり神様だ。
 “今日はもう何も起こらない”━━未来のことがわかるのは、神様だけだ。


「遠慮するな、か」


 ああは言ってみたものの、すぐに無防備になれる程俺は単純にはできていなかった。
 きっと、これからも意地を張るし、強がるし、自分の嫌な部分を認めたがらない。━━いいや、違うな。認めた上で、それを消化しているつもりになって、そんな自分に酔うんだ。俺は、自分の悪いところを冷静に受け止められる人間なんだ━━て。自己評価を気取って自己嫌悪する。それを表に見せて裏側を見抜かれたくなくて、黙秘する。
 そうして、ネガティブのループから抜け出せない。

 けれども、神様には神様の事情がある。それがわかっただけでも━━不安で膿んでいた心の部分は取り除かれた。
 きっと、もう、見捨てられただのなんだのという情けない泣き言は、洩らさない。

 ……なんたって、神様の弟分、らしいですから。



 ◆ ◆ ◆



 ああ、また眠っていた。
 明かりがカンテラの中の灯だけという頼りない照明の中でパチパチと目を瞬かせる。
 存外、町が眠ることはなかった。昼間は閑散としている印象を受けたこの『はじまりの町』も、夜には陽気な酒宴が行われ宿屋や酒屋の明かりが暗い夜道に隙間明かりを分けていた。窓からそれを眺めて、ラッチ型の鍵を外す。外開きの窓を開いて、夜風を招き入れた。

 神様に申し訳ないことをしたな。
 すぐ戻ると言っていた彼の声を思い出す。


「神様」


 呟いてみる。返事はない。きっと神様も寝てしまったのだろう。━━夜は、神様の加護がない時間なのか。

 世界が、神から放り出される時間。


「━━へえ、アンタ、教徒かなんか?」


 窓の外から声がした。随分と近くだ。けれども━━ここは二階だ。


「えっ」


 思わず身を乗り出して見渡す。下、いない。左、いない。右、いない。上━━━━


「ふはっ、動物みてぇ」


 黒尽くめの男が、屋根に胡座を掻いて屈むようにして此方を見ていた。


「なっ……バカ! 落ちるぞ!」


 とんでもなく危険な体勢に、片開きだった窓を全開にして叫ぶ。男は、ふと小首を傾げると「いいの?」と呟いた。


「そこ、入っていいの?」

「なんでもいいから降りてこい!」


 こんな長閑な町で転落死体なんて見たくない。


「ふーん。……ま、許可はもらったし」


 窓を手で掴み窓枠へと足を掛けながら、男が猫のようにスルリと入り込む。見ている心地としては冷や汗ものだったが、動き自体は随分と慣れた様だった。
 トンッと黒いブーツが軽々しい音を立てて、男が当然のように窓を閉める。


「おい?」

「ぶよーじん、だぜ?」


 鍵を閉めた腕がそのまま、伸びて。


「こんな簡単に男を招き入れちゃ」


 引いて、放して。投げるように身はベッドへと巻き戻っていた。 


「な、に」

「オレは悪い奴じゃねーけど、入った瞬間こーやって押し倒す悪い奴、いるから」


 只でさえ弱かった照明が男の背によって遮られる。心臓が懸命に警告していた。壊れそうな勢いで警鐘を鳴らしていた。ああ、うるさい。


「悪い奴じゃねぇか」

「アンタ限定、悪い奴じゃねぇよ?」

「……意味、わかんねえ」


 では、その限定の相手を押し倒しているこの状況はなんなんだ。


「実践しただけ。アンタが望むなら続きもするけど?」

「望まねぇよ!!」


 足を振り上げる。男は、やっぱり猫のような動きで避けた。
 奇妙な男だった。黒髪。黒目。黒い服。黒いズボン。黒い羽織。黒い靴。ここまで黒で揃えられると、たとえそれが彼の趣味からきてるものだとしても不審に見えて仕方がない。


「お前……なんなんだ」


 逃げるでもなくぼう、と突っ立っている男へと警戒のまま睥睨する。男は、そんな俺の視線を受け止めると━━無垢な子供のように笑った。


「アンタが決めてよ」

「は?」

「オレ、名前ねーから。アンタが決めて?」


 がっくりと肩が落ちる。こんな特殊な会話を何故、日に二度もせねばならないのか。


「またそれかよ……お前も記憶がないとか言い出す口か?」

「んん? んー、記憶っつか━━過去自体ねぇけど」

「は?」


 誰と会っても困惑の顔を晒してきた俺だったが、彼に程「は?」を繰り返す会話はなかった。


「記憶喪失じゃなくて?」

「そう。その記憶ってやつ自体が存在しない。だから名前もない。ね? アンタが名付けて?」

「…………」


 頭が痛い。アーサーにも中々に手こずらされたが、それを遥かに上回っている。アーサーはまだ、天然と暴走が過ぎるだけで会話の余地はあったからな。
 記憶自体が無いってなんだ。どう見ても同い年くらいだってのに、ならコイツは今までどうやって生きてきたんだ。


「あーもー、じゃあクロ! 黒いからクロ! 嫌ならテキトーに自分で変更しろ! 俺にセンスを求めんな!」


 犬猫にでも付けるように叩き付けた。抵抗を表す為の冗談のつもりだった。
 ━━まさか、本気で頷くだなんて、思ってもいなかった。


「クロ、ね。そう呼んでくれるんだ? シノブ」

「……え、や、」

「うれしい。ほら、呼んでよ。オレのこと」

「ちょ、ちょっと待てよ。本当にクロでいい訳ないだろ。そんな、ペットみたいな」

「ん? オレはシノブが付けてくれたからクロがいい。ね、呼んで」


 猫みたいな男は仕草まで猫のようにしてすり寄ってきた。


「は、はあ? なんでそんな……俺達、初対面だよな?」

「うん。これが初めて」

「じゃあ……」


 再びベッドへと上がってきた男に、背が壁に付くまで下がる。シーツが手と足に絡まって波とシワを作っている。灰に浮かんだ陰影にゾクリと身が震える。男の目に敵意がないことが、尚更恐ろしかった。
 とうとう、目先にまで男が迫る。そして。


「…………?」


 男は、そっと俺の頭を撫でた。


「━━でも、シノブの味方だよ。シノブが、さびしいって言ってたから来た。━━これで、寂しくない?」


 壁を越えようとでもしていたのか。全体にべったりとくっついていた背が壁から離れた。
 男の胸元へと、抱き寄せられたのだ。


「な、に……してんだ」

「慰めてる」

「……なんで」

「シノブが寂しいって泣くから」

「…………」


 泣いてねぇよ。そう、普段なら喚く口すら、いつの間にか噤んでいた。
 例えばこれがアーサーだったなら、きっと俺は迷うことなく突き飛ばす。先刻にスキンシップが激しいと発覚したニーナだとしても、照れと慣れていない体温に止めてくれと懇願する。況してや、屋上に居座ってベッドの上にまで侵入してくるような不審者だ。
 それなのにどうして━━俺は抵抗できないんだ。


「心臓の音って、落ち着くだろ?」


 一層抱き締められて、ゆるりと後頭部を梳かれる。トクリトクリと、生きている音がする。衣服に浸透した体温が、さらに俺へと温度を伝えてくる。


「オレは、シノブの味方だよ。シノブだけの、味方だ」

「……わけわかんねえ」


 名前もなければ過去もないと言っていたのに。初対面のくせに。当然のように俺の名前を呼んで、俺の味方だと断言する。
 変な奴だ。今まで関わってきた変人達の中でも、トップに君臨するぐらい。一番接触したくない人種だ。後悔するタイプの出会いだ。

 でも。


 ━━……悪くない。


 ゆらゆらと揺れる視界から、再びの睡魔がやってきたのを悟った。
 男もそれを察したらしく、柔らかな声で俺の耳朶を擽った。


「……眠くなってきた?」


 コクリと頷く。ゆっくりと身が倒されていく。背を撫でていた手は頭だけに残って、前髪を目から優しく退けられる。


「これで、もう、眠れる筈だ。次は起きない。……大丈夫」


 魔法みたいに、瞼が視界を塞いでいく。こめかみから指の感触がなくなる。
 待って。待ってくれ。せめて。


「なあ……なあ、━━クロ」


 限界を訴える眼球を動かして、彼の背を追う。黒尽くめの男━━クロは、開いた窓の窓枠に足を掛けて、月夜を背に笑った。


「シノブ。━━呼んでね。おやすみ」


 視界は、今度こそ黒に包まれた。

 ……いなくなる瞬間まで、猫みたいな奴だ。

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コメント

  • 砂糖漬け

    すごく続きが気になります。一体パラレルワールドから来たなのかタイムトリップなのかもめっちゃ気になります。あと先輩めちゃくちゃカッコイイっす。

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