君の世界

椎名

◇3


 ゴトン。足元でペットボトルの重たい音が落ちる。スリッパを放り出し縺れるようにして空中映像へと駆ける。
 前方画面では、ツーセクションのウルフカット風の男━━襟首から一束程度の長髪が覗く髪型だ。先輩はこれを尻尾と呼んでいた━━が忍くんを壁ドンならぬ幹ドンし、キラキラ輝くイケメンフェイスで迫っていた。
 金髪。アメジストの瞳。旅人風のローブ。腰に差された、布でぐるぐる巻きにされた剣。
 きっと、キャラクター達の中で最も見てきただろうデザイン。

 な━━なにやってんの、主人公ー!?


「しっしっ忍くん! 何がどうなってるのこれ!? ごめん、僕ちょっと席を外してて全く状況がわからないんだけど!」

「か、神様……! 俺もわかんねぇよぉ! なんか一目惚れとか愛しいとか言われて……き、き、キスされたあ! うわぁぁん、初めてだったのにぃぃ! コイツ絶対頭おかしい! イケメンこわい!」


 ひ、一目惚れぇ!? キスぅ!?
 説明を受けた筈なのに、結局何一つ理解できなかった。
 なんだってそんなことに!?
 先輩! これ、緊急事態判定していいですかね!?


『シノ? 一体誰と話しているの? 君は精霊仕いだったの? けれど……おかしいな……。君から魔力は感じないのに……。』


 左上に困った表情のアイコン付きで、主人公の台詞がメッセージウィンドウへと現れる。

 そんな台詞はプログラミングしてないし、シノってなに!?


忍『い、いから……退けよ! 男に襲われる趣味はねぇんだよ!』


 忍くんが決死の蹴りを繰り出した。それは主人公の脛へと見事ヒットし、主人公は『うぐっ』と呻いて崩れた。

 さ、さすが弁慶の泣き所……結構なチートのつもりで作った主人公でも形無しか。そしてなんだろう、この、とんでもなくアホな迷惑を掛けた息子を持つ母親のような気持ちは。


「し、忍くん、落ち着いて。いったんソレから離れよう」

「ううっ……口洗いたい……」

「ごめんね! ほんとごめんね!」


 うちの不肖の子が申し訳ない! こんな子じゃなかった筈なんだけど!


「なんで神様が謝るんだよ……神様なんも悪くねぇじゃん」


 心做しか涙声に聞こえる忍くんの純粋な問いに、ウッと胸が痛くなった。
 ソレの生みの親……僕なんです……。突然男を襲い出すとか、なんて深刻で意味不明なバグなんだ。


『シノ……? 君は、先程から誰と……。』


 情けなく足をさすっていた主人公が涙目で忍くんを見上げる。ご丁寧にメッセージウィンドウの顔グラも涙目のものだ。

 うぅん、まずいな。忍くんと会話しようと思うと、忍くんが何もない所に「神様」なんて話し掛けちゃう電波さんになっちゃう。僕の声は忍くんにしか届かないようだからいいけど…………あ。
 メッセージウィンドウを眺め、ふと思い付いた。
 ノベルゲーじゃないからうっかり忘れてたけど━━メッセージウィンドウの使い道は台詞だけではない。


「忍くん忍くん、声には出さず心の中で僕に語り掛けるようにしてみて」

「え?」


 メッセージウィンドウの文字が、主人公のアイコンと台詞から、忍『こう……? 神様、聞こえてる?』に上書きされる。

 やっぱり。
 忍くん自身に僕へ伝える意図がある時は、心理描写だろうとちゃんと表示されるんだ。


「聞こえてるよ。これからは人がいるところではこのやり方で疎通しようか。あ、忍くんの考えてることが何でもかんでも伝わる訳じゃないから。忍くんが伝えようと思ったことだけ読み取れるみたいだから安心してね」


 勝手に心の中を覗かれてるとか、ゾッとするもんね。


忍『そ、そっか……。よかった。』


 そんなメッセージを読みつつ、もう一つ気付いた事に首を傾げる。

 あれ、そういえば忍くんの声は聞こえるのに、主人公のは聞こえないな。

 勿論、台詞の全てを声優さんにアフレコしてもらっている訳ではないし、そもそも予定にない台詞を勝手に話している時点で彼に肉声がある方がおかしいのだけれど、ちょっとだけ、残念に思った。せっかく素敵な爽やかボイスの声優さんを探し出したのに。


『シノ……。急に悪かったよ。その……君があんまりにも魅力的で。』


 回復した主人公が何やら訳のわからないことを言い出した。
 やめろ。頬を染めて照れるのやめろ。僕はお前をそんな子に作った覚えはないぞ。

 苦虫を噛み潰したような顔で彼を見る忍くんとまったく同じ顔をしながら主人公をタッチする。左画面のステータスバーに主人公のステータスが表示される。
 よかった、僕のよく知る初期設定のままだ。
 そして、問題の名前の欄には━━


「んんん?」


 アーサー。の、文字が。


「…………。」


 誰だ。


「あのさ、アーサー……」

「ちょっ、ちょっといいかな、忍くん!」


 当たり前のように名無し主人公をアーサーと呼んだ忍くんに、慌てて待ったを掛けた。
 呼び掛けた姿勢のまま口を噤む忍くんを、アーサー(仮)が訝しがっている。
 会話止めてごめんね! 後で再開してください!


「そこの彼、君にアーサーって名乗ったの!?」

忍『えっ……えっと、名乗ったっていうか、俺が名付けたんだけど……。』

「名付けた!?」


 本当に、僕が先輩と電話していた空白の間に、どんな摩訶不思議ストーリーが繰り広げられたんだ。


忍『う、うん。なんか、記憶が無いらしくて。名前も思い出せないから、俺につけてほしいって……。』
忍『見た目が英雄とか勇者っぽいから、アーサー王伝説からアーサーって勝手につけちゃったんだけど……。まずかった、か?』


 睫毛がほんのりと下がる忍くんに、アーサーが『シノ?』と声を掛けている。

 ━━なるほど。おおよその想像は付いた。

 とりあえず、これ以上主人公改めアーサーを放置するのは危険だな。


「や、ううん。大丈夫。ちょっと席外してた所為で流れが掴めなかっただけだから。気にしないで。遠慮なくアーサーって呼んであげて。会話遮っちゃってごめんね。どうぞ続けて。僕はもう黙っとくから」


 心の中で語るのと実際に話すのと、まだ切り替えが上手くできないだろう忍くんを想って会話を打ち切る。

 ……そうか。そう、“なる”のか。

 主人公が記憶喪失なのはデフォルトだ。ここから、記憶を取り戻しつつ世界の真理に近付いていく形になる。

 ━━無理なく、辻褄が合わせられている。


『シノ? 気分が悪い? そういえば、君は『迷いの森』から出てきたね。もしや、中でなにか?』


 忍くんの頬に手を当てたアーサーの瞳が、ギラリと光る。


『━━魔物が、君に悪さをしたのかい。』


忍『……っ。』


 アーサー ━━主人公には、魔物によって齎された悲惨な過去がある。村人を皆殺しにされ、大切な人達を目の前で食い散らかされ、ただ一人生き残って燃え盛る村の中を茫然と佇む……そしてショックのあまり記憶を無くすのだ。
 ちなみにムービー仕様なので声優さんの演技がとても光るイチオシシーンとなっている。
 そんな過去から、記憶を失った現在でも魔物への憎しみだけは本能と身体が覚えている━━という設定なのだ。
 とてつもなく典型なキャラクター像だが、この“典型”こそがミソになっていたりする。

 温度のなくなったアーサーの声色と瞳に、忍くんが怯えている様がありありと映し出される。
 コラ! 突然のレイプ目で忍くんを怖がらせるのはやめなさい、アーサー!


忍『ち、ちがう。俺、スライムにしか遇ってないし……。』

『スライム……どんな色の?』

忍『み、水色……。』

『…………。』


 スゥ、と冷たい紫を細めたアーサーは、次の瞬間にはニッコリと笑っていた。


『なんだ、水色スライムか。それなら危険はないね。良かった。君が酷い目にあっていたわけじゃなくて。』

忍『お、おう……。』


「…………うーん?」


 人好きのする笑顔を浮かべて、人懐っこい犬みたいなテンションで忍くんを町へ誘導する主人公に、どうにも落ち着かなくて唸る。

 あれ……こんな性格だったかなあ。いや、二面性として魔物や悪には冷徹、て設定は確かにあるけれど……普段はもっと爽やか全開、ザ、主人公! ってかんじの筈なのに。━━それこそ、作り物のように。

 なんだか、人間臭すぎる。


「これも異常の一つなのかなぁ」


 マイクを押さえつつ小さく呟いた。ああ、先輩への報告が山のように増えそうだ。

 忍くんとアーサーの二人組は、閑散とした町を散策しながら親交を深めているようだった。と、いうか。何も知らない忍くんにアーサーが色々と説明してあげているみたいだ。
 その間にも、おばあさんの荷物を持ってあげたりだとか迷子の子供を母親の元まで送ったりだとか、アーサーは息を吸うように人助けしていて、こういった所は品行方正な主人公像のままだと安心した。……忍くんに対してのセクハラがやたら多いのが気になるけど。すぐ手を繋ごうとするのはやめなさい、アーサー。

 そんな二人に、例のNPCが話し掛けてくる。━━そう、主人公へチュートリアルを言い渡す説明役の村人Aだ。

 村人Aが予定通りアーサーへと腰を痛めただの病気の娘の為にこの薬草が必要だのと親切に薬草の説明をしながら図々しく同情を誘おうとしている。こんなのに引っ掛かるのはお人好しの主人公くらいだ。あと正義の味方な未来の勇者パーティメンバー達。現に、忍くんはとても胡散臭そうに村人Aを見ている。
 しかし、強制イベントは避けられない。あっさり承諾したアーサーは忍くんを引き連れて『迷いの森』へ向かった。

 ━━て、忍くん連れていくの!? まさかこれ、ヒロインに会う前に仲間ゲットしちゃったかんじ?

 咄嗟に左画面の左上、パーティリストを見る。ニコニコと笑ったアーサーのアイコンとパラメータが当たり前のように収まっていた。

 え、えええ……確かになんかそれっぽい会話はしてたけどさ。一人なら一緒に行こうよ的な。

 なんとも腑には落ちないものの、シナリオとして見れば大したずれでもないので引き続き彼等の冒険を見守る。
 アーサーが迷いなくアイテム━━今回だと、場所が森なので薬草や木の実が主だ━━を拾っていく。ちなみに、アイテムが落ちている時は地面が点滅して在処を教えてくれるプレイヤーに優しい親切設計となっている。隠しアイテムは別だ。
 本来ならばこちらで操作して行うアーサーの行動をぼんやりと眺める。なんというか、お手本プレイを延々と見ている気分だった。たまに忍くんも手伝っている姿にちょっぴり荒んだ心が和んだ。

 そして、アイテム拾いとその説明のチュートリアルが済んだところで、


??『きゃあ!』


 メッセージウィンドウに現れた文字と活発そうな少女の声。映像が切り替わりムービーが始まる。

 きた! メインヒロインの一人、魔法使いニーナの登場シーンだ。
 
 ピンクパープルの、外側にくるんと巻かれた長髪を振り乱し、華奢な身に黒くて若干際どい衣装を纏った少女が何かに吹き飛ばされて主人公の元へと落ちる。それをなんなく受け止め、二人が見つめ合ったところでカットが変わり、彼女のリボンで飾られた愛らしいトンガリ帽子がぽとりと地へ落ちたその向こうに、サイ程の大きさの獣の影が姿を現した。そこで、映像は終わる。

 我ながら上手く作れたと思う。特に、帽子を映してからのアオリのアングルとか。不穏さをより強調する為にかなり試行錯誤した。密かな工夫ポイントだ。


『━━来るわ!!』


 メッセージウィンドウにニーナの険しい表情のアイコンとメッセージが上がる。ちなみにアイコンの上の名前部分はまだ『??』となっていた。
 やっぱりニーナの声優さんにこの人を選んで良かったなあ。確か、自己紹介シーンまでは声入れてもらったんだっけ。

 ニーナをお姫様抱っこしたまま、アーサーが飛び退く。強制イベント勃発。初の戦闘だ。


『アレの弱点は水よ。とどめはわたしが水魔法で刺すから、弱らせるのを手伝って。』


 メッセージウィンドウのデザインが替わり、操作方法が表示される。
『まずは、敵の隙を見て近付こう! コマンドの……』
『次は、蹴りを入れてみよう! コマンド『闘う』の……』
 といった具合だ。ここで戦闘用の基本操作をプレイヤーに覚えてもらうのだ。

 ニーナの助言に従いつつアーサーが動く。やっぱりただのお手本プレイ閲覧だった。つまらない。


『━━これで、終わりよ!』


 敵のHPが7分の1程まで減り、緑メーターから危険サインの赤へと変わったところで、ニーナが水魔法での必殺技を放った。ニーナアップのモーション付きだ。
 無事魔物を倒せたニーナが振り返る。再びムービーに戻り、魔女のトンガリ帽子を拾いながらここで漸くの自己紹介。


『ありがとう。助かったわ。わたしはニーナ。フリーの魔法使いよ。よろしくね。』


 ああ、かわいい。ニーナかわいい。さすがヒロイン。
 残念ながら、声優さんのお仕事はここまでだ。次のイベントとムービーが待ち遠しい。

『ニーナが仲間になりました。』の通知後、パーティリストにニーナのアイコンが追加される。あ、仲間以外のキャラクターは直接キャラクター自身をタッチしなければステータス閲覧できないけれど、仲間になればパーティリストのアイコンからいつでも状態確認ができるようになっている。いつの間にか毒を含んでパラメータが減っている、なんて意地悪なハプニングイベントも用意しているので、逐一仲間の状態をプレイヤーに確認してもらわないといけないのだ。


『あの魔物はクオークウルフといって……』


 文字のみとなったニーナの状況説明を流しつつ、忍くんにピントを合わせる。
 だ、大丈夫かな。法と窮屈な道徳に守られてきた世界有数の平和ボケ民族、日本人が、急に目の前で化物との戦闘が始まって冷静でいられる筈ない。
 案の定、忍くんは、少し離れた所で尻餅を着いて呆然としていた。


「忍くん、忍くん!」


 マイクを握り締めて忍くんへと呼び掛ける。ハッとした忍くんは、次の瞬間にはくしゃりと顔を歪めて「神様……」と呟いた。


「忍くん、落ち着いて。今のは予定調和なんだよ。アーサーに任せていれば大丈夫だから」

「よ、てい……? 決まってた……ことなのか……?」

「そう。だから安心して。この辺りのエリアで、もうあのレベルのものは出ないから。━━そんな顔、しないで」


 無性に悔しかった。━━彼に触れられたなら、泣くなと、この手で抱き締めてやれたのに。


『シノ! 大丈夫かい?』


 ニーナと話し込んでいたアーサーが忍くんの様子に気付く。


『ごめん。シノ……。君を守りたくて、必死になってしまった。怪我はないかい?』


 騎士のように跪いたアーサーが忍くんの顔を覗き込む。忍くんは、ふるふると首を振ってアーサーの手を取りながら立ち上がった。
 ニーナが二人に近付く。忍くんの存在に、漸く気が付いたといった風だった。


『あなた、アーサーのお友達? わたしはニーナ。これからよろしくね。』
『ごめんなさい。驚いたよね。わたしがクオークウルフを一撃で仕留められなかったばっかりに……。』

『そんなことないさ。君の所為じゃない。』


 しょんぼりとするニーナをアーサーが慰める。忍くんも、目が覚めるような美少女に謝られてどうすればいいのかわからないようだった。
 忍くん、女の子に慣れてないんだなあ。そうでなくてもこんな美少女は中々いない。二次元様々だ。

 わたわたとする忍くんの初々しい反応がかわいい。ニーナも同様に思ったようだ。


『あなた、不思議な格好をしているのね。黒尽くめで……。なんだかわたしみたいだわ。ふふっ、お揃いね。』
『魔法使い……ではないのよね? あなたから魔力を感じないもの。わたしは魔法使いだから、同属はわかるの。』


 クスクス笑ったニーナは、金色の大きな瞳を好奇心に開かせながら忍くんへと黒いドレスグローブの手を掲げた。


『シノ、と……わたしもそう呼んでいい?』


 忍くんの手が彼女のものと重なる。


忍『……うん。よろしく。ニーナ。』



「…………ふう、一段落か」


 ヘッドセットを外して目頭を揉む。すっかり夢中になってしまった。最中、疲れを感じなかったといえば嘘だが、また主人公のように目を離した隙にイレギュラーが起きたらと思うと、心配で画面の前から離れられなかったのだ。
 けれども、ここまでくれば初日のイベントは全て終わったといえる。あとは、森を出るまでに雑魚モンスターで経験値を稼ぎつつニーナが泊まっていた宿へ案内されるだけだ。そして村人Aからの謝礼によって初めの資金が得られるのだ。

 コイルで時間を確認する。夕方だった。そろそろ先輩が来るかもしれない。
 台詞などをスキップしてプレイすれば、本来こんなにも時間はかからないのだけれど、異常だらけのゲームは完全にオートモード状態だ。この調子だと、パソコンを閉じても世界はスリープすることなく同様に過ぎている可能性がある。その辺りも後で実験しておかなければ。


「……ま、とりあえずは。」


 雑魚モンスターをぽかぽかと倒し進む一行を眺めながら笑う。


「先輩を迎える準備でもしようかな」


 こうして、ヘッドセットも専用グローブも置いた僕は忍くんを見守りつつ別ウィンドウにプレゼン用のソフトを立ち上げるのだった。

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