僕の恋人は僕が嫌い

椎名

堂本孝人は見付ける。


 ━━あなたに、頼みたいことがあるの。

 顔を合わせたのは一度きり。知り合いの兄の恋人という、接点を持つ事自体が稀有な位置の美女に訪ねられ、孝人は困惑のままに彼女を室内へと上げた。
 女性は四嶋馨と名乗った。仕事帰りなのか、パンツスーツスタイルのまま、凛とした佇まいでいる。

「━━で、四嶋さんは、」
「馨でいいわ」
「あ、……スか。じゃあ馨さんは、霧島……トーヤくんの様子を見に来たんですよね。なら、俺じゃなくて馨さんがトーヤくん看てやればいいんじゃないスか」

 自堕落な一人暮らしを送る孝人に紅茶なんて洒落た物が出せる筈もなく、お気遣いなくという馨の言葉に甘えて孝人は直ぐ様本題に入った。
 本日、霧島遠矢が体調不良により欠席した事実は知っている。クラスメイトは勿論のこと、他クラスの生徒や、はたまた他学年生までもが霧島を心配し、教室へ殺到していたのだから。
 それらを他人事に見ていた孝人に、何故『霧島遠矢の看病』なんて厄介事が舞い込んでくるのだろうか。それを望む人間は、それこそ孝人でなれけば溢れる程いたであろうに。

「そう、なんだけどね。私もすぐ会社に戻らなきゃいけなくて。……誰も、遠矢くんを看てあげられないの」

 だからなんだ。孝人は感情の見えない目で頭を下げる馨を眺めた。
 冷たい様だが、孝人と霧島遠矢の関係は知り合い以上友達未満が精々だ。下手すれば知り合い未満かも知れない。さらに、たとえ高熱で判断力が鈍っているにしても、霧島遠矢は高校二年生だ。大人と子供でいえば大人だ。わざわざ誰かが付きっきりにならねばならないような歳ではない。
 過保護が過ぎる。━━それが、馨と霧島の兄、恭介への孝人の正直な印象だった。
 それを孝人の仏頂面から察したのだろう馨は、苦笑して、その笑顔も保てず眉を下げた。

「ごめんなさい、本当はそうじゃない。私達も、堂本くんがいなければ頼まなかった。……これまでもそうだった。遠矢くんはしっかりしてるから、いつも一人にしてた。━━でも、今は堂本くんがいるから」
「えっと、お言葉なんスけど、俺、別に霧島と仲良くありませんよ」

 何か勘違いをされている。そう感じた孝人は面倒臭く思いつつも彼女等の認識を訂正する。

「ふふ、知ってる。あなた達、友達って雰囲気じゃなかったもの。……でも、遠矢くんが誰かを連れてきたのは初めてだったの」

 いや、あれは押し掛けに近かったような。小首を傾げつつ続きを促す。

「本当に驚いたのよ。遠矢くん、仲良しのお友達の話とかもしてくれたことなくって。恭介だって聞いたことないって言ってたし。だから、本当に驚いて。……つい期待しちゃうのは、おかしい?」

 巻かれたダークブラウンの髪が揺れる。勝ち気そうな瞳が上目遣いになる。それだけで、愛らしい印象へと変わる。

「無理を言ってるのはわかってるわ。……迷惑だよね。全部、私達の都合」

 全くその通りだ。自分に関係ない事情を延々聞かされ面倒で仕方ない孝人は、そう馨を切り捨てようとして。

「でも━━友達じゃない堂本くんなら、“お客様”にはならないかもしれない」

 ふと、呟かれた一言に興味を持った。

「お客様?」
「そう。遠矢くんは躾もしっかりされてるから、お客様への気遣いを忘れない。しんどい時にそんなの、疲れるじゃない。━━私は、あの子の中で『お客様』だから。私だと駄目なんだよ」

 寂しげに落とされたそれに、孝人は初めて聞く耳を持った。

「あんま、霧島と上手くいってないんスか」
「っそんなことない! それは無いわ。私達、本当に仲は良いの。遠矢くんは私にとって弟のようなものだし、あんな良い子をどうやって嫌えっていうの。好かれてる自信だってある。恭介……あ、遠矢くんのお兄さんのことなんだけど、会ったことあるよね? 堂本くんに絡んでたあのバカね。彼を抜いて遊ぶことだってよくある」

 食い気味に否定した馨の剣幕に呑まれながら、孝人は霧島遠矢の学校外での顔に興味を引かれて仕方がなかった。

「━━でも、恭介と同じようにはいかないや。私は、あの子の中で家族じゃない。……好かれてる自信はあるけど、嫌われてる自覚もあるの」

 はらりと落ちた髪を耳へ掛け、馨は切なく笑った。

「なんて、ね。愚痴っちゃった。お時間取らせてごめんなさい。駄目元なのは━━」
「いいっすよ」
「え?」

「霧島のこと、一日看てもいいですよ」

 明らかに乗り気でなかった孝人の承諾に、馨は上品なメイクで縁取られた目を丸く開く。

「えっと……でも、すごく、嫌そうだと思ったんだけど」
「まぁ正直あんま気乗りはしないッスけど━━今の話は、気になったから」

 霧島遠矢の鉄の仮面は、家を出た瞬間に強固となる。ならば、自室で寝込んでいる━━今なら。

「そ、う? じゃあ、本当にお願いしてもいい?」
「はい。どうせ暇なんで」
「あっ、それなら、これ」

 馨が定形サイズの茶封筒を孝人へと差し出す。中には、紙にされた福沢諭吉が二人収まっていた。

「遠矢くん、料理する元気もないだろうから、ご飯とかね。堂本くんも一緒してくれればいいから」
「や、多すぎますよ」
「いいの。私と恭介、二人分の気持ちだから」

 無理やり孝人へ封を握らせた馨は、どこか安堵の顔をして立ち上がった。腕時計を確かめて、仕草でいとまを伝える。

「それじゃあ━━私達の弟を、よろしくお願いします」

 そうして美しい人は、少女のように笑って孝人へと“大切な弟”を預けていった。





 湯通ししたうどんへ出汁を入れただけのそれを食し、薬を飲んだ霧島が漸く寝付いたのを確認して、孝人は改めて彼の自室を眺めた。この空間を見るのは二度目だ。一度目は直後に嵐がやって来た為、観察の間もなかった。だから新鮮さは依然と変わらない。
 買い換えでもしたのか、まだ新しく見える勉強机。シワにならないようハンガーに掛けられた制服。その下には通学鞄。勉強机の隣の本棚には参考書と文庫と漫画が仕舞われている。壁のカレンダーには毎日のように予定が書き込まれ、けれども整然としている為に細々こまごましさを感じない。ゴミ箱は清潔で、床に衣服が散乱しているなんて事もない。孝人がこれまで見てきた同年代の男の部屋は、それはあんまりな有り様ばかりだったので、こんなところにまで霧島遠矢の『完璧性』を見付けてうんざりとした。どうにも、綺麗すぎるものは苦手なのだ。
 気持ちだけ霧島へ布団をかけ直し、個室を出る。そして隣の部屋へ。霧島遠矢の兄━━もとい、彼の伝言役たる馨により、泊まるならば恭介の部屋を使えと許可を得ていた孝人は、遠慮の一つもなく恭介の部屋を眺める。弟と違いなんとも“男らしい”部屋だ。あくまでも孝人基準である。

「お、カルマの新刊」

 連載を追っていた漫画の単行本を見付け、勝手に拝借しようと本棚へ近付いた孝人は、そして“それ”を発見した。

「━━アルバムか」

 シンプルな白の表紙。厚く年季を感じさせるそれを開けば、愛らしい子供の姿が飛び出してくる。霧島家は遺伝子からして優秀らしい。
 無遠慮に眺めてみる。レンズへ興味を引かれて眼をキラキラさせる赤子。少し成長して大人の手を借り立ち上がる幼児。神妙な顔をした入園式の様子。ランドセルを背負い誇らしげな姿。どれもスターのように笑顔を振り撒いて、一人の子供の軌跡が切り取られた四角の中に収まっている。━━そう。たった、一人が。
 霧島恭介の部屋にあるアルバムなのだから、当然、写る少年は恭介その人だろう。では、遠矢は。━━霧島遠矢は、どこに。
 彼等の日常をこの目で見たのは、例の日の一度だけだったが、それでも、彼等が仲の良い兄弟だということは孝人にだって十二分にわかった。果たして、これ程までに完全に撮り分けることを彼等が許すだろうか。
 ふと、恭介少年よりも幼い子供の写真が現れる。━━遠矢の面影がある。今にもキャラキャラと笑い声が聞こえてきそうな笑顔だ。けれども、写っているのはその幼児のみだった。また数枚して、一枚だけ混ざる子供の写真。それから二度ページをめくったそこに、漸く、兄弟が同じフレームに収まる写真があった。けれども、次には恭介少年単体のものへと戻る。
 ━━ 一緒に住んでなかったのか? 無関係な他人の目から、遠矢が疎らに浮く理由として考えられるのはそれだ。

「お。」

 孝人等と同じ歳くらいにまで成長した恭介と、ぼんやりとした遠矢らしき人物が真っ白のベッドに沈んでいる。撮影場所は病院のようだ。
 ━━もしや、霧島遠矢は病弱で病院から出られない子供だったのではないだろうか。それならば説明がつく。
 孝人の推理が加速する。この辺りから入れ替わるように馨の写真が増え、遠矢の姿は完全に消えた。
 そして、現在と変わらないスーツ姿の恭介と制服を纏う遠矢が再び現れた。遠矢少年の表情は暗い。徐々に遠矢の写真が増えていく。これまでの、彼が存在しなかった時間を取り返すように、どれにも霧島遠矢が写る。

「……ふーん」

 最後の一枚。馨と霧島兄弟で誕生日の祝いをしているらしいそれで、奇妙なアルバムは終わっていた。
 アルバムにくっきりと刻まれた『空白』を思って、孝人は呟く。

「中々、複雑なごかてー、てやつかね」

 アルバムを閉じ、元の場所へと戻して。

 ━━ま、俺には関係ねーけど。

 薄情な彼は、ベッドで眠る『彼』を思いながら、無機質な瞳を閉じた。

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