3分で読める短編小説集

執筆用bot E-021番 

珈琲店のマスター

「いらっしゃいませ」



 チリンチリンというベルの音とともに、マスターはそう言った。



 【珈琲亭】



 何のひねりもない名前のカフェだ。カフェというよりも、バーといった雰囲気が強い。木造のカウンターテーブルがあって、カウンター席しかない。子供や女性はめったに来ない。たまに老人が1人、2人いるぐらいだ。今日は誰もいない。



「いつもご来店ありがとうございます」
 マスターは言った。



 女だ。



 黒い髪をショートボブにしている。マスターなのに、メイド服を着ている。派手なフリルがついており、制服というよりかは、コスプレに見える。マスターの現実離れした美貌が、そう思わせるのかもしれない。



 佐伯がいつもここに通っているのは、静かだからだ。都会の喧騒がシャットダウンされて、異世界に紛れこんだような気分になる。そしてもう1つの理由は、マスターが美人だからだ。



 抱いてみたいとは思わない。触れると消えてしまいそうだ。そんな儚さのある美女だった。



「珈琲。いつもので良いですか?」
「ああ」



 マスターは豆を挽くところからはじめてくれる。ガリガリガリ。豆の潰れていく音が響いた。



「最近、物騒ですよね」
「そうだな」



「この店の向かいのアパート。殺人事件があったそうですよ」



「え?」
 知らなかった。
 警察が来ていた様子もなかった。



「新聞、あります」
 マスターは静かな口調で言った。



 差し出されたのは新聞の切り抜きだった。朝刊。『密室殺人事件』でかでかとそう書かれていた。



「密室殺人か。こんなの現実にあるんだな」
「事実は小説よりも……」



 ガリガリガリ。
 ミルを挽く手が止まる。
 考えているのだろう。



「奇なり」
 と、佐伯が続けた。



「奇なり」
 と、マスターは復唱するとふたたびミル挽きがはじまった。



 ××アパート。104号室。被害者は本田本介。窓もないアパートの一室で死んでいたということだった。背筋が冷たくなる。本田本介――。佐伯がこの後、会おうとしていた相手だ。



 佐伯の仕事は、ドローンなどのロボットの組み立てだ。プラグラムなどは別の部署が担当する。佐伯がやるのはあくまで、ハードウェアだけだ。部品の仕入れで本田本介とはモめていた。



「死んだのか――」
 実際に見ていないからか、現実感がなかった。



「しかも密室殺人。部屋には窓もベランダもない。入口のトビラにはチェーンとカギがかかっていたそうです。犯人は見つかっていません」



 マスターは淡々と述べる。



 ミル挽きが終わって、ペーパードリップに入っていた。珈琲の香ばしい匂いが漂いはじめる。



 推理、してみませんか?
 マスターはそう言った。



「いいね。まるで安楽椅子探偵だ」



 ハリイ・ケメルマンの小説『9マイルは遠すぎる』。その一言のセリフを聞いただけで、事件性があることを見つけ出して、実際に事件解明にまでいたってしまった。実際に現場に足を運ばなくとも事件を解決してしまうというやり方だ。



「密室殺人です。窓もベランダもありません」
 マスターそうつぶやいた。



「自殺の可能性は?」



 マスターはペーパードリップを続けたまま、新聞記事に目をやった。佐伯も新聞を読み返してみる。



 死因は、刺殺。
 誰かに刺されたのだ。



 凶器は発見されていないということだから、他殺には違いない。犯人が持ち去る他にはない。



 犯人は、本田本介を刺殺して、部屋を出て行った。しかし、トビラのチェーンもカギも閉ざされたままだったという。



「そういう場合、カギが開くまで犯人が、部屋の中に隠れてるってのが定石じゃないかな」



 第一発見者なり、警察なりが部屋に押し入る。カギが開けられた隙に、犯人はソッと忍び出るのだ。



 ゴボゴボゴボ。
 ペーパーを通過していく、湯の音がする。



「今朝、警察が捜査に入りました。ですが、犯人が隠れているようなことはなかったそうです」



「そもそも、窓もベランダもない部屋ってのは、どうなんだ? 隠し部屋とかあるんじゃないか?」



 綾辻行人先生なら、そういう小説を書くだろう。



「いいえ。隠し部屋もありません」
 マスターはまるで見てきたかのように言う。



 でも実際、佐伯も仕事に関係で本田本介の部屋に何度か行ったことがある。別の取引先に奪われそうだったので、何度も談判しに行ったのだ。



「換気扇とか通気口なんかはなかったのかな? そこから凶器を投げ飛ばす――とか」



「凶器は発見されてません。それでは凶器を回収ができないのでは?」



 珈琲ができた。
 佐伯の手前に置かれた。
 香りが鼻腔をくすぐる。



「よくある手法を考えるなら、尖った氷だな。じきに溶ける」



 マスターは首を左右にふった。
 ショートボブの黒髪が揺れる。



「そもそも通気口のようなものは存在しませんでした」



「そうだな」



 佐伯もよく知っている。本田本介の部屋はまるで独房のようだった。トビラ以外にはイッサイ出入口がないのだ。



「なら、犯人は本田本介を刺し殺した後、部屋を出た。そして、なんらかの方法で外からカギを閉めたんだ」



 カギは合鍵を使えば外からでも閉められる。チェーンは――。きっと何か仕掛けがあるのだ。



「トビラに何か仕掛けられた形跡も発見されておりません」



「ヤケに詳しいな」



 なぜ、そんなに詳しいのか……。マスターは悲しげに眼を伏せていた。まさか、あんた……。



 いや。
 それはないだろう。



「ギブアップですか?」



 マスターが佐伯の目の前に置かれている珈琲に目をやった。飲め、ということだろう。飲む。熱い。苦い。でも美味い。珈琲が佐伯の脳をたたき起こしてくれる。



「犯人は合鍵を持っていた。外から本田本介を呼び出した。本田は用心深くチェーンをかけたまま、トビラを開けた。その隙間から犯人はナイフを突き刺した。これならどうだ?」



 本田は死ぬ。
 チェーンはかかったままだ。カギは合鍵で閉めれば良い。



「本田本介はベッドの上で眠っていたそうです。玄関で刺殺されたような形跡はありません」



 なら――。
 ならば――。



「うちの会社で作ってるドローンなら、チェーンがかかってる程度の隙間なら、忍び込める。そしてドローンに本田本介を殺させることができる」



 ドローンでなくとも良い。
 小型のロボットなんかもある。



 マスターは氷のように感情ない目で、佐伯のことを見つめていた。



「そうですね。それが正解なのかもしれません」
「もし事件が実際に起こっていたとしたならな」



「……」
 マスターの返答はない。
 佐伯は珈琲をすすって続けた。



「ここに来る途中、本田本介のアパートを見たけど、警察はいなかった。だいたい、今朝起きた事件なのに、もう今朝の記事になってるのは変だろう。しかもこの新聞は切りぬきだ。マスターがつくったニセモノの記事だ。そうだろう?」



「はい」
 否定しなかった。



 器用なことをやる。



「ありがとう。でも、いい気分転換になった」



 ドローンを使って、本田本介を殺そうとしていた。それはこれから佐伯がやろうとしていたことなのだ。マスターは佐伯のその感情を的確に見抜いた。こんな用意をしているのだから見抜いたとしか思えない。ここに通いつめていたから、見抜く時間があったのだろう。



 おそろしい観察眼だ。



 今のヤリトリは「殺人なんかしても、捕まりますよ」というマスターからの警告なのだろう。



 珈琲を飲み終えた。



「じゃあ、オレは行くよ」
「はい。またいらしてください」



 マスターは頭を下げた。



 殺人なんて考えるもんじゃないな――と佐伯は苦笑するのだった。

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