君の世界

椎名

◆5


「ね、神様。俺、どうしたらいいんだろ。この森、危ないかんじ? ほら、さっきみたいなの、けっこういるの?」


 てこてこ歩きながら神様へ問い掛ける。端から見ればかなり危ない光景だよな。誰もいない所にむかって神様とか呼び掛けてるの。


『さっきのは水色スライムっていってね、びっくりしただろうけど害自体は別に無いんだよ。あと、先に踏んづけて攻撃したのは君です』


 うっ。ごめんなさい。


『ちなみに、色が濃くなっていくにつれて危険度も増していくので気を付けるように。君がいるその森の名前は『迷いの森』。魔物がいる森なんだ。だから気を付けて。あまり奥には入らないように。手前なら雑魚モンスターしかいないから』


 奥が何方だかわからなくてビクッと立ち止まる。
 魔物……スライムばかり、て訳にはいかないよな。


『忍くん、とりあえず森を出ようか。西の方角はわかる?』

「に、西……」


 西と言われ、キョロキョロ周囲を見渡すが都合よく標識がある筈もない。
 そんな俺の様子に呆れたのか、神様が助け船を出してくれた。


『忍くんが立って前を見ている状態から━━右、斜め前!』

「み、みぎ! ななめ、前!」


 カクカクと方向を合わせる。ぶふっと如何にもな吹き出し笑いが聞こえた。


「わっ笑うなよ神様ぁ!」

『ごめんごめん。そう、その方向で合ってるよ。真っ直ぐ進めば『はじまりの町』って町に出られるから、がんばって』


 くつくつ笑う神様の声にむくっと膨れてから歩き出す。
 革靴で獣道歩くのってほんとしんどいな。ていうか。


「スライムとかすげぇな……生態どうなってんだ?」


 先程の鮮やかな水色を思い出しながら呟く。ゼリーではなく青い着色料を入れたミルクプリンのようだった。次出会でくわすことがあれば、是非とも抱っこしてみたい。冷たくて気持ち良さそうだ。害は無いというし。もし先程の子だったら、踏んづけた所を撫でて謝ろう。

 なんて。ふわふわ思考を飛ばし注意力散漫になっていたからだろう。当然のように木の根に躓いた。


「うぉっ、あぶねッ! こけるとこだった! ……なにこれ、きのこ?」


 物凄いサイズのキノコがある。とてもご立派だ。なにがとは言わない。
 スライムといい、キノコといい、まるで冒険もののゲームのようだ。
 魔法だってあるんだもんなあ……俺、この世界でちゃんとやっていけるのだろうか。

 勿論、ここに永住するつもりはない。帰れるのなら今すぐにでも元の世界へ帰りたい。━━けれど。

 帰った先で、俺の身体がどうなっているのかを知るのも、こわい。

 とうに焼かれ、骨が墓に入っているのだとしたら━━


「この世界で……生きていくしかないよな」


 幸い、親切な神様がいるのだ。永遠に俺だけを見守っていてくれなんてそんな甘ったれは言えないけれど、……この世界で生きる方法を見付けられるまでは、優しい神様と共にありたい。

 道が緩やかになってきた。出口が近いらしい。射し込む光の眩しさに目を細めながら、開けた地へと出る。


「━━ふはっ」


 大きく息を吸って見渡した。
 町があった。ヨーロッパ系の町並みだ。煉瓦の屋根や木の看板があたたかくて、海外に観光にでも来たかのような心地になった。


「すげぇな……ほんとに、異世界なんだ」


 一歩を踏み出す。けれど、緊張か、興奮か、あるいは恐怖か。震えていたそれは、地に着いた瞬間膝が折れて崩れてしまった。


「━━っ」


 ならされた地面への衝突を覚悟し、目を瞑った━━先、俺を迎えた衝撃は、誰かの腕と体温だった。


「━━大丈夫かい?」

「は…………」


 映像フィクションだと思った。太陽を背負って、髪をキラキラと輝かせて。逆光で顔は影になっているのに、物ともしない美貌。
 きっと、アニメだとか、ゲームだとか、映画だとか。主人公とは彼のような人間を指すのだろう。━━彼のような人にこそ、神の愛は与えられる。

 じゃあ、俺はなんだ。


「怪我は……ないみたいだね」


 正面から凭れ掛かっていた状態から、慌てて起き上がる。


「あ、ありがとうございます」


 厚い胸板から離れて━━離れ……あれ。背に回った腕が離れない。


「え、あの、なんなんですか。俺、ハグとかする文化な……」

「困ったな」

「はい?」


 どう見ても困っているのは俺の方だというのに、太陽の化身のように眩しい男は、魅惑的な紫眼を細めて美しく笑った。


「一目惚れ、してしまったみたいだ」


 ひとめぼれ。


「………………は?」


 間抜けな声が出る。


「ひ、ひとめぼれぇ?」


 もっと間抜けな声が出た。
 どうしよう神様! コイツ変な人だ!


「あ、あのさ、ごめん、俺、男と恋愛する気はなくて。とりあえずマジ離せ」

「でも、アプローチをするくらいはいいだろう? きっとアリアも許してくれる」

「誰だよアリア」

「僕の使役精霊さ」

「さようですか……」


 飛び出た異世界単語を追究する間もなく爽やかな笑顔でグイグイ迫ってくるイケメンに、ヒィッと喉奥から悲鳴が上がった。
 いやほんとおかしくないか。目の前の美男子ならまだしも、一目惚れされるような顔なんて俺は持ってない。断言できる。


「ああ、本当に困ったな。こんな気持ちは初めてだ。君のすべて愛らしくてたまらない。その、染まることを許さない高潔な黒の瞳も、柔らかな髪も、不思議な衣装だって、君の為だけに誂えられたみたいだ」

「まだ新卒でもないのにスーツが似合うって言われても」


 おい。本当に大丈夫かコイツ。イタリア男並みに口説き出したぞ。男を。


「すーつ? 面白い呼び名だね。君の故郷の服かな」


 当たらずといえども遠からずな見解に、今ここで説明しても伝わりはしないだろうと曖昧に頷いておく。
 すると、主人公フェイスを持った男は、ふっと寂しげに笑った。


「そうか……。楽しそうな所だね。僕は故郷を持たないから、心寄せる地がある人のことを時々羨ましく思う」

「え、」


 故郷を持たない━━
 旅人、なのだろうか。よくよく見ればそれらしい格好をしている。
 いや、旅人でも生まれ育った土地くらいはあるだろう。親が一つの地に安定しない人達だった……とか? 確か……そう、ジプシーというのだったか。


「すまない。暗い話をしてしまったね」

「や、それは、全然……」

「君の名前を聞いてもいい? 君を、名前で呼びたい」


 漸く抱擁から解放されたかと思うと、次は両手で両手を握られた。まるでプロポーズか告白でも受けているかのような体勢だ。男が男に何をしているんだ。


「わ、わかった! わかったから顔近づけんな、目が潰れる!」

「それはいけない!」


 大真面目に受け取った男は、ハッと瞳を開いて飛び退いた。とても俊敏な動きだった。
 ……なんかお前、弱者装った悪党とかにあっさり騙されそうなタイプだな。一人でいて大丈夫なのか。


「う、うん。その距離でいてくれ。で、えーと、名前だったな。春夏冬忍。忍が名前」

「シノブ……」


 感慨深げに繰り返した男は、次の瞬間には蕩けるような笑みを浮かべた。
 駄目だ! この距離からでも潰れる! イケメンの無駄遣いやめろ!!


「シノブ……いい名前だ。シノ、と、呼んでも?」

「もう好きにしろ……」


 度々続くイケメンフラッシュの威力に、すっかり気力が奪われていた。なんだってこんなに押しが強いんだ。犬か。


「つーかお前は? 相手に聞いといて自分は名乗んねぇの?」


 ━━あ。

 まずいことを言ってしまった。反射的にそう思った。
 ニコニコと嬉しそうに笑っていた男が、みるみるうちにしょんぼりとしてしまったからだ。


「ご、ごめん、言いたくないなら、」

「━━わからないんだ」

「え……」


 男は、繰り返した。


「自分の名前が、わからない」

「そ、れって……」

「一定のところから、記憶がない。家族も思い出せなければ、自分が育った場所もわからない。━━名前も、思い出せない」


 故郷を持たない。その言葉の意味を、思い知った。
 故郷どころか━━彼は当たり前にある過去すら、持っていないのだ。


「……ごめん」


 悲観に暮れているというよりは、すっかり諦めきってしまっている。そんな儚い笑みが悲しくて、散々拒絶したくせに、自ら距離を縮めていく。


「ごめんな」

「いや、君に非は一切無い」

「でも、」

「いいんだ」


 再び俺の手を取った男は、「それでも」と続けた。


「それでも気にしてしまうというのなら━━君が、名付けてくれないか」

「え、」


 俺が、名付ける━━?


「や、でも、今まで呼ばれてきた名があるだろ」

「僕はずっとひとりでいた。精霊たちは僕をミコと呼ぶけれど、それは所謂、“役職”だ。旅人を旅人と呼ぶ、そんな意味合いでしかない。名とするには……あまりにさびしい」


 紫がキラキラと光る。本当に宝石のようで、目の中に星を持っているんじゃないか、なんて馬鹿げた事を思う。


「だから、どうか君に名付けてほしい。━━僕に、名前をちょうだい?」


 ゾクッと。あまりに甘やかな声に背筋が震えた。瞳の奥に読み取れない何かがあるような気がして━━目を逸らせない。


「……俺で、いいのか?」

「君がいいんだ。シノ」

「……お前が、本当の名前を思い出すまでだぞ。あくまでも仮の名前だ。そこんとこ、認識を違えるなよ」

「承知した」


 真摯に頷いた男に、遠慮はいらないと間近から全身を眺めた。
 寝癖なんだかお洒落なんだかわからない━━この男の性格を考えれば寝癖の方が可能性は高いように思う━━少し跳ねた金髪。カットが替わっているのだろう、襟首から伸びる一束程の長髪が目に付いて仕方ない。
 瞳は紫色で、明け方の空のようにキラキラとまたたいている。
 格好はまさしく旅人。使用感に溢れたローブにサイドバッグ。足元はブーツで締められていて、腰に布と紐で巻いた……雰囲気だけで予想するならば、おそらく剣を提げている。

 特徴……といえば金髪と紫の目だよな。
 紫……パープル……ヴァイオレット…………駄目だ。センスが無さすぎて人名にすらならない。
 やはりこういったものは直感だ。散々主人公っぽいと思っていたのだ。これもある意味特徴みたいなものだろう。

 主人公……RPGでいうなら勇者。英雄。救世主。
 英雄といわれて思い付く名なんて、俺にとっては一つしかない。学びが無くて申し訳ないばかりだ。


「アーサー」


 口に出してみると、ぴったりとイメージが重なった。
 そう、英国が生んだかの有名な騎士道物語、アーサー王伝説のアーサー王だ。
 俺の中でアーサー王は金髪のイメージだったので、思いの外しっくりときてしまった。


「アーサー……」


 男が呟く。二度三度繰り返し、単語を彼の中で咀嚼しているように見えた。


「とても、いい響きだ。由来を聞いても?」

「英雄の名前だよ。俺の……故郷での」


 少しだけ、噛み締めるようにして述べた。


「英雄か……」


 男が瞳を閉じる。━━そして、再び開かれた紫に、アーサーは世界を余すことなく映した。


「シノ。僕の名を、呼んでくれ」

「アーサー」

「ああ」


 アーサーが地へと片膝を着く。崇高な儀式のようだった。


「君は、僕に英雄の名をくれた。ならば僕は、この名に恥じぬ生き方をしよう。━━君が、僕を英雄と誇れるように」

「アーサー……」


 誓いから、仕草から、まさしく騎士そのものな彼に思う。

 ━━ッやめてくれ恥ずかしい!!

 道端でいい大人が騎士ごっこしてるとかどんな罰ゲームだ。


「わかった、わかったから立ってくれ。こんなの誰かに見られたら……」


 そうだ。━━神様が見てる。
 きっと笑っているに違いない。あの人間臭い、かわいい神様のことだ。振り回される俺を見てさっきみたいに押し殺したくつくつ笑いを浮かべて。


「シノ……? 誰かだなんて、この迷いの森に近付く人間はそういないよ」

「そーいう意味じゃねーの。もー、絶対笑ってる……あ、アーサー、ちょっと耳塞いでて」


 人として心配になるくらい素直なアーサーは、これまた素直にしっかと耳を塞いだ。
 よし、これで大丈夫だろ。


「おーい、神様ー」


 森の中で呼び掛けていた時のように、心持ち顔を上げて宙に向かって叫んでみる。

 ……あれ。


「神様ー?」


 ……おかしいな。すぐに、『見てたよ、忍くん』なんて意地の悪い声で返してくれると思ったのに。


「神様ってばー!」


 さらに声を大きくしてみる。━━返事はない。


「神様……?」


 ぐずりと、心の柔らかい部分がざわついた。

 なんで。だって、さっきまで。あんなに。


「かみ……さま……」


 耳に届く自分の声が信じられない程弱々しくて、別の誰かのものに聞こえる。自分のものだと、思いたくない。


「神様……なあ、返事してくれよ」


 迷子が親を探すように、きょろきょろと見渡してしまう。
 神様は『声』だ。姿なんて無いと、知っているのに。


「やだよ、おれ……いやだ……」

「シノ……?」

「ま、まだ……」


 だって。見守ってるって。そう、言って━━━━


「━━っ」


 ハッとした。
 “見守る”。それは、━━神としてこの世界全体を指していたのではないか。

 そうだ。俺ひとりにばかり、付き合っていられる訳がない。
 だって、神様なのだから。━━この世界の、神様だ。

 俺は、トゥルザールの人間じゃない。


「いや、だ」


 カタカタと手が震える。
 見捨てられてしまった。いつかはそんな時がくるとわかっていたけれど。
 あまりに早くて。唐突で。心の準備なんてまるでできていなくて。
 思い上がっていた。見ていてくれると。もしも間違ったことをしていれば止めてくれると。付け上がっていた。

 神様は俺の味方なんだって、信じていた。

 かろうじて保っていた均等が崩れる。アーサーの目の前だなんて関係なかった。


「ひとりに、しないで」

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