僕の恋人は僕が嫌い

椎名


「なに、お前の兄貴、芸人か何か?」
「うっ……よ、酔った時だけだから」
「へー。すげぇ面白かった」

 クツクツと喉で笑う堂本に、身ぐるみを剥がされたかのような羞恥が遠矢を襲った。

「……なんか、意外だった」
「なにが?」
「堂本くんって悪ノリとかするんだ。もっとクールな人だと思ってた」

 悔し紛れの遠矢のぼやきに、堂本のカラカラとした笑い声が返ってくる。

「ふーん。お前の中の俺ってそんな感じなんだ。俺としては、やたら俺の名前連呼するお前見てちょっと印象変わったけど。あー、面白かった」
「っだからそれは、堂本くんが悪ノリするからだろ!」

 恭介の眠るベッドの隣で、気軽な掛け合いが交わされる。
 堂本孝人は不思議な人だ。ここまで、掴めない人物だなんて思いもしなかった。━━そもそも、遠矢は知ろうとすらしていなかったのだけれど。

「……堂本くんは、俺が、嫌いなんだよな?」
「ああ。霧島遠矢は嫌いだな。気持ち悪いし」
「その割りには、友好的に思えるんだけど。━━嫌がらせ?」

『嫌がらせ』━━結局、遠矢にとって堂本の変則的な接触は、敬遠の対象でしかないのだ。
 ━━わからないものは、こわい。

「嫌がらせなあ。━━うん。嫌がらせ。その通り」
「え。」

 聞いておきながら、まさか本当に嫌がらせだとは露程も思っていなかった遠矢は、間抜けに堂本を見て呆けた。

「だって俺、お前怒らせたくてわざと構ってるし」
「な、んで、そんなこと」

「お前に嫌われたいから」

 初めての言葉だった。脳の理解が一瞬遅れて、遠矢の表情はまるで生まれて初めての単語を聞いたような、そんな脆いもので固められてしまった。
 遠矢の幼い動揺に小さく笑みを浮かべた堂本は、そっと恋人に囁くように身を寄せると。

「だからさ、霧島が嫌がりそうなこと、してぇの。━━霧島、人間、嫌いだろ?」

 ざわりと。胸の奥にあった何かがざわめく。きらい。誰が。誰のことがきらいなのか。

「……ち、がう……嫌いな、わけじゃ、」

「━━恭介どう? 運べた?」

 騒動を扉の向こうから見守っていた馨が、チラリと顔を覗かせた。手には車のキーが。

「もしよかったら堂本くん、お家まで送っていこうか?」

 気を遣わせてしまったらしい。会話までは聞こえずとも、友人が和やかに語らう雰囲気でないことは察したのかもしれない。

「や、いいッス。すぐそこなんで」

 ふいっと手を振って、堂本が立ち上がる。手は、遠矢の肩に置かれていた。
 …………ん?

「トーヤくんに送ってもらうんで」

 そのまま、肩を抱くようにして連れ立たされる。

「は? ど、堂本くん?」
「な、トーヤくん」

 馨の目が遠矢へ大丈夫なのかと問い掛けている。━━嗚呼、駄目だな。“大事な”馨さんに心配を掛けるだなんて。兄に叱られしまう。

「……ん、ちょっと送っていきます。馨さんは、申し訳ないですけど兄のこと見ててもらっていいですか? すぐ帰ってきますので。堂本くん、近いんだろ?」
「ああ。すぐ着くぜ」

 組まれた肩に若干身を預けて、親密さを演出する。吐き気がしそうだ。けれども━━彼女に気遣わせてしまうより、ずっとマシだ。

「じゃあ、いってきます」

 鍵も持たず、遠矢にとっての聖域を解放する。玄関は境界線だ。抜けた先は━━『霧島遠矢』の世界だ。『遠矢』は呼吸を停める。

 会話はなかった。遠矢と恭介の自宅はマンションの三階にある。エレベーターが設置されているロビーより脇の階段の方が近いこともあり、階段を使って一階へと降りていく。━━エレベーターという密室空間に彼と閉じ込められるなんて耐えられない、という思いも遠矢には少なからずあった。

 苦手だ。遠矢ははっきりと自覚していた。
 ━━堂本孝人が苦手だ。
 振り回される。『霧島遠矢』を壊される。懸命に作り上げてきた壁を脆いものでも崩すみたいにあっさりと越えて、侵入してくる。屈辱だ。理解のできない生き物だ。━━共にいるのが、苦痛だ。
 そもそもが、散々嫌がらせを繰り返してきた相手を誰が好めようか。否、『霧島遠矢』ならば可能だったのかもしれない。遠矢は、これまでも当てられてきた悪意を飄々と受け流してきた。これからだって出来るつもりでいた。━━そうでなければならなかったのに。
 彼は、遠矢の精一杯の矜持すら砕きかねない。危険な存在だ。

「あ、ここ左」
「は?」

 マンションの正門へ向かっていた遠矢は、背後からの声に訳がわからず振り返った。堂本は、何食わぬ顔で一階の通路を指差していた。

「一〇九号室」
「…………」

 嘘だろう。遠矢の顔が蒼褪める。
 だって、一度だって、すれ違ったことすら。

「最近越してきたんだよ。よろしくな、ご近所さん」

 極め付けに、堂本は端整な顔立ちをニッと歪ませた。
 悪戯が成功した。そんな質の悪い笑みだった。

「……よろしく、したいのかよ。嫌いなんだろ」

 馬鹿の一つ覚えのように繰り返してしまう。━━堂本は散々告げていたのに。

「ああ。嫌がらせだから」
「…………っ」

 断じて、遠矢は一個人に嫌われることを恐れているのではない。例えば集団的な━━所謂いじめのような環境を生んでしまったならば、それは世間体なども含めて危惧すべき案件だが、クラスメイト一人に色眼鏡で見られようが逆恨みをされようが痛くも痒くもない。
 けれど━━堂本孝人だから。
 まったく遠矢に内を読ませようとしない堂本孝人だから、ゾッとする。本能的に嫌だと感じてしまう。━━嫌だ。

「なあ、霧島━━俺のこと、嫌いになれよ」

 堂本は笑う。いつか教室で見た無機質な瞳を、懐かしく感じた。
 だって、今目の前にある彼の瞳は━━無機質だなんて、誰が読める。

「俺はお前のこと嫌いだから━━お前も、俺のこと嫌いになって泣けばいい」
「……なんで、そこまでこだわるんだよ。関係無いだろ」
「関係無いからだろ」

 相変わらず謎掛けみたいな言葉を返した堂本は、そして続けた。

「嫌いってさ━━特別ってことだろ」

 じゃ。あまりにも余韻を残さないあんまりな挨拶を残して、堂本は扉の向こうへ消えてしまう。ぽつりと置かれた遠矢は、━━やがて吐き出すように笑った。

「は……はは、あはは、あっはは!」

 好きの反対は無関心。ならば、『嫌い』は。


 僕は━━堂本孝人が嫌いだ。

「僕の恋人は僕が嫌い」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く