僕の恋人は僕が嫌い

椎名


 どうして、こうなってしまったのだろう。

「あ、うまい」
「それはよかった。普通に家庭の味だろ?」
「うん。もうちょっと濃くてもいいかも」
「あ、じゃあ七味でもかける?」
「サンキュ」

 七味唐辛子の入った瓶を彼へと渡して、ニコリと笑い掛ける。
 どうして。どうして。どうして。なんで彼と食卓なんて囲んでいるんだ。
 こんなの、俺の予定にはなかった。彼と関わる未来なんて、なかった筈なのに。

 遠矢の精神は限界に近かった。遠矢にとって、自宅は聖域だ。本人にその自覚はないが、彼が唯一、全てを放って空っぽになれる場所だった。だからこそ、どれだけ親しい友人だろうと、これまで家へ上がらせることなどなかったというのに。
 堂本だから特別だった訳じゃない。遠矢の中では、「我が家へ来るか」という質問に、堂本は「いいえ」と答える計算だったのだ。自身らの親密度と彼の性格上、共に食事をするような未来が発生する可能性など皆無の筈だった。それがどうだ。こんな状況になるだなんて、誰が予想できた。

「なんか、意外っつーか、普通っつーか」
「ん?」

 完食した丼を前に、堂本がどこを見ているのやらわからない目をして呟く。

「霧島も生活してたんだなってかんじ」
「んん? どういうこと?」
「お前、学校で生活感出ないじゃん。豪邸に住んでるとか純和風のお家柄とか、色々勝手に言われてるし。だからどんな家でもある意味納得だな、て」
「そ、そんなこと言われてたんだ……」

 改めて聞かされる外界からの評価に、遠矢としては何とも言えず愛想笑いをするしかない。
 確かに、どんな家でどんな生活をしているのか全く想像つかない、とはよく言われていたけれど、そう見えるだろうことも自覚していたけれど、なんだかなあ……

「他に誰か知ってんの? 家」
「え? あー、そういえばいないなぁ。おお、てことは堂本くんが記念すべき一人目だよ」
「ふーん」

 手を叩いて茶化してみるも、これといった反応は得られない。

「霧島の手料理食べたとか、お前のファンに殺されそう」
「ファンだなんて……大袈裟だなぁ」
「でも、━━いないとは思ってないだろ」

「━━━━、」

 遠矢の普遍的に上がっていた口角が、ほんの少し落ちた。

「霧島ってあれ? 自分も客観的に見てる、て人? なんかさ、主観として見てないよな」
「…………」
「自分すらも村人Aてかんじ。長所も短所も、ぜーんぶ客観的に見てる。だから、違和感なく善人できるんだろ。自分を他人として見た時に、好かれるような人格を演じてんの。日常っていう話の中のただの登場人物だから」

 遠矢は、ただただ笑っている。笑って、堂本を見つめていた。その瞳の奥は、きっと、空っぽだ。

「別にどうでもいいけどさ、すげぇ気持ち悪い生き方だよな。それって」
「……そうかな」
「まぁ俺的にだけど。ほら、たまに、ちゅーに病? だっけ? こう、俺は全て計算して皆を操ってるんだー! みたいな究極勘違いオナニー野郎いるけどさ、霧島はそれの洒落にならねぇバージョン、てかんじ。マジで自分が他人なんだろ?」

 堂本の無機質な瞳が、底意地悪げにゆるりと笑まれた。相変わらず、そこに温度はないけれど。
 きっと、彼は試している。

「なあ、怒んねぇの? 俺、結構失礼なこと言ってる自覚あるんだけど」
「怒らないよ。その通りだし。とても、堂本くんは正論だと思う」
「……て、『霧島遠矢』なら言うって?」

 小さく、溜め息が中身のなくなった皿の上に拡散した。

「堂本くんの言う通りだと思う。でも、俺はそれでいいと思ってるし、他人にどうこう言われる筋合いはない」
「別に俺は生き方を変えろなんて言ってねぇけど」
「じゃあ、」
「単純に気持ち悪いな、てだけの話。感想持つのは自由だろ。━━クソつまんねー生き方だな。霧島」

 はっきりとした中傷だった。以前とは違う悪意が、確かに感じ取れた。
 嗚呼━━
 遠矢はそれでも崩れない笑顔で、音もなく呟く。

 彼は、本当に、俺が嫌いだ。

「堂本くんは、嫌いな人間に話し掛けて、嫌いな人間のご飯を美味しいなんて言いながら食べられるんだね」
「皮肉?」
「うん。皮肉」

 内容にそぐわない穏やかな笑みが両者ともに作られる。
 遠矢は笑顔という能面を。堂本は笑顔という挑発を。

「ずっと笑ってるお前は嫌いだけど、興味あるから」
「嫌いなのに?」
「嫌いだから」

 喉を掻き毟ってしまいたいと思った。
 好きの反対は無関心。━━遠矢を嫌いだという感情は、堂本の無関心を越えてしまったらしい。

「我が道を行く人なんだろうなーとは思っていたけれど、想像以上だね。堂本くん」
「うん。俺、超我が儘だよ。今さら気付いた?」
「あはは、前から知ってた。そっちこそ、どんな風の吹き回し? まさか俺が観察されてただなんて、思いもよらなかったなあ」
「嫌いだなって思ったら、目につくようになってた」

 奇妙な光景だった。彼等の言葉を台本上の台詞として上げれば、どちらとも相手への挑発にしか取れないだろう。だというのに、流れる空気は穏やかで、声色は柔らかで、まるで場違いな空間がそこに出来上がっていた。

「な、当ててやろうか? 今お前が思ってること」
「へえ。ぜひ」
「『こいつ、嫌いだな』」

 丼の退けられた食卓に肘を付き、ほんの少し上目遣いに堂本が遠矢を見上げる。

「俺のこと、嫌いになっただろ。霧島」

 どうでもいいと笑った無感情な瞳が、奥底に快を揺らめかせながら遠矢を捕らえていた。

「楽しそうだね。堂本くん」
「そりゃあ、皆の友達の霧島様から『嫌い』認定されたとか、面白すぎるだろ」
「別に、嫌いじゃないよ」
「なんだ。残念」

 クスクスと笑いが零れる。器用とも不器用ともつかない彼等の会話は、一方的に紐解くにはあまりに難解すぎて、彼等の持つ心情の複雑さを物語るようだった。

「でも、そうだなぁ。君のことが苦手になったかも」
「意地悪するから?」
「意地悪するから」

 険を含んだ言葉遊び。━━どこか楽しいと感じてしまっている自身の揺れに、遠矢は気付かない。

「じゃ、霧島ファンクラブに制裁される前にいじめっこは退散するかな。ご馳走様でした」
「ふはっ、だからなんだよそれ。お粗末様でした」

 行儀よく手を合わせて、堂本は脱いでいたブレザーを羽織直し、遠矢はそこまで送ろうかな、なんて玄関の鍵を手に取って。

「堂本くん、途中まで送━━」

「たっだいまぁ~! とーやきゅーん、愛しのおにいさまのお帰りだぞ~!!」

 ガチャリと開いた扉と無駄に大きな『その人』の声に、遠矢の脳内を即座にある言葉が廻った。

 ━━ 最 悪 だ 。

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