僕の恋人は僕が嫌い

椎名

堂本孝人は注目する。


 埃が窓枠に残ったままの煤けた窓から、少しだけ日の光が射すような、そんな陰気な廊下の真ん中で、『そいつ』とすれ違った。
 相変わらず『あいつ』の周りは人が絶えない。うるさい笑い声と、話し声と、『そいつ』の控え目に押し殺した苦笑が聞こえるだけ。

 綺麗な笑い方をする。彼━━霧島遠矢に一瞬だけ視線を寄越した堂本孝人は、ぼんやりと頭のすみっこで呟いた。三歩歩けばもう忘れているような、そんな至極どうでもいい呟きだった。

 堂本孝人から見た霧島遠矢は、『人気者の優等生』だ。誰とでも分け隔てなく穏やかに対応し、その場の空気を的確に読んで最善の選択が出来る理性の塊。差別と自身の感情を切り捨てた完璧な人格者。場の調整者。平穏の象徴。彼が現れれば、どんな荒場も丸く収まり見事な手捌きで解決へと導かれるし、思春期の不安定な少年少女の心の叫びすらも凪いだ草原の如く受け止める彼は、迷える人々の心の拠り所になっている。彼専用の相談ラインすら存在するくらいだ。
 当然、後輩・同級生からの信頼は厚く、先輩にすらも甘えられ、教師には生徒があるべき姿の模範として一目置かれている。ここまで人間として出来上がった我が校自慢の名物生徒を、知らない在校生はいないだろう。━━そう、同じクラスでありながら大した接点も持たない堂本孝人は他人事のように思った。

 霧島遠矢の周りには人の影と笑い声が絶えない。それは、彼が生徒会長を務める生徒会の仲間であったり、部活の先輩後輩であったり、クラスメイトであったり、はたまた、他クラスや他学年であったり、様々だ。毎日顔の違う客人が訪れる。けれど、共通して言えるのは、皆笑顔であること。彼へひどい顔をして泣き付きに行った者も、最後には晴れやかな笑顔で礼を述べて去っていく。同じ教室を共有するだけあって、孝人は何度もそういった場面に遭遇してきた。
 だからこそ思う。━━お綺麗すぎて、自分には合わない、と。
 彼の腹が実は黒いだとか、そんなことを疑っている訳ではない。ただ、あまりに人間味がなさすぎるそれは、舞台の上の張りぼての役者観賞としては見応えがあっても、現実で眺めるとなるとどうにも気味悪く感じてしまうのだ。

 人は競う生き物だ。否、それは動物としての本能なのかもしれない。妬みなのか、単なる嫌悪なのかは判別付かないが、あまりに出来すぎている彼を快く思わなかった人間がいなかった訳でもない。しかし、胡散臭いと真っ向から否定したある生徒に、彼はそれはそれは明朗に笑って見せた。ある種、剽軽とも言える中身のないへんにゃりとした笑みだった。そして、
「俺もそう思うよ。でも、中身は意外とそんな大したものでもないから買い被らないでよ。努力ですよ。ど、りょ、く。あ、なんなら今からカラオケでも行って親交深めてみる? 俺がどれだけテキトーな人間かわかるよ?」なんて肩を組んで豪快に誘って見せたのだ。これには、敵意剥き出しだったその生徒も、霧島遠矢を庇おうと身を乗り出しかけていた彼の取り巻きたちも、狐に化かされたように間抜け面を晒して静止するしかなかった。そして、あっさりと毒気を削がれてしまったのか、無謀にも霧島遠矢を断罪しようと名乗りを上げた勇者は、今ではすっかり霧島遠矢の友人その一と化している。

 霧島遠矢は、完璧でいながら反感を買わない程度に崩れた、非常に人好きのする人物だったのだ。素晴らしいと崇拝し距離を置くには、あまりにも近すぎた。親しみやすさが尋常じゃなかった。それも、彼の才能の一つなのだと言わんばかりに。
 それでも、関わらない人間からすればどうでもいい。どうでもよかった。

 ━━彼が、誰もいない教室で能面のように空を眺めている姿を見るまでは。

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