ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

迷炉の最中



「なるほどな」

 幾ら迷っていても、その間に構造が変化しない限り、戻る事は出来る。最初の大空洞までは何の変化もないまま戻る事が出来た。二人の姿が見えないが、『赤ずきん』が居るのに気づかないなんて事は無いだろう。まがりなりにも彼女は自分の買った商品だ。彼女に期待しないのは、即ち己への不信に他ならない。

 自分に自信が無い男が、今まで殺人鬼として生きてこれただろうか。答えは『あり得ない』。少なくとも実力には自信を持っているから、『闇衲』は生きて来れたのだ。心の弱い奴では、人を殺し続けるという虚無には耐えられないのである。

 なので赤ずきんの事は信じている。一時はフィーのせいで不良品にされ、処分も考えたくらいだが、決断を下さなかったのはそれこそ英断だったかもしれない。

「何か気付いたんですか」

 シルビアの疑問に、『闇衲』は「ああ」と言ってから、少しの間を挟んで言った。

「何となくな」

 無作為に掘ってあると思っていたが、仮にこの考えが正しいのだとしたら、この洞窟は中々に面白い。利便性は皆無だが、挑戦状として受け取ろう。この寒さで『闇衲』は凍死するか、それともここの特異性が無力化されるか。

 勝負と行こうではないか。

「取り敢えず、もう一度歩くぞ」

 この予想が正しかった場合、この身体に纏わりつく寒さは激増する事になるが、その時はシルビアを防寒具替わりにでもして対処するとしよう。衣服なんかと比べると随分重たいが、寒さに凍え死ぬよりはマシだ。
















 歩き出して一時間が経過した。進むにつれて『闇衲』の表情は確信のあるものへと変化したが、シルビアには一体何が何なのか全く掴めなかった。これまでにも尋ねるべきかと何度思ったか分からないが、彼の手応えを掴んだ表情を見ている内に消滅してしまうので、これで四回目。

 ―――どうしよう。

 知らなくとも、彼の庇護下に入っている以上は目的地には辿り着ける。だから極論を言えば、質問をする必要はない。『闇衲』さえ知っていれば良い事なのだ。これは。だからこの質問を分類するなら、『興味』の類に入る。聞かなくても良い。聞いた所で事態の解決が早くなるのかと言うと、決してそういう訳ではないから。

 だが一般的な子供として、知らない事柄はどんどん吸収していきたい。それがいつか二人の役に立つのなら、こちらとしても本望だ。シルビアは隣を歩く殺人鬼を一瞥した。

 顔は怖いが、もう見慣れた。機嫌が悪い訳ではない。むしろ何処か、良さそうにさえ見える。表情から感情の機微を見分ける事が出来るくらい、彼との付き合いは存在するのだ。恐れる必要が何処にある。

 聞くは一時の恥、聞かぬは何とやら。

 子供の内にたくさん知っておかないと、後で後悔するのは自分だ。勇気を振り絞って、シルビアはか細い声を出した。

「あ、あの!」

「何だ?」

 声音から機嫌を判定……やはり怒っていない。そうと分かったら、抑圧された声が不自然に大きく出た。

「殺人鬼さんの考えって、合ってたんですか?」

「この洞窟の法則性の事か?」

「はい。私には、何も変わってない様に見えるんですけど」

 実際変わっていない。無数に分岐の仕方、数が違うだけで、分岐している事に変わりはないし、壁が土である事も変わっていない。認識が正しければ、歩いたルートは変わっている筈である。

「……お前、今寒いか?」

「え? いや寒くは無いですけど」

「そうか。じゃあそれだけで説明するのは難しそうだな。そうなると……一度戻るか?」

「戻るんですかッ?」

「嫌なのか?」

「そういう訳では無いんですけど。戻ったら分かるんですか?」

「…………ここに来るまで、どんな道のりで来たか覚えてるなら、分かる筈だ」

 ここに来るまでの道は……代り映えしない景色とはいえ、ちゃんと覚えてる。景色で覚えたのではなく、正確には方向と歩数で覚えているだけなので、それを反対にしなければならないのは手間だ。

「はい。大丈夫だと思います」

「そうか。じゃあ一度戻るぞ。言葉だけでも説明出来るが、お前の教育上、実際に見せた方が早いだろう」

 文句一つ言わず、『闇衲』は来た道を引き返し始めた。それはごく当たり前の事にも思えるかもしれないが、効率を優先するならこんなお願いは聞く必要が無い。自分で言うのも何だが時間の無駄だ。

 そんなお願いを快く引き受けてくれる事に、シルビアは驚いていた。普段の彼を語れる程付き合いは長くないが、その分深い付き合いはしてきた。死と隣り合わせの状況を、この殺人鬼とともに過ごしてきた。だから少しは分かる。その人の性格が。

 彼は確かに優しいが、それは彼にとっても好都合になるからであって、そういう行動は遠回しな利己の追及とも言える。しかしここで踵を返すのは、何をどう考えたって不都合にしかならない。シルビアの為にはなるが、果たしてそれが彼の利益でもあるのかと言うと……利益と言えば利益かもしれないが。この洞窟の法則性が分かった所で、この先どこで役立つと言うのだろうか。大陸全てにこの洞窟が根付いているならともかく、そんな馬鹿な話は無い。


 なのに…………


「殺人鬼さんって、そんなに優しかったですか?」

 誰が相手でも失礼極まりない質問が、気が付けば口を吐いて出ていた。温厚な人でも、こんな質問をされたら内心穏やかでは無いだろう。上手く言葉には出来ないが、モヤモヤする筈だ。

 温厚ではない『闇衲』であれば尚の事穏やかで済む筈が無かった。彼は露骨に渋面を浮かべて、こちらを見ている。

「あ、ご……ごめんなさい! 変な事言って!」

 殺される……とまでは行かなくても、殴られる事くらいは真っ先に覚悟した。シルビアはそれくらい失礼な発言をしたのだ。いつもいつも無礼な発言をしているリアが殴られるくらいだから、自分も同じ目に遭ったって仕方ないと……そう思った。

 だから目を瞑って覚悟したのだが。どうした事だろうか。拳がいつまで経っても振り下ろされない。恐る恐る目を開くも、特段『闇衲』は何も構えていなかった。

「優しい、か。そんな事を言うのはお前とリアと、後もう一人くらいなもんだよ。あり得ないだろ、それ。俺は人殺しだ。優しい人殺しなんてこの世には居ない」

「そう……ですけど」

「しかし、な。俺は異常者の自覚こそあるが、己の機嫌すらコントロール出来ない様な狂人になった覚えは無い。別に怒ってないさ。むしろ、変に思うのが当然とも言える」

「でも……」

「そもそも学校だって、お前が行きたいと言ったんだから行かせたんだ。俺はああいう建物自体、反吐が出る程嫌っているが―――元々、お前にだけは特別優しくしている。お前に優しい理由はそれだけだ」

「何で―――私だけ。普通はリアじゃないんですかッ?」

「アイツは俺の娘だから、厳しくする事もある。だがお前はそんなアイツの友達だ。俺はアイツの父親にはなれても、友達にはなれない。お前しか居ないんだよ、リアと友達になれるのはな。だから優しくしてる。まあ厳密にはお前も娘みたいなもんだが……父親ってのは、多分こんな感じだろ」

 『闇衲』はシルビアの頭に手を置くと、頭頂部を力強く掴み、強引に前方を向かせた。




「―――ほら。こういう事だ。もう分かったんじゃないのか?」




 目の前の景色はやはり代わり映えのしない土の通路。しかしその分岐はというと―――

「…………分かれ道が、減ってる!」

 分かれていた筈の通路が、戻った時には一本道になっていた。

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