ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

デウスエクスティーチャー

 パチ、パチ、パチ。

 パチ、パチ、パチ、パチ。

 当人達が聞けば怒られる事は間違いないくらいに、気の抜けた拍手だった。

「斯くして少女は己の愛を貫き通し、恋敵を一人殺した。世界を殺すその時まで、彼女の愛を貫く日々は終わらないのである」

 男は芝居じみた口調でそう言って、敵意剥き出しにこちらを睨みつける三人に肩を竦めた。神をも騙す瞳さえ、男の心を読み取る事は出来ない。男は人間だった。人間でありながら、それ以上の力を持ち合わせていた。

「いやあハッピーエンドハッピーエンド……何だ? 文句あり気な顔だな」

「当然でしょ。アンタ一体何者よ。これでも何千人と強い人間は見てきたつもりだけど、アンタみたいな化け物は初めてだわ」

「化け物、か。俺からすれば、腕力だけでここまで街を崩壊させたアイツこそ化け物だと思うけども。まあ、細かい事は良いじゃないか。彼の友人と戦っている間に『暗示』を掛けて鎮静化させ、目覚める直前になったらリアを配置する。そうする事であの二人の絆は更に深まった。何の問題がある」

「あるのはてめえだよ教師フィー。てめえだろ、相棒の名前を騙ってた奴はよ」

「それに、外の軍隊を壊滅させたのは貴方ですよね。俺には分かりますよ。貴方には俺を遥かに上回る実力がある。幾ら勝たない戦いが得意な俺と言っても、貴方を前にしてはそれすらも敗北してしまう予感がある」

 三人が三人とも、尋常でない敵意を向けてきているこの状況にも、フィーは笑って応えた。この世界における異端分子である立場は理解しているつもりだ。突然出てきて、覆しようもない状況を一瞬で覆してしまった今、誰も自分の味方にはなってくれないだろう。群生とは、弱者の持つ特性なのだから。

「それは鋭い予感だ。本気の俺に勝てる奴がこの世界にどれだけ居るか。不信感を持つのは分かるが、俺の動機は至って単純なものだ」

「聞かせてもらおうじゃねえか。事と次第によっちゃあ、今すぐここでてめえを殺す」

「別にそうしてくれても構わないが……さっきも名乗った通り、俺は教師であり、リアの所属する特別クラスの担任だ。たとえレスポルカが滅ぼうが、レガルツィオが滅ぼうが、生徒を守るのが俺の仕事。これも仕事の一種だ」

 仕事だからと言って簡単に軍隊を止められる奴が何処に居るのだろう。彼が来ないのならばミコトが相手をする気だったが―――いや、感謝はしている。手間が省けたという点で、自分の正体を隠し通せるようになったという点で感謝はしている。

 だがそれだけだ。強すぎる力が危険すぎる事を、ミコトは自分自身から理解していた。そして自分の遥か上を行く実力者など久しぶりに目撃した。目の前の人物は紛れもなく人間であると本能で分かっていながら、その思考は決して彼を人間とは認めなかった。 

「俺は飽くまで後始末をしただけ。まさかこの戦いの当事者に正体を気付かれるとは予想外だったがな、人形師ゼペット。お前以外は皆、俺の関与を知らない。裏方は最後まで舞台に上がるべきではないんだ」

 参考までに、イヴェノはフェリスを回収して、下の階で休憩をしている。シルヴァリアはゼペットに抱っこされているが意識は無く(厳密には、意識が無いと思い込まされている)、自分の存在を認識出来ているのはこの場に居る三人だけだ。事態の収束までは誰にも見つからない様に動き回ったので、ゼペットが一番最初に自分の存在に勘付いたと思っていいだろう。

「……さて、一つ尋ねよう。俺を殺すか?」

 抵抗するつもりはない。どうせ彼に自分は殺せないのだ。大人しく顔を差し出すと、ゼペットは渾身の力を振り絞った一撃をフィーの頬へ。魔力が一点に込められた拳は命中した瞬間に衝撃波として周囲に散布されたが、それでもフィーの身体は微動だにしない。文字通り渾身の一撃を放った事でゼペットの腕は人体とは思えない曲がり方をして破砕した。

「……これで勘弁してやるよ」

「満足したなら幸いだ」

 フィーはポケットに両手を突っ込んで、『闇衲』に抱き付く少女を見遣る。趣味の悪い事に、もぎ取ったマグナスの首を立てて、その視線上で意図的に甘えていた。彼の意識が無いのを良い事に、彼の服に潜り込んで、顔を出すなど、一種の変態行為までしている。二人の体格差があるからこその芸当だとしても、恐らく意識があれば彼は何としてでもその行為を阻止しただろう。

 しかし少女の顔には、穢れた感情が無い。偏に父親を取り戻せたという喜びだけに満ちていた。その身体は傷だらけで、迂闊に動けば傷口を広げる結果にもなるだろう。その事は途中で血反吐を吐いたりしている彼女も分かっている筈だ。それでも、彼から離れようとしなかった。幾ら自分が簡易的な回復を掛けたとはいえ、ここまでの活力を生み出す程の回復は掛けていない。何ならそういう回復は爆弾魔の一人娘―――フェリスに掛けてしまった。

 自分が発見した時、彼女は相打ちを果たしたらしく虫の息だったのだ。それに掛けた回復に比べたらリアへの対処など小瓶一杯程度に等しいのに、結果として動けているのはリアの方となっている。あちらは保護者に引き取られた上で絶対安静が必要だと言うのに、この違いは何だというのか。

「まだ、何かするのですか?」

「いや、外の軍隊も壊滅させたし、レスポルカも出来る限り生き残りは保護した。政権はとうの昔に崩壊して、暫くは無政府状態が続くだろうが……もう俺のする事は無いだろう。帰る」

「帰る? 何処に」

「レスポルカに決まっている。そこに勤務しているからな。これでも自分の起こした事への尻ぬぐいはちゃんとするつもりだ。では―――これにて失礼します」

「待ちなさい」

 立ち去ろうとするフィーを、ミコトはその怪力で以て強引に引き留めた。握りしめられた二の腕からは骨のめり込む音がする。

「何だ?」

「アンタは後始末をしただけと言った。もしリアが負けてたら、どうするつもりだったの?」

「どうするもこうするも……勝ったんだから、もしもなんて考えなくていいだろ。二人の女が一人の男を奪り合い、結果としてどちらかが勝った。これは、それだけの話なんだから」

 仕草で手を離すよう求めると、物分かりの良い彼女はスッと手を離した。二の腕にはべったりと手の痕がついてしまったが、それも軽く撫でれば元通りだ。

 もう一度リアの方を見る。いつ見ても嬉しそうな顔だ。彼の意識が無いのに、一体どこまでの愛があればあんな嬉しそうな顔を浮かべられるのか。

「……良かったな」

 フィーが目を閉じたのに従って、空間は彼を虚空の中へと誘った。 













 もぞもぞとした感覚が、その意識を取り戻したと言っても過言ではない。首を少しだけ下に傾けると、何故か自分の服の中から、リアが生えていた。

「―――ッ!?」

 服の中に居るから強引に引っ張り出すにしても時間が掛かる。『闇衲』は服の中から生えているリアもろとも抱き締めて、全力で腕を締めた。

「ああああああああああぎゃああああああああああああ!」

 服の中から生えていた事が災いしている。たとえリアが脱出の達人だったとしても、この状況から脱出するのは至難の業だろう。背骨に掛けられる異常な負担に、リアは工夫も無く腹の底から喘ぎ声を挙げて抵抗する。

「やめやめやめぱぱぱぱあああああああ!」

「…………リアか」

 力を緩めると、少女は『闇衲』の胸の中でぐったりと倒れ込んだ。そして数秒後、何かに反発した様に起き上がり、口を尖らせた。

「もう、何するのよ!」

「いや、何か生えてたから」

「生えてたって……まあいいわ。何ともない?」

「お前こそ何ともないのか?」

 互いに尋ねあい、互いに首肯する。崩壊した都市の中で、二人は微かに笑い合った。果たしてその笑顔に含まれた意味は、当人達以外に分かりようもない。分かってはいけない。秘密は秘密だからこそ特別な関係を築ける。父と娘の間にある感情を、他人が理解しようとしてはいけない。

「ふふ、ふふふ」

「―――ふん」

 これまでの記憶が無い訳ではない。ゼペットの行方や、ミコトと『暗誘』の所在など気になる事はたくさんある。けれども今は、どうでもいい。

 今は、この瞬間だけは。

 彼女と共に、過ごしていたい。

「リア」

「なあに?」

「―――一人ぼっちにして、済まなかった」

 『闇衲』が素直に謝罪をしてきた事に、リアは子供っぽく目を見開いた。本来、父親の器でない殺人鬼がまともな教育を施せる筈もなく、それ故に謝罪などあり得ない事だった。


―――今までの『闇衲』だったら。


 この場に居る誰も知る由は無いが、自分は大切な者と約束をしたのだ。その者の忘却と引き換えに、リアだけを見ると決めたのだ。謝罪の一つなど安いもの。リアの笑顔が見られるならば、この身体は破滅と羞恥を厭わない。

「…………パパ!」

「ん?」

「―――お帰り!」











「――――――ああ、ただいま」

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