僕の恋人は僕が嫌い

椎名


 慌てて、スクールバックを肩に掛ける状態まで身支度を整えていた堂本を自身の部屋へ押し込んでから、玄関へとすっ飛ぶ。そこには、予想の通り耳まで真っ赤にさせた兄が、締まりのない顔を晒して下駄箱へと凭れ掛かっていた。
 ああ! 今回ばかりは予想が当たってほしくなかった!

「え、ちょ、兄さんなんで━━酒くさ!! なんでこんな時間から飲んでんのさ!?」
「おいコラ遠矢。その前に言うことがあるだろうが」
「ごめんなさい! おかえりなさい!」

 泥酔状態であろうとも弟の躾にだけは手を抜かない兄━━恭介の据わった目に、悲鳴のような謝罪を上げながら彼を支える。

「こら! 恭介! ごめんね、遠矢くん。ちょっと会社で上司が福引きで当てたビールの消費手伝えって配っててね、恭介ってば気に入られてるもんだから沢山飲まされちゃって。仕事にならないし運転もできないから私が代わりに送ってきたんだけど、軽く水飲ませて休ませてやってくれる?」

 恭介の背後から、ストイックなスーツがよく似合う楚々とした女性が顔を覗かせる。恭介の同僚であり恋人の四嶋馨だ。恭介と交際を始めて長い彼女は、勝手知ったるとばかりに黒のパンプスを脱ぐと、恭介の首根っこを引っ掴んでリビングへと歩き出した。

「ああ!? 俺はまだ寝ねぇぞ馨! 遠矢の飯食ってねぇもん! ━━って、あ! なんだこれ! 遠矢、先に飯食っちゃったのか!?」
「酔っ払いは大人しくしてなさい!」
「どういうことだ遠矢! とうやぁぁぁ!」
「うるさい!」

 一気に騒がしくなった扉一枚先の空間に、かつてない程の脱力感が遠矢を襲った。
 ━━ああ、どうしよう。これ。

「とりあえず兄さんはさっさと寝て。すみません、馨さん。うちの愚兄が世話かけて……」
「いいのいいの。勉強忙しいのに家事もしてくれてる遠矢くんに酔っ払いの相手まで任せられないわ」
「そーだぞ馨~! うちのとーやはすごいんだぞ~! この間もなあ、テストでほぼ九十点代ばっかり揃えてきてだなぁ」
「頼むからさっさと寝て。兄さん」

 ヘラヘラと絡み倒す情けない兄の姿に、恥ずかしさ半分申し訳なさ半分で馨へと頭を下げる。慣れているとは言っても、弟として兄のこの醜態はいただけない。

「いいのよ、遠矢くん。恭介の世話は私の仕事みたいなものだから。あ! そっちじゃないでしょ! 恭介!」

 え。

「あ、こんばんは。お邪魔してます」
「あ、こんばんは。どちらさまですか」

 え。

「トーヤくんの天敵です」

 え。

「なあ? トーヤくん?」
「そうなのか? 遠矢」

「…………」

 廊下の先、左右に分かれた扉の右側━━遠矢の個室の前にて、開いた扉越しに遠矢を覗く二つの顔に、彼の鉄壁の笑顔はとうとう崩れた。

 ……もう嫌だ。ふて寝したい。

 そんな遠矢をよそに、絡み付きまとう格好の獲物を見付けた酔っ払いは、嬉々として堂本に話し掛け始めた。

「え、なになに。遠矢の友達? マジで? 遠矢に呼ばれたのか?」
「友達じゃないけど『ぜひ家に遊びに来てダーリン。愛情たっぷりの手料理ご馳走するから』て誘惑されたのでホイホイ釣られて来ました。美味しかったです」
「堂本くん!?」
「ヤッダー! 遠矢ってば、おにいちゃんに内緒で男なんか連れ込んでナニしようとしてたのよ! ご飯はアタシってか!? うちの子ってばいつの間に弟から妹になっちゃったの!? でもだいじょーぶ。漢恭介、遠矢がどんなえげつない性癖隠してようがアブノーマルホビー持ってようがバッチリ受け止めてみせるから! とりあえず式挙げるには白タキシードかな!? それともウエディングドレスかしら!? 馨の前に遠矢のウエディングドレス見られるとかお兄ちゃん感激! ぶっちゃけ馨より遠矢のがドレス似合━━ゴファッ!!」
「ころすぞ」

 ご丁寧に小指を立て、しなまで作って堂本に迫っていた恭介を、馨が怒りの鉄拳で黙らせた。
 ほ、本気だ。手加減の欠片もなかった。あれはプロの目だ。

「ごめんね、遠矢くん。このバカ向こうで沈めてくるから」
「放せかおるぅぅぅ! お前にはわからないのか! 遠矢だぞ!? 今まで一度たりとも友達なんて紹介してくれたことのないあの遠矢が、おにいちゃんの目を掻い潜ってまでお友だち連れ込んでたんだぞ! これは異常事態だ! エマージェンシーだ! おにいちゃんは今、猛烈に感動している! 君にとっても興味がある!」

 とうとう馨の拘束を抜けた恭介は、芸能人の握手会宛らに両手で堂本の手を握り絞めると、口を挟む間もなく捲し立てた。

「ハイ! お名前は!?」
「堂本孝人です」
「タカトくん! オーケーオーケー。それでタカトくん。ぶっちゃけた話、遠矢どう? 学校で苛められてない? ほらー、この子ゲームもしないし夜遊びもしない、勉強一筋の子だし、頑固だし、学校の話題吹っ掛けても『それなり』としか言わないし、保護者としては心配で心配で」
「苛めどころかファンクラブ作られて現在進行形で男からも女からも生き神のように崇められてますね」
「堂本くん!?」
「だーよーなー! あっはっは! さっすがうちの遠矢! イッツアパーフェクツ! ほんとうちの子器用でさー、おにいちゃんは誇らしいです!」

 ご機嫌にゲラゲラと笑いだした兄とは反対に、遠矢の機嫌及び気分は最悪である。
 堂本は楽しんでいる。それはもう、先程までの無感情さや、挑発の為見せていたニヒルな笑みとはまるで違う━━子供が新しい玩具を発見し夢中になっている時のそれと同じだ。

「よーし今日は記念日だー! 宴だー! 飲み明かすぞタカトー!」
「うぃっす」
「堂本くん!?」

 そろそろ収束がつかない。頭が痛い。どう足掻いても止めなければ。

 未成年者である堂本を捕まえ、肩を組んでリビングへと戻ろうとしている兄へ手を伸ばして、遠矢の足が一歩踏み出されたところで、
 ━━ガタァァン
 唐突に、恭介は幸せそうな顔をして崩れ落ちた。

「やっと落ちたか……」

 廊下に転がる恭介へ、馨の、疲労感の滲み出る低い呟きが落とされ、遠矢も同様の心地で重く溜め息を吐いた。
 恭介は酒に強くない。酔えば、普段の絡みが倍になる上に笑い上戸だ。典型的な酔っ払いになる。そしてある程度騒ぐと、急に糸が切れたかのように眠りの世界へとダイヴしていくのだ。

「すみません、馨さん。代わります。重いでしょう?」

 床に寝そべる恭介へ、肩を貸そうと屈んだ馨に代わって腕を掴む。傾けるようにして持ち上げた体は、すっかり筋力が抜けて軟体動物と化している。嗚呼、情けない。

「私も手伝うわ」
「いえいえ、女性にそんなことさせられませんから」

 先程は驚きのあまり動けずにいた遠矢だが、本来の彼が女性に酔っ払いの世話を任せるだなんて真似、する筈がない。たとえそれが身内同然の『彼女』だとしても。

「え、堂本くん?」

 ふと、床に着いていた胴体の半分が浮き上がった。━━堂本だ。堂本が、残った片腕を自身の肩に回し支えるようにして恭介を持ち上げていた。

「あ、いいよいいよ! 俺だけで運べるし」
「いや、見るからにお前非力そうなんだけど」
「テニス部主将をなめないでくださいー」

 困ったように笑いながら、兄の部屋へと続くドアノブに手を掛ける堂本を追い掛ける。
 彼の行動がわからない。嫌いだと、あの日の放課後では、近付きがたいとすら言っていたのに。━━今の彼は、望んで関わってきているように見える。

 恭介を無事ベッドへと運んで、一息吐いて。

「━━堂本くん……?」

 遠矢の視線は引き付けられるように堂本へと向いていた。

 堂本は、笑っていた。楽しくて堪らないと、子供のように。無邪気に。

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