異界調整官外伝 吸血鬼×外交官

水乃流

異界から帰還する

 “ザ・ホール”を抜ける時には、誰もが緊張する。ある哲学者は、“ザ・ホール”を通る度に、人は一度死に、そして生まれ変わっているのだと言っていた。実際に、何度も“ザ・ホール”を通っている私には、それを完全に否定することはできない。もしかしたら異界あちらは、死者の国、涅槃なのではないか。そんな想いに囚われることもあるが、異界あちらの空気を吸い、花の香りを嗅げば、すぐにそんなことは忘れてしまう。リアルなのだ。自分のある場所がリアル。


『お疲れ様でした。検疫所へどうぞ』
 かつては山の中腹だった一角は、“ザ・ホール”を中心に巨大な施設の一部になっていた。今、“ザ・ホール”があるのは、直径二十メートルもある円形ホールの中だ。ここには、様々な観測機器が設置され、二十四時間三百六十五日常に監視されている。“ザ・ホール”の通過は、厳重に管理されているのだ。


 私は、“ザ・ホール”から離れ、人員用のドアから検疫室へと入った。持ち物はすべてボックスに入れてX線に、私もボディスキャナーで検査される。以前はもっと厳しい検疫検査を実施していた頃もあったが、今は簡略化されている。すでに魔物クリーチャーズの侵入を許してしまった時点で、検疫は無意味なのだ。それでもこうしたチェックを行うのは、万が一のため。あるいは、誰かが責任を取らなくてもいいようにというエクスキューズでしかない、と私は思っている。


 確認を終えて荷物を受け取り、施設の玄関ホールまで行くと、迎えが来ていた。
「お帰りなさい。迫田さん」
「あぁ、宮崎か、すまないな」
 私を出迎えてくれたのは、私と同じ外務省異界局の宮崎だ。彼は荷物――といってもアタッシュケースひとつ――を受け取ろうとしたが、それを制して車の後部座席に乗り込んだ。宮崎も続けて乗り込むと、運転手に「戻って」と指示を出した。
 車が動き出すと、宮崎はスイッチを操作し、運転席と後部座席を仕切った。


「なんだか上層部うえが騒いでいるんですが、やっぱり異界あっち絡みですか?」
 宮崎の質問に、私はアタッシュケースをポンと叩く。
「ヘルスタット王から首相宛の親書だ。お前にも後で知らされるだろう。それより、他の“ザ・ホール”がどんな状況か聞かせてくれ。そのために来たんだろう?」
「そうですね。じゃぁ、まずホール2ですが――」

 私たちを乗せた車は東北道に入り、一路、霞ヶ関へと向かった。





 外務省異界局での簡単なブリーフィングの後、私は上司である異界局局長、江田茂と共に首相官邸に入った。首相へのレクチャーには、局長の他に外務大臣と防衛大臣、官房長が同席した。
私はブリーフケースの中から、首相宛の親書とその翻訳文書を取り出し、テーブルの上に置いた。 親書は本来魔石による封がされているものだが、翻訳しなければならないため、すでに切られている。首相は、羊皮紙の親書ではなく、翻訳した文書を手に取り目を通した。

「迫田君、住まないが要約してくれるかね?」
 現日本国総理大臣は、文書を防衛大臣に渡しながら私に言った。もとよりそのつもりだ。
「はい。端的に申し上げますと、ヴェルセン王国の村がドラゴンによって壊滅的危機に陥っておりまして、日本に助力して欲しいという王からの請願です」
「王国内の兵力で対処できないのかね」
 防衛大臣の疑問は、もっともだろう。
「実は、王国の南に位置するファシャール帝国が、王国への侵攻を画策しており、そちらへの対応のため兵を裂かねばならず、ドラゴンに対応できる王国の兵力は百名、それに被害に遭っている地域の領主が集められる兵力が、同程度かと」
「合わせて二百か。それでは足りないのか?」
ドラゴンに関する文献の記述が正しければ、非常に厳しいかと思われます」

ドラゴンは知的生命体なんでしょう? 説得できないの?」
「確かにドラゴンには知性があり、人族と約定を交わしたそうです。しかし、今回村を襲っているドラゴンは、まったく言葉を理解した様子はなく、説得も無意味とのことです」
「やっかいだねぇ」
 首相は、腕組みをして唸った。
「日本には、ドラゴン討伐に参加する義理はないんだよ。そもそも他国領土での武力行使にあたるだろう? 難しいよねぇ。こっちの異界調整官は、何て言ってるの?」
「阿佐見さん……調整官は、『できれば助けたい』と」
「どっちをだよ」
「おそらく、どっちもですね。あの人なら」
 やれやれと言った表情で、私を見る首相。
「それは……上手く乗せられちゃったんじゃないの? 王国に」
 やはり、トップまで登り詰めた政治家だけあって、隠された意図にも気が付いたか。
「そうですね。王国側にはいくつかの思惑があると思います。ひとつには、単純にドラゴンを討伐して被害を食い止めて欲しいという思い。ふたつめは、日本が異界用の兵器を開発したのかどうか、したのであればどのくらいの威力なのかを確認するため。三つ目は、我々の兵力を帝国への抑止力になるだろうという考え、でしょうか」
「そして、あわよくば日本の軍事力を奪い取ろう、そう思っているのだろうな」
「それは、現時点ではないと思われます」
 私は、防衛大臣の言葉に反論した。大臣だけど上司じゃないし、自分の意見をいうことに躊躇いはない。
「なぜ、そう思うんだ?」
 防衛大臣は一瞬むっとした表情を浮かべたが、私に理由を聞いてきた。
異界あちらは魔法第一主義で、技術とか職人などは低く見られる傾向があります。位が高くなればなるほど、技術の優位性を認めようとはしないでしょう」
「なるほど、そんなものか」
「えぇ」

 私の意見は、この時点では間違っていなかった。しかし、異界あちらにも科学技術の優位性を見抜き、それを有効活用しようとする者がいた。それは、ずっと後になって分かることだ。

「しかし、こまったねぇ。こちらとしては、異界あっちが平穏でいてくれることが一番なんだけどねぇ」
 そういって、トントンとこめかみを叩く首相。話し方ものんびりしているし、見た目も地方に良くいるおじさん然としているが、政治的には手練手管を駆使する狸親父。それがこの男に対する霞ヶ関の評価だ。敵に回すと嫌らしいが、味方として腹を割って伝えれば、けっこう話の分かるおっさんだと、異界局局長も言っていたが、本当だろうか?
「首相、十二年前に起きた悲劇の際、魔物クリーチャーズを倒すために特別措置法で自衛隊が出動したはずです。あれは、災害出動――いや、害獣駆除でしたでしょうか? あれと同じと考えればいかがでしょう?」
 外務大臣のアイディアに、首相は困った顔を見せた。
「あれ、確か時限立法だったんじゃない? それに、今回は国外の問題だしねぇ。うーむ。しまった、法務大臣も呼んでおくんだった。まぁ、いいか。異界法も改正が必要かなぁ。どう思う迫田君?」
 いきなり振られたので驚いたが、なんとか慌てずに済んだ。
「問題は、時間です。一ヶ月後には、西の街に王国の兵が集まり、ドラゴンの討伐作戦が開始される予定です。ただ、異界あちらでは時間の間隔がルーズなので、おおよその目安ではありますが」
「そうか、時間か。……世論を動かす必要があるねぇ」
 さらっと何を言っている? 苦笑いするしかないじゃないか。
「でも、もし派兵するとしても、武器はどうするのだ?」
 官房長官が現実的な質問をしてきた。

「それについては、多少心当たりがあります。つきましては、防衛大臣のご許可をいただきたく――」



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