ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

寒冷洞窟

 髪の毛を引っ張り上げて、『闇衲』は自分の目線まで少女を持ち上げた。

「こんなに冷え込んでるとは聞いてないぞ」

 標的とした洞窟に向かったはいいが、その入り口は大陸の季節を無視した明らかな寒冷地だった。この大陸に冬は無い。異常気象でも起きない限りは冷え込む事など無いのに、この洞窟の内部は。まるで凍てついているかの様に寒い。

 『闇衲』は何でもないが、年端も行かぬリアは寒がっていた。

「ううう…………寒いよお」

「シルビア。お前は大丈夫なのか?」

「は、はい。どうしてか……特別寒いという事は無いです」

「ほう。実に興味深い。お前は元々寒冷地で生まれたんじゃないか? 寒冷地に住み続けた住人の身体は長い年月を経て寒さに強くなっていく。お前もそういう体質なのかもな」

「そうなんでしょうか」

「いずれにしても、助かった。衣類を取りに行くのは面倒だからな。お前が寒くないなら、面倒が一人で済む」

「狼さん、私にも聞いてくださいよッ」

「お前が寒い訳無いだろ。あんまり調子に乗ると刻むぞ」

 一度流れを完璧に処理した後、『闇衲』は本来構うべき相手に視線を向けた。大分放置してしまったので、リアは頬を膨らませてナイフを突きつけてきた。

「娘を放置するなんてしんっじられない! それでも父親なのッ?」

「すまない。放置するつもりはなかった。寒いか?」

「寒いに決まってるでしょ! 私は『赤ずきん』みたいな無神経でもシルビアみたいな阿呆でもないのッ。と言う訳でパパ、服貸してよ」

「そのつもりだが、二人の神経を逆撫でするな。何勝手に不和を招き寄せてんだ。全く……ほらよ」

 無造作にコートを脱いで、投げ渡す。受け取ったリアの姿が消えたのは、二人の間にまだまだ体格差がある証拠だ。

「……ぷはッ! 窒息するかと思ったわ!]

[んな被ってないだろ。馬鹿な事言ってないで行くぞ」

 子供の文句に一々対応しているとキリがない。雑談も程々に、『闇衲』達は洞窟の中へと足を踏み入れた。

 吹き付ける風は痛い程に冷たく、瞬く間に末端の感覚を奪い去っていくが、それについて喚くのは寒さに何の耐性もないリアだけだった。因みに自分は、トストリスに居着くまでは各大陸を転々としていたので、こういう気候変動には慣れている。理由としてはシルビアに似ている。

「一本道が続くな」

「いえ、ちょっと待ってください。ほら分かれ道がありますよ」

 『赤ずきん』の言う通り、入り口から五分程歩くと、巨大な空洞と共に、三つ程の分かれ道があった。ただしその内の一つは壁の中間から穴として存在するので、あそこに入ろうとするのは止めた方がいいだろう。入ったとしても、十中八九直ぐに行き止まりになっている。

「どっちに行きましょうか」

「私はパパと一緒がいいな!」

「あーちょっと待て。お前等が介入すると話が拗れる。俺が独断と偏見で決めるから、口を挟むな」

 『赤ずきん』は取り敢えず餌さえやっておけばまともな戦力として期待出来る。シュタイン・クロイツの一人をタイマンで撃破するくらいだから、リアへの抑止力としては合格だ。だが仲の良さで言えばシルビアの方が良いだろう。士官学校でも魔導学校でも何でもいいが、そもそも学校が存在している時点で、そこはある程度平和で栄えている証拠である。『闇衲』は学校になど通った事が無いが、それでも一緒に居て心地よい人と何かをした方が楽しいなんて、分かり切ってる。自分で言えば―――『吸血姫』とかか。どうもこちらの抱いている感情とあちらとでは差異があるが、まあいい。

「『赤ずきん』。お前は俺の反対な」

「ええ。いいですよ」

「……やけに素直だな」

「どっかの馬鹿とは違って『狼』さんに迷惑を掛けようとは思いませんから」

「ちょっと! 何で私の方を見るのよッ」

「さあ、何の事でしょう」

「おい。俺の話を聞いてたか? …………シルビア」

「は、はい。何でしょうか」

「先頭に立つのは俺と『赤ずきん』だ。お前はどっちに行きたい。要望を聞かせてくれ」

 シルビアは目を丸くして、首を傾げた。

「介入したら話が拗れるんじゃ…………?」

「お前は良い子だから、特権だ。まあどっちに居ても邪魔じゃないしな。どっちが良い?」

「じゃ、じゃあ……」

 リアに気を遣わなくても良い、と言おうとしたが、唐突に選択権を渡されてそこまで気が廻らなかったらしい。シルビアはおずおずとこちらまで近寄って、『闇衲』の手を握った。その行動によって著しく機嫌を悪くした者が居たが、幸か不幸か彼女は自分がとった行動に羞恥を感じている様で、それに気づく事は無かった。

「そうか。じゃあリア」

「私もパパと一緒に行く!」

「駄目だ。『赤ずきん』、連れてけ。右な」

「仰せのままに……なんてね。ほらリア。行きますよ」



「いやああああああだああああああああああ! パパと行くううううううううう!」



 我儘な娘の叫びは、木霊となって洞窟の中で反射。いつしか虚空に馴染み、消え去った。何度か技を掛けようとしたみたいだが、『赤ずきん』相手に殺人の技術を使っても殺せやしない。活動休止にすら追い込めないだろう。

「じゃあ行くか」

「はい!」

 リアが居なくなると、途端にシルビアの表情が明るくなった。いや、素直になったと言った方が良いだろうか。普段は彼女のアクティブさも相まって、きっと気を遣ってるのだろう。今くらいは素直に感情を表してもらいたいが。


 














 左の道を進んでいると、ある事に気が付いた。そもそも洞窟の中から凍てついた風が吹き込んでいる時点で不思議だったが、この洞窟。もしかして当初は迷宮だったのだろうか。迷宮が長い年月を経て特性を失い、只の洞窟になるなんて聞いた事もないが、そうとしか考えられない位、不思議で面白い構造をしている。

「意外と広いな」

 道から道へ、空間から空間へ。行き止まりかと思えば壁に罅が入っていて、それを壊せば次の部屋が出てくる。そして気のせいか、奥へ進む毎に寒さが増している気がする。流石に寒い。


―――どうなってる。


 只の洞窟ではない事は確かだが、『赤ずきん』はこの辺りに迷宮なんかないと言っていた。彼女の『試行』を信じるかによって話は変わってくるが、いずれにしても普通の状態ではない。観光名所になりそうなものは存在して居そうだが、洞窟内部の資源は貧層を超えて皆無だ。しかし森と繋げるには、やはりまずこの異変を解決しなければならない。

 この異常なまでの寒さのせいで休む事もままならないので、早い所行動の方針を立てたい所だ。

「シルビア、何か感じるか?」

「いえ。特に何も」

「そうか。命の危険は特にないって事か」

 指を舐めて、風向きを調べる。何か仕掛けがある筈だ。内部から風が吹いてくるのなら、きっとその元凶が居る。

「……二番目か」

 ハズレを引いたかもしれない。あっちはどうなっているだろうか。















「これは困りましたね」

 先程の空洞は何だったのかと言いたいくらい、道ばかりである。松明は即席で用意したものの、ここまで道ばかり続くと、探検というより歩行しているだけに近い。

「つまんないだけど。どうしてくれるのよ」

「私に言われても知りませんよ。この洞窟に文句を言って下さい」

「やっぱり私パパの所に行く!」

 それは駄目だ。リアをあちらに行かせると怒られるのは自分。有無を言わさずリアの五指の隙間に指を挟み、掌を強引に捻じ曲げると、痛みで動きが止まる。

 減らず口は止まらないが。

「離せ! 今すぐ話せこのクソ人形!」

「誰から聞いたんですかそんな事……作られた事実は認めますが、これでも人間ですよ。貴方と同じね」

「良い年して殺人鬼やってるおっさんに色目使いやがって、気持ち悪いんだよ!」

「ええっと……何処から突っ込めば良いか分かりませんが、取り敢えず全方位に喧嘩を売るのをやめましょう。それに関してはお互い様ですし」

 どうしても彼の所に行きたいらしいリアを宥めつつ、『赤ずきん』は道中の事を振り返っていた。あまりにも情報が少ないので、簡単に振り返る事が出来る。一本道という訳では無かったが、左へ行ったり右に行ったりしていただけで、何の変化も無い。そして残念な事に、道中に仕掛けがある訳でも無かった。見逃したなんてあり得ない。『赤ずきん』に限っては、絶対に。

「『狼』さんの方はどうなっているんでしょうか……」

「もー分かったわよ。先に進んでパパとぎゃふんと言わせましょうか」

 微妙に意味が分からないが、リアが進む気になってくれたので、引き続き単調な道を進む。足元が悪く、途中で躓きそうになったが、これも人が立ち入ってない証拠だ。つまりこの先に何があるかどうかは、全くの未知。


 正直、ワクワクしている。



 その期待に応えるかのように、またも二人の前に選択肢が現れた。



「……どうやら通常の洞窟とは言えなさそうですね」

「でも自然に出来たとも思えないわよ。手掘りかしら」

「これだけの規模を手彫りしていたら、名前くらいついて良さそうなものですが。それと認知度も」

 直進か、下か。どちらに行けば、よりワクワクするだろう。

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