みんなは天才になりたいですか?僕は普通でいいです

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8.優しい人って……

「さて、ここに居ても仕方がないし、僕も教室に戻るかな」

 次の授業は確か数学だったな。準備をしておかないと。

 がさごそ。

 あれ? まじかよ。僕とした事が教科書を忘れるとは。困ったな……


「あの、文人くん……もしかして教科書忘れたの……?」


「うん、そうなんだよ。昨日家で予習に使ってそのまま忘れてきたみたいなんだ。うっかりしていたよ」


「そうなんだ……あの、もし文人くんが嫌じゃなかったら……一緒に」


 そう提案してくれたのは僕の隣の席の姫城(ひめじょう)詩歌(しいか)。

 今にも消えそうで、集中して耳を傾けていないと聞き逃してしまいそうな、か細い声だが、僕はその声が昔から嫌いではなかった。

 昔といっても高校に入ってから出会ったので約一年程度の付き合いではあるが。

 ちなみに詩歌に教科書を見せてもらいたいからわざと忘れたわけではない。

「姫城、ありがとう。助かるよ」


「ううん。気にしないで。ところで……文人くん、あのね、今日の放課後って時間ある……かな?」


「お、久しぶりに行くか?」


「文人くんが良ければ、お願いしたいな」


「いいぜ。今日は特に用事もないし。えっと、じゃあ一旦帰ってから着替えて、駅前集合でいいか?」


「うん」

短く返事をした後、にっこりと微笑んだ。普段から無口で大人しい子なんだけど、なんだかほっとけないんだよな。守ってあげたくなるって言うのはこう言う感じの事を言うんだろうか。

 そして放課後、僕たちが何処に行くかと言うと、それはクラスのみんなには内緒にしなければならない場所だった。

 一旦帰宅して、着替えを済ませ、駅前に向かって自転車を走らせていた。待ち合わせ場所に到着すると姫城が既に待っていた。

「ごめん、待たせちゃったみたいだな」


「ううん。私も今きたところだよ。今北産業だよ」


「今北産業の使い方が微妙に違うのはさておき、それはよかった。じゃあ行こうか。まずは切符を買いに行くか、姫城」


「文人くん、学校以外では……詩歌でいい」


「ん、ああそうだったな。詩歌。それにしても、今更改めて言うことでもないけれど、詩に歌でしいかって名前、良いよな。なんて言うか知的な雰囲気を醸し出してるよな」


「そ、そうかな?  ……ありがとう。そ、そんな事より早く切符を買いに行こうよ」


 どうやら照れている様子の詩歌に促され、隣町までの切符を買いに行く。僕の住んでいる家の最寄駅付近が寂れている訳ではないのだけど、隣町までの足を伸ばすにはそれなりの理由がある。


「文人くん、あのね、付き合ってもらっておいてなんなんだけど、こういうの嫌だったら……言ってね?」


「どうしたんだ急に。心配しなくても乗り気じゃなければ断るからな?」


「ううん。文人くんは優しいから」


 いやいやい。
 あ、「い」が一つ多かった。いやいや、この子は僕のことを随分と買いかぶっている。過大評価だ。

 僕は優しくない。ひねくれ者で性格の悪い、どうしようもない人間である僕だからこんな考えになるのかも知れないけど、人が人に優しくするのは、自分が人に優しくして欲しいからなんじゃないか、と思っている。

 人に優しくすれば人からも優しくしてもらえる。人に厳しくすれば人からも厳しい目で見られる。と、そう考えている。

 つまりは[人に優しくする]と言うのは自信のなさの裏返しなのかも知れない。

 世の中には見返りも求めず、善を振りまく人も中にはいるだろうし、そんな人達を見て自分もそうなりたい、そうでありたいと思う反面、決して真似出来ない、というかしたくない、とも思うのが正直なところだ。

「でもな詩歌、一見して優しく見える人程、本当は優しくなかったりするんだぞ? 僕は人に厳しく出来る人の方が尊敬できるけどな」

 そう、優しい人は自分にも甘い傾向がある。人に厳しくする人は自分も批判される覚悟が出来ているということだ。人のミスを一つ指摘すれば、指摘された人は、指摘した人のミスを何としても見つけてやろうと躍起になるだろう。

 そして[偉そうな事言ってるくせに、自分だってミスしてんじゃねーか!]と、もっともらしい屁理屈を述べて憂さ晴らしをするだろう。

 実にくだらない。僕はそんな目に合うのはまっぴら御免だ。まあ、中にはただ単に人を攻撃するのが好きな人もいるんだろうけど。


「うん? そう、なのかな……よく分からないけど、しいかは優しい文人くんが好きだけどな。……あ!  違っ、違くて、その……」

 優しい文人くんの[方が]好き、と言おうとして言い間違えたんだろうけど、なんかごちゃごちゃ考えるのが馬鹿らしくなるくらい、グッときた。けど、それは内緒だ。僕は騙されないぞ!

 そして、恥ずかしそうに俯く詩歌はそれ以降、電車を降りるまで一言も喋ることはなかった。

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