僕の恋人は僕が嫌い

椎名

霧島遠矢は寝込む。


 家の中に他人がいる。━━それを気持ちが悪いと感じる人間は、この世の中にどれ程いるだろうか。少なくはない筈だ。特殊な家庭や環境でない限り、所有の敷地に他人が押し寄せる状況など先ず無い。それが、地域で協力し合う事を基盤とする田舎などではなく都会だったなら、尚更の事。
 けれども━━“家族同然の他人”であったなら、その拒絶感はどこまで軽減されるものなのだろうか。━━“普通”は、どうなのだろう。

「遠矢くん?」
「あ、ごめんなさい。ぼうっとしてて」
「私は全然構わないけど……疲れてない? 勉強とか大変でしょう? 料理くらい、いつでも代わるよ」
「いーんです。ほら、お客様は座っててください。兄さんが寂しがるから」
「もう」

 台所へ夕食を作る恋人の弟━━遠矢の様子を見に行った馨は、そして茶目っ気たっぷりに膨れっ面を見せてリビングへと戻っていった。
 社会人であり稼ぎ頭の兄を支える為、家事雑用のほぼは遠矢の担当だ。兄、恭介に生活能力が無い訳ではなく、元々一人暮らしをしていた彼の元にあるきっかけで遠矢が転がり込み、その恩返しとして細やかな家事へ目を向けたのが始まりである。今では、立派に自炊をしていた恭介も器用な弟へ全力で甘える駄目社会人となってしまった。その様子は、周囲の人間━━特に馨が、遠矢へと兄を甘やかしすぎだと苦言を呈する程だ。遠矢自身、怠け癖のある兄に甘い自覚はある。

 ガスコンロの火を止めて、簡単な味付けに少しの隠し味を加えた野菜炒めを大皿へと移す。毎朝作り置きしている味噌汁をよそって、保温していた白米を三人分、椀へ盛って。

「兄さーん、馨さんといちゃいちゃしてないでご飯運んでー」

 リビングから聞こえてくる楽しげな男女の声へと苦笑と共に呼び掛けた。



 遠矢と四嶋馨が接点を持ったのは三年前だ。馨と恭介はその前から交際関係にあったらしく、当然、兄、恭介を介しての出会いだった。
 当時、遠矢は中学二年生の十四歳という多感も多感な年頃で、大学時代に知りあい職場まで共にしてしまったというその人を見て素直に思った。━━綺麗だ。
 こんな綺麗な人が━━“恭ちゃん”のコイビトなんだ。
 馨は、男前な兄に釣り合うだけの美貌と、そして人間として申し分無い器も持っていた。優しく、傲らず、けれども謙虚と謙遜を履き違えず、自分という存在に誇りを持っている。━━強くて美しい人だった。
 子供の扱いも心得ていて、ただでさえ難しい年頃だというのに特殊な環境にあった遠矢へも臆せずコミュニケーションを取った。そうして、馨との時間は着実に積み重ねられていった。
 ━━けれども。遠矢にとって馨は、親しい『他人』でしかなかった。

 遠矢は馨が好きだ。人としてとても好ましく思う。馨以上にしっくりとくる兄の恋人はいないだろう。
 馨へ好意を懐くこの気持ちは決して嘘ではないのだ。優しいと思う。誠実だと思う。人徳がある。綺麗な人。……ただ、名前のわからない不快感が時折好意を上回ってしまう━━それだけ。

「恭介。グータラしてないで皿洗いくらいしなさい」
「いいんですよ馨さん、兄さん疲れてるだろうし」
「ないない、今日は仕事だって暇だったんだから! 遠矢くんも、これは甘やかせば甘やかすだけ付け上がるんだからビシバシ尻叩かないと。きょーすけー、あんたより学業と両立させてる遠矢くんの方が大変なんだからねー。この駄目アニキ」
「……あはは、もう、馨さんには叶わないなぁ」
「ほんっとだよなー。ガミガミうるせぇよカーチャンかよ」
「せめて奥さんって言いなさい!」

 夕食を終えた団欒に、穏やかな空気が流れる。端から見ればそれは『家族』そのもので━━どうして、馴染めないのだろう。
 きゅるり。洗剤を泡立たせたスポンジに擦られて皿が切なく鳴く。
 ━━そもそも、馴染むつもりなんてあるのだろうか。
 遠矢と恭介は、容姿のきらびやかさからも判る通り間違いなく血の繋がった兄弟だ。家族━━と言い切るには些か育った環境が邪魔をするが、現在は迷いなく家族だと述べられる。しかし、恭介と馨の関係は遠矢が恭介と『家族』となる前から育まれていた。口さがない物言いをするならば、恭介と馨の疑似家族の空間に真の血縁者が突然現れ割り込みをした形となる。その負い目と身の程知らずな嫉視は、シミのように遠矢を蝕んでいった。

 遠矢は恭介が好きだ。兄としてとても尊敬している。きっと恭介を前にした遠矢を友人が見ればブラコンだと揶揄うだろうし、遠矢自身、兄を甘やかし、そして甘やかされている自覚がある。ただ、そう━━その『家族愛』が友愛や恋愛よりも飛び抜けて強いだけで。ほんの少し、他人と『大切なもの』のベクトルが違うだけで。

 ━━それだけ。





 霧島遠矢は切羽詰まっていた。
 迫っていた校外交流総会の資料に不備が見付かった。選出された生徒会執行部員はとっくに集会所へと出ている。走れば間に合う。けれども━━トラブルにはトラブルが重なるのが定式だ。

「霧島ァ!! なんか部室棟の方で乱闘起きてるって!」
「はあ!?」

 資料を訂正し印刷し直した直後に、生徒会室へと暴風が運ばれてきた。 反射的に部室棟を目指す。資料は手元にある。これを誰かに預けねば。生徒会顧問━━駄目だ。彼も引率を兼ねて生徒と共に向かっている。今回の開催地は地域的繋がりのある大学だ。誰か代わりに届けられる人を━━
 懸命に数多の顔を巡らせ選定するも、結果が出る前に現場に辿り着いてしまった。脳を切り替えねば。
 見守っているのだか観賞しているのだかわからない野次馬を退けて、呼び出した彼に束のプリントを押し付けて遠矢は騒ぎへと突っ込んだ。

「どうしたどうした! えーっと、サッカー部とバスケ部、だな?」
「チッ、なんで一々生徒会長が出てくるんだよ、うっぜーな」
「生徒会長だからだろ」

 悪態つくタンクトップの生徒とサッカーウェアの生徒に、双方の荒立つ気を何とか鎮めて事のあらましを聞き出す。

「……えーと、つまり。サッカー部はグラウンドにバスケ部が突然乱入してきた。バスケ部は今日は体育館が使えないからグラウンドの使用許可を得ている。━━と主張する訳だな」
「聞いてねぇよんなこと」
「聞いてようが無かろうが現に許可は出てんだよ。文句言うならお前らの顧問に言えっての」
「その顧問が聞いてねぇっつってんだよ、何回言わせんだ鳥頭」
「ああ!?」
「はいはいはい、喧嘩腰になるな」

 再び取っ組み合いを始めようとする二人に、遠矢の細腕がそれを阻止した。ああ、頭痛が痛い。

「ごめん、牧石くん。佐山先生と横川先生呼んできてくれる? 佐山先生は……確か今日、環境美化があったっけ。なら三年二組だろうし、横川先生は……横川先生はどうしたんだ?」

 佐山はサッカー部の顧問であり、横川はバスケ部の顧問だ。そして佐山は環境美化委員会顧問も兼任している為、放課後委員集会がある日は部活に顔を出せないのだ。

「……なんか職員室で用あるから遅れるとか言ってた」

 存外素直に吐き出したバスケ部の生徒に、遠矢は大きく頷いた。

「オッケ。そういう訳だからよろしく、牧石くん」

 牧石と呼ばれた野次馬の一人は、カクカク頷くと鼬のような動きで駆けていった。その間に、遠矢は二人━━及び双方の部活動員達の敵愾心を落ち着かせようと試みる。

「あのさ、売り言葉に買い言葉もアレだけど、まず普通に暴力は駄目だからな? 道徳的な意味だけじゃなくて、部活動が停止になるから。バスケ部とかさ、今度三島高と試合あるじゃん。それなのに怪我したらどうすんの? 君、それで補欠になんかなったら絶対悔しいぞ」

 仏頂面で黙り込むバスケ部の生徒に、苦笑しつつ腕を取る。

「別に俺のことウザいなら聞き流してくれても構わないけどさ……ほら、これちょっと痛めたろ。どっか壁とか殴った?」

 彼の手の甲の骨頭は、微かに擦れ、熱を持っていた。それを遠矢は的確に見抜く。

「本末転倒もいいところじゃん。……大事にしてくれ。俺、見に行こうと思ってるんだから。━━ちゃんと勝つところ、見せてよ」

 遠矢のあまりに屈託のない笑顔に、手を取られた彼はぽっかり口を開いて惚けていた。眉間にシワがなくなれば━━成程、素直そうな顔をしている。

「サッカー部もさ、さっきチラッと見たけど、蹴ろうとしてたよな? 佐山先生の口癖ってか十八番って『お前らが蹴っていいのはボールだけだ。』だったと思うんだけど、あれってさ、サッカーやってる人間は当然脚力もある訳だし、普通の人より威力出ちゃうからその注意も込めての台詞なんだと俺は思ってたんだけど……違う?」

 数人がハッと瞳を開き、サッカー部の少年達は気まずそうに沈黙した。それにニッコリと朗らかな笑みを見せた遠矢は、まあまあ。なんて気の抜けるフォローを入れてみせる。

「その辺のお叱りはセンセー方がしっかりしてくださるだろうからなにも言わないけど。……ぶっちゃけ俺も他人の事言えないし。でもとりあえず反省文は書かせっからな。各部長と高木、鞍田」

 呼ばれた名に、最前線で争っていた二人が何故知っているんだと言わんばかりの目で遠矢を見る。それに不敵に口角を上げた遠矢は、ふざけたウィンクをバッチーンと飛ばした。

「生徒会長様ですから? ━━お、きたきた」

 大まかな流れをパシリに使われた牧石によって知らされていた顧問の二人は、遠矢の左右に立つ部員二人へと鬼の形相で近付く。そして説教開始の一喝をお見舞いしようとしたところで━━顔を蒼くする二人を庇うようにして立つ霧島遠矢に気付いた。

「霧島?」
「お説教はちょっと後でお願いしますね、先生」

 スゥ━━大きな目が獲物を捕らえるように細まり、横川教諭を見る。

「まず横川先生。グラウンド使用許可を出したそうですが、出すならグラウンドを使用する部活動の顧問全員に連絡を回さなければならない筈ですよね。場合によっては顧問同士でどう練習するかの話し合いをしなきゃならないんだから。それが通ってないなら許可は発生しません」

 あ。とあからさまにやらかした顔で硬直する横川教諭を放って、次に遠矢がロックオンするのは佐山教諭だ。

「佐山先生も。聞けばサッカー部の人が一度確認しに行ってるみたいじゃないですか。その時点でおかしい、て気付いてくれないと。委員会を抜けられないにしても、最悪、生徒会に回してくれれば最低限の事はできるんですから。……というか、ぶっちゃけ確認面倒で後回しにしたでしょ」
「……い、いや、まあ、霧島いるし」
「先生」
「すみませんでした」

 さらにさらに細められた遠矢の瞳に大柄な男性教諭二人は身を縮み込ませる。そんな情けない顧問の姿を、生徒達はそれは白けた目で見ていた。

「とりあえず、応急処置として今日はテニス部のコートを空けます。どうせバスケ部もグラウンドじゃシュートの練習くらいしかできないだろうし、サッカー部だって場所取られたら模擬試合とか出来ませんよね。交互に使ってください」
「え、いいのか? テニス部は」
「今日は元々お休みの予定でしたから」

 顧問から預かっていた鍵をポケットから取り出す。それを眺めて━━遠矢の眉がほんの少しだけ下がった。
 遠矢はここ数日と、生徒会活動後に自主練習をしていた。部長だというのに顔も見せられない。そんな負い目から、体だけは鈍らせてはならないと連日ラケットを振っていた。
 今日くらいは、いいか。
 心做しかどっと疲れが押し寄せたように感じて、鍵を目の前の教師へと押し付ける。

「じゃあ俺はこれで。…………行かなきゃ」

 背後から聞こえる「ありがとなー! せーとかいちょー!」なんて声を振り切って、預けていた資料をおざなりな礼と共に受け取る。そして遠矢は━━走った。
 校外交流総会へ向かった面々はとっくに電車へ乗った頃だろう。直接届けるには間に合わない。ならば━━会議に間に合わせるまで。

「はあ、はあ……っ」

 革靴で走る。シューズでないだけで、こんなにも感覚が違う。靴底が硬い。懸命にアスファルトを弾く。脚はいくらでもバネになってくれる。それでも、連日の疲れは徐々に遠矢を消耗させていた。
 生徒手帳に入れて持ち歩いている定期券で改札を通る。タイミング良く停車した電車へ飛び乗って、呼吸を整えて。
 遠矢は祈るしかない。━━頼む、間に合え!



 ━━お疲れ様でしたー。
 ゆるゆると掛けれた後輩の声に遠矢はぼんやりと手を振った。
 結果から、遠矢は校外交流総会━━付近の高等学校の代表生徒が集まり情報を交換する円卓会議に間に合った。間に合ったどころか、タイミングが良すぎた。お陰様で、生徒会の後輩や仲間に期待されるままに会議に居座り、予定に無く仕切って完璧な手腕で会議を回してしまった。こんな筈じゃなかったのに。
 思わぬハプニングの連続ですっかり体力を磨り減らせた遠矢は、のろのろと土気色の顔で帰校を始める。制服姿の高校生を無遠慮に眺める好奇の視線を抜けて、大学の門を潜って。

 暗転。

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