僕の恋人は僕が嫌い

椎名


「……霧島?」
「ん? ああ、堂本くん。まだ帰ってなかったんだ。珍しいね」

 振り返った霧島の顔には、いつもの牧師じみた穏やかな笑みが浮かべられていた。まるで即座に喜の面を貼り付けたかのように。
 おそらく本心からの笑みだ。それでも、孝人は顔を顰めざるを得なかった。
 きょとんと、孝人の表情を見て霧島が目を瞬かせる。それもそうだろう。普段特に話さないクラスメイトに声を掛けられ、挙げ句眉間にシワを寄せられたのだ。
 何事だ。そう、霧島が問い掛けようとした時。

「お前さ、それは、癖?」
「え?」

 自身の席に着席している霧島を、孝人はスクールバックを肩に長い身長を活かしながら見下ろした。そんな威圧的な現状にありながら、霧島はやはり柔らかく笑んでみせるのだ。

「何のこと?」
「お前、さっき笑ってなかったじゃん」

 再び、霧島の幼げな呆け顔が晒された。

「あはは、一人でいる時まで笑わないよ。なんだそれ。俺、だいぶ怪しい奴じゃないか」
「俺はお前を怪しい奴だと思ってるけど」
「ええー。心外だなあ」

 ケラケラと笑う彼は、底抜けに無邪気だ。孝人は、彼と話す人々が“救われる”と口々にこぼしていた理由が、何となくわかった気がした。
 馬鹿らしくなるのだ。こうして、負の感情をぶつけようとも、彼は寛大に笑い飛ばしてくれるから。ああ、大したことじゃないんだ。と、彼を見て安心できる。
 だからこそ、奇妙だとも思う。━━疲れないのだろうか。

「自然と笑えんの?」
「え? うん。面白ければ人間、笑うよな?」
「面白いこと、あったか?」
「んー、今こうして堂本くんと話せてるのが面白いかな。ほら、俺達ってあんまり話したことなかっただろ? 堂本くん目立つしさ、話してみたかったんだ。結構ズバズバ言うんだね。はは、思ってた通りだ」

 媚じゃない。嫌味でもない。彼は、本心から告げている。心の底から、嬉しいと笑っている。不純物のない、綺麗な笑みで。━━嗚呼、

「わかったわ。今までどうでもよかったけど、話してみてわかった」
「ん? なにが?」

「俺、━━お前嫌いだわ」

「……え」

 初めて、霧島の瞳が動揺に揺れた。

「いや、霧島が悪い訳じゃない。完全に俺の感じ方の問題。俺さ、綺麗すぎるもの駄目なんだよな。なんかこう、自分とは違うんだって見せ付けられてる気がする。だから、霧島は無理かも。綺麗すぎて、近付きづらい」

 物理的な意味もこめられていた。霧島は、美形だと称するに相応しい美貌を持っていたのだから。
 霧島遠矢からすれば、堪ったものじゃないだろう。突然絡まれて、快く対応すれば、それを理由に一方的に嫌いだと告げられて。理不尽極まりない。
 悪意を込めたつもりはないが、孝人自身、ひどいことを言っている自覚はあった。だから、拳の一つくらいは受け止めて見せようと、彼からのアクションを静かに待っていた。
 霧島は。

「……は?」

 霧島は、笑っていた。やっぱり、不純物のない綺麗な笑顔で。

「ん、そっか。それは仕方ないね。人間、誰だって人それぞれ。好みも人それぞれなんだから。俺は君のお眼鏡には叶わなかったってことかあ。んー、残念」

 ヘラリと、怒っても悲しんでもいない、あまりに綺麗な口角の上がり方。
 孝人は、衝動的に叫び出したくなった。

 ━━なんだこれ。なんだこれ。なんなんだこいつは!
 怒るだろう。何様のつもりだと怒鳴ればいい。俺ならそうしている。いや、普通そうだ。気の弱い人間でも、こんな風に笑えたりなんてしない。不純物なく、笑える筈がないのに。

 何もない空っぽな霧島の清廉さが、恐ろしかった。

「……帰るわ」

 無人だと思っていた教室へと、向かう原因となった忘れ物の存在すらも忘れて、足を引く。一刻も早く彼の傍を離れたかった。

「うん。また明日ね、堂本くん」

 テニス部のエースを飾るわりに、日に焼けていない白い指がヒラヒラと揺れているのが視界の端に見えた。

 ━━嗚呼、気分悪い。

 最後の最後まで、最悪の態度であることを自覚しながらも、孝人は振り返ることなく教室を去った。



 キン━━
 バットが玉を打ち払う音がする。ぼんやりと、どこまで飛んだんだろう、なんて『彼』は考えてみる。
 音がなくなる。再び、昼間の喧騒が失せた別世界のような教室で一人、『彼』は呟いた。


「……あーあ。嫌われちゃった」


 その日初めて霧島遠矢が感情を乗せた声は、誰にも拾われることなく夕闇の空に拡散していった。

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