僕の恋人は僕が嫌い

椎名


「霧島~! 今日、佐久間達と飯食ってくけど、お前どうするー?」

 背後から大きな声で呼び止められた遠矢は、振り返って彼と同等に声を張り上げた。

「今日はパース! 生徒会の仕事が溜まってまーす!」

 その返答に、キャラキャラと周囲から笑いが上がった。

「しっかりしろよ会長~!」
「おいおい、俺ほどしっかりしてる会長はいないぞー。会長様とお呼び!」
「会長様ー!」
「よっ! 会長様! イケメン!」

 声を掛けてきた少年とはまた別の方向から、茶々が入れられる。様々な人間が交錯していく廊下で、騒がしくも和やかな雰囲気が作られる腕前は、流石高名な霧島遠矢様といったところか。
 友人達の構ってほしそうな手をすり抜けて、遠矢は担任教諭から預かったクラスへの配布用プリントを抱え直した。

 生徒会長・テニス部主将・そしてクラス委員長をも務める遠矢の日常は慌ただしい。その上、社会人の兄との二人暮らしの為、家に帰れば家事全般。土日には小さな古本屋の店番のアルバイトと、こんな彼のスケジュールを聞いた友人達は声を揃えて訴える。━━ 一体いつ休んでいるんだ! と。
 一時期、彼のサイボーグ説、もしくは霧島遠矢は最低三人はいる。なんて現実味の欠片もない━━しかし妙に頷いてしまいそうになる斬新な噂が流れたくらいだ。

 今日は各委員会からの校内清掃案をまとめて、ああ、その前に目安箱のチェックもしなきゃ。次月の校外交流総会のメンバーも選出しなきゃだし、予算表は前島先生に見てもらって、そのままプリントアウトまで任せようかな。ギリギリ間に合えば部活に顔を出して、せめて連絡ボードだけでも確認していって━━
 くるくるとホームルーム後の予定が遠矢の頭の中で回る。絶え間なく彼の脳は回転している。
 忙しい。間違いなく彼は忙しい。けれど、その忙しなさが遠矢には心地好かった。好んで予定を詰めていると言ってもいい。

 ━━目先のことだけ考えていれば、何も見なくて済む。

 教室の扉が見えてきた所で、その枠を越えようとする『彼』の姿が目に付いた。

 堂本孝人。先日、大胆にも遠矢本人へと『嫌い』宣言をした同じクラスの生徒だ。
 あの放課後での邂逅以来、遠矢の意識はたびたび彼へと捕らえられていた。

 堂本孝人は目立たない。否、この表現には語弊があるだろう。姿形は大変目立つが、彼自身が自己主張をすることは殆んどないのだ。とは言っても、それは消極的という意味ではない。ただただ、無関心。決まったことに従って、荒波を立てることなく、自ら声を上げるようなことはせず、その場の流れに任せている。まさしく行雲流水。
 冷たいとは思わなかった。そういう人なのだろう。そう、遠矢は世界の違う人間を見るような気持ちで堂本を眺めていた。彼は決して、アイドルや先導者のように表に立つタイプではなかったけれど、感覚は液晶越しの人間を見ている時のものに近かった。

 ━━彼は本物だ。遠矢はそっと目を細める。強烈な光を眩しがるように。
 堂本孝人は自身から行動を起こす人間ではない。だからこそ、一度ひとたび声を上げれば周囲の注目は一心に彼へと向かうだろう。生まれもってのカリスマ性。存在するだけで植え付けられる圧倒感。
 遠矢にはそれが眩しくて仕方なかった。近付けない人。遠い人。紛い物の自分とは違う、『本物』達。

 嫌いだと言われた。傷付ける為の言葉じゃなく、ただただ素直に。
 どうしてだろうか。そんな彼の言葉に、安堵している。━━初めて、剥き出しの感情を向けられた。

「堂本くん」

 届かない名を零して、噛み締めてみる。扉のその先、彼は周囲の変化にも視線にも動じない確固たる『自分』を持っていて、侵されることのない彼だけの世界を生き抜くのだろう。━━それに触れられるとは、思わないけれど。

 隔たれた透明の膜を越えたあの日の彼の瞳は、冷たくて、無感情で、それが遠矢には、ただただ心地好かった。





「……ただいま」

 返ってこない声に落胆するでもなく、事務的に玄関の明かりを付ける。この時間帯に兄がいないことは分かりきっているが、もしも早めに帰宅していた場合、挨拶という礼儀を欠かした行為は躾に厳しい兄に嗜められてしまうからだ。
 おかえりを伝えるのは遠矢の役目であり、おかえりを受け取るのは兄の仕事だった。

 遠矢の兄━━霧島恭介は、豪快な人である。大雑把と言ってもいい。明るい兄の性格は周囲に笑いを届け、時には大渦のように善意も悪意も全てを巻き込んで彼のものにしてしまう。そんな彼だから、光を求めて沢山の人が集まる。恭介は間違いなく『人気者』だった。

『外』での遠矢の性格の基盤は兄にある。兄、恭介を見倣い、恭介を演じている。━━『本物』を模造して、自分を作り上げている。
 遠矢という人間の実態は虚像に近かった。思春期らしく、自分とは何なのか、本当の自分はどこにいるのか、なんて考えることもなかった。遠矢は、恭介を模造する自分に満足していたのだ。深層にある本心は知れずとも、そう、自身は納得していた。

 ある種、真の遠矢が現れるのは兄の前だけだった。兄がいない場所では、自分こそが兄なのだから。
 遠矢にとって恭介の存在は、自身すらも殺せるほど、『特別』だったのだ。

 ━━それを、世間一般では依存や歪みと例えられることも、理解しているけれど。

「夕飯、なににしよ」

 冷蔵庫を開けて、食材を確かめてみる。
 卵と鶏肉と……あ、ネギもうなかったっけ。牛乳もあと少しだなあ。兄さん毎朝飲むし、買ってきた方がいいかな。今日の特売何だっただろ。朝ちゃんとチラシ見ておけばよかった。じゃがいもは……あるけど玉ねぎがないな。玉ねぎも買おう。うん、今日は親子丼かな。添えは……あ、この間の煮付け残したままだった。まだいけるか。これでいいや。

 頭の中で主婦さながらに献立を立てて、恭介が生活費として置いている専用の財布を手に取る。
 制服を着替えるのも面倒だ、なんて少し横着をして、簡単なシューズを履いて。

「よし、行こう」

 遠矢の顔に、ゆるく仮面が貼り付けられた。





「……あ。」
「え。」

 中身のないぺちゃんこなエコバッグを提げた遠矢は、スーパーの前で時間ごと停まったかのように歩みを止めた。

 『彼』だ。『彼』がいる。どうして。

「買い物?」
「あ、うん。夕飯を」

 当たり前のように話し掛けてきた彼━━堂本孝人に、一瞬の動揺を即座に塗り潰して笑顔で対峙する。しかし遠矢の脳内は引き続き混乱状態にあった。━━見掛けたことなんてなかったのだ。家から近いからという極ありふれた理由から、贔屓にしているこのスーパーで、彼の姿を見たことなんて、一度足りともなかったのに。

「すごい奇遇だなあ。堂本くん、家この辺なの? だとしたら俺ん家と意外と近いのかも」
「個人情報を安易に言うのはどうかと思うけど」
「あ、そっか。そうだね。ごめんごめん。最近物騒だし、気を付けなきゃだよな」

 いつの間にか並んでしまった堂本との距離に、緊張からの居心地の悪さが遠矢を苛む。
 彼のことが嫌いなわけではない。けれど、決して共にいて落ち着けるような相手でもない。付かず離れずな、機嫌を損ねたくない難しい知り合いの一人といったところか。

「なに作んの。つかお前が作んの?」
「あー、うん。大体は俺の仕事。兄と二人暮らしだからさ」
「ふーん。料理男子か。やったな、モテんじゃん。あ、もうモテてんのか」
「はは、そう見えるだけだよ。実際、ああいうのは殆んど錯覚だからさ」

 チラリと、切れ長に引き締められた瞳のわりに、横から見た睫毛の長さが印象的な堂本の視線が遠矢へと動いた。相変わらず、温度のない吸い込むような黒だ。

「そうやって断んだ」
「え?」
「まあ、お前がっつくイメージないもんな。王子タイプ」
「おお……じはちょっと。普通に恥ずかしい」
「じゃあ猥談でもしてみる? あの霧島が猥談とかやばいな。特ネタになりそう」
「あっはは、なんでだよ!」

 ああ、ああ、なんだこれ。
 微かな震えを抑えた手には、痛い程の力が込められている。
 彼はどうしてこんなにも普通なんだ。━━嫌いじゃ、なかったのか。

「で、なに作んの。夕飯」
「今日は親子丼です」
「へー、親子丼。俺、親子丼結構好き」
「おっ、じゃあ堂本くんも我が家の親子丼にお呼ばれしちゃう?」

 ━━なんて、冗談だよ。そう続く筈だった言葉は、極当たり前のようにされた彼の返答によって、喉奥へと引っ込んでしまった。

「まじで? 行こっかな。霧島の飯、食ってみたいし」

 え。

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