ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

父と人と殺人鬼と

 碌に学校には関わっていないので、こうして校舎を歩くのも、随分久しぶりな気がする。『闇衲』は自身の胸に顔を埋める少女を抱えながら、極限の警戒を敷いて学校を歩き続ける。洗脳された事による能力の低下もなく、校舎全体の気配は察知出来ているつもりだ。その上で言うと、気配はおよそ二つ。この小ささから、子供だと分かる。リアと同じくらいの……同級生、だろうか。学校の概念は良く分からない。

「リア、お前友達は居るか? シルビアは無しだ」

「シルビア無しの友達? 結構居るけど、何で?」

 彼女は自分の存在にすっかり安心しきってしまった様で、マグナスとの戦いで研ぎ澄まされたはずの能力が全て鈍になってしまっている。全くどうしようもない娘だ。しかしここまで彼女を鈍にさせた要因は自分なので、何も言うまい。直前に好きなだけ甘えてくれと言ったばかりなのだし。

「いや……良く、作れたな」

「何それッ。私の事馬鹿にしてんの? 言っとくけど、言っときますけど! パパよりもずっと私は凄いんだから」

「凄いのは知ってる。そういう事じゃなくてな」

 元々は普通の少女にしても、この世界においては『闇衲』の娘、殺人鬼が育てた娘だ。全く子供を育てた事が無い訳ではないが、それでも他の親と比べるとその育て方は酷く歪である。リア本人はそれを憎む処かむしろ感謝している節があるが、その結果が自分に対する依存だ。好きなだけ甘えても良いと言った手前(彼女の努力と苦労に対する報いを与えたつもりである)、突然『甘えるな』とは言えない。

 だがこれだけ依存されると、果たして彼女は自分を失った時にどうなってしまうのか。不安で仕方なくなる。

「お前は俺の娘だろう。それは普通とは違うという事だ。お前はその違いを感じなかったのか?」

「違い……違い? 違いなんかあったかしら。皆、私と同じ普通の子だったと思うけど」

「俺の娘であると自覚しておきながら、よくそんな口が叩けたものだな」

「だって、変わってたら覚えてるだろうし。覚えてないって事は、普通って事でしょ?」

「……本当に感じなかったのか?」

「うん」

 もしかすると、聞いた時機が悪かったかもしれない。今のリアはポンコツ同然だ。今まで自分が居なかった事による心的負担を抑え込んでいた反動で只の甘えん坊になってしまっている。これでは普通の子を自分と同類と捉えてしまっても仕方ないだろう。彼女の年齢は、まだ親の事が大好きな年齢なのだから。

 引き続きリアを抱きしめながら、一言も発する事なく階段を上った。今は気配の所を目指している。リアの知り合いかどうかは判断できないが、知り合いであれば面白いので、足音は極力殺している。

「友達にはどんな奴が居るんだ?」

「何、パパ。私が友達にとられちゃうのが嫌なのぉ? 安心して? 私はパパだけの物ったあああああああ!」

 うざい。鬱陶しい。甘えても良いとは言ったが、調子に乗れとは一言も言っていない。抱き締めた状態で首を絞めつけると、リアは足をバタバタさせた。しかし、それだけだ。『闇衲』から離れようとする気が欠片も見受けられない。

「―――お前、さては全然効いてないな?」

「あ、バレ―――」

 どうやら危害を加えすぎて耐性が付いてしまった様だ。刺激にならないお仕置きに意味など無いので、『闇衲』は久しぶりに自分自身に掛けていた枷を排除する。


 娘相手にこんな事をするつもりは無かったのだが、どうやら少しばかりきついものが必要らしいから。


 軽く息を吸って力を籠めると、余裕の残っていた彼女の声が一変した。

「イ゛ッイイイイイイイイイイ!?」

 少女の矮躯に、成人男性の腕が沈みこむ。骨が軋み、指先は震え、その双眸は今までにないくらい見開かれた。時間にして数秒。少女の身体が崩壊する寸前まで力を籠めた後、急激に脱力。今度は優しく彼女を抱きしめる。

「流石にやり過ぎたか。これに懲りたら二度と俺をからかうんじゃない。甘えるのとおふざけは違うから…………リア?」

 こうして彼女の全身を抱き留めているから分かる事だが、あまりに力が抜け過ぎていた。ひょっとしなくてもこれは気絶しているのだろう。または強すぎる痛みで喋る事もままならないか。

 一度立ち止まり、彼女が動き出すのを待つ事にする。

「…………………………………………リア」

「―――ッの」

「ん?」



「パパの―――バカッ!」



 出し抜けに放たれた頭突き。それもこの距離では回避する事もままならず、『闇衲』は背後の壁に激突。後頭部が一気に沸騰した様に熱くなった。

「クソ痛いじゃない! 何してくれてんのよ!」

「女の子がクソとか言うな」

「今更普通の父親面すんなってんだよこの馬鹿! 何処のパパが娘の背骨を壊そうとすんのか言ってみろや!」

「一応止めたぞ」

「うっさい死ね! このロクデナシ! アンポンタン! 加減しなさいよ加減!」

 そう言って『闇衲』の肩をポカポカと叩く少女の拳は、マグナスと相対する前と比べると遥かに重く、鋭かった。ミコト程とは言わないまでも、かつての未熟な面影は何処にもない。『闇衲』は娘の成長を感じていた。

 これだ。これなのだ。殺人鬼である自分はどうやっても歪な存在しか育てられない。今だって娘の成長をこんな状況で感じているのだから、彼女も言った様に、自分が普通の父親をする事は間違っている。リアは自分のせいでまともではなくなってしまった。学校生活では間違いなく、齟齬が生じる筈なのである。しかし、本人の話では特に齟齬など無いと言う。それはどういう事なのだろうか。

「…………あれ、パパ? 張り合ってくれないと、私が馬鹿みたいなんだけど」

 口を閉ざしつつ、『闇衲』は真正面から彼女の双眸を覗き込んだ。綺麗な鮮血の瞳に光は無い。こちらの視線がどれだけ強烈でも、底なし沼の如く広がる彼女の瞳が吸い込んでしまう。

―――こんな父親が、まともな子供を育てられたとでも?

 父親として、どういう風に接するべきか。何を教えるべきなのか。自問自答を繰り返さない日は無い。どういう風にという方針が決まっても、人間は機械や人形とは訳が違うのだ。途中で『違うのではないか』と考えては、やはり『こうするべきか』と思い直し、それでも『違うのではないか』とまた考える。

 造られし存在とは違い、人間は一直線には歩けない。くねりぐにゃりと曲がって、折れて、捩れて進む。経験や信念と言う名の壁で囲まれない限りは、永遠に。リアに対する在り方が決まるまでは、もう暫く不安定な状態が続きそうだ。

「リア」

「ん?」

 殺人鬼でしかない自分には、殺しの事しか教えられない。世界殺しを望む彼女にはこれ以上ない教育役だろうが、学校に行くのであればそれ以外の事も教えなければならない。より厳密に言うと、殺し以外の事でも娘に頼られる様にならなければならない。

「学校生活で辛い事があったら、俺に言えよ」

 およそ父親らしさの欠片もない『闇衲』から出た一言はあまりに真面目で、殺人鬼から出たにしてはあまりに滑稽だった。その事にリアは失笑した。全く、娘くらい父親の事で笑える人物はいないのである。

「何してんの、リア」

 傍から見れば歪を超えて不気味さすら感じられるスキンシップを眺めている人物が、痺れを切らした様に話しかけてきた。それもその筈、父親とされる男は後頭部から多量の血を流していながら意にも介しておらず、それに抱えられる娘―――リアもリアで、その血を無視して男と会話しているのだから。どんな素人でも頭が急所だとは分かるだろう。そこから血が流れているのだから、本来ならば絶対安静を言い付けたうえで手当てをしなければならない。

 だがそんな常識は、この二人の前では通用しなかった。下手すれば死ぬというのに、どちらも『死』に対して何の恐怖も焦りも抱いていなかった。

「あ、イジナ!」

「イジナ?」

 リアは『闇衲』の手から離れると、一瞬でこちらまで接近して、抱き付いてきた。

「無事で良かったッ」

「……リアの、お父さん?」

「そう! 名前は―――」

「おい」

「―――パパは言いたくないみたい。ごめんね」

 イジナは二人を交互に見てから、リアに尋ねた。

「本当の親子、なの」

「あ、ううん違うよ。血は繋がってない。けど血が繋がってる人なんかより、私はパパの事が好きな自信があるわ!」

 誰もそんな事は聞いていない。胸を張ってリアはそう答えたが、誰一人としてその答えから話を伸ばそうという物好きは居なかった。彼女の父親でさえ、『こいつ阿呆だから』と言わんばかりの目線を向けて、流す様に促してくる。

「―――何で、ここに」

「全部終わったから戻ってきたのよ。何だか学校は綺麗だから、こうしてパパと見に来たの……嫌な臭いはするけどね。イジナは何でここに居るの?」

「……フィー先生に、呼ばれた。『χクラス在籍者はいつもの場所に集合って』」

「えッ、本当?」

 リアは父親の方を向くと、言葉も無しに首を傾げて、何かを尋ねる。父親は近くの壁に凭れて、「勝手にしろ」と目を閉じた。

「じゃあ行こっか! ギリーにも会いたいしッ」

 半ばリアに引っ張られる形で、イジナは校長室へと向かう事になった。     



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