ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

人を嗤った末路

 ぼんやりとした意識が宿ったのは、きっと目の前の人間が自分に声をかけてくれたからに他ならない。リアが目を覚ますと、そこには何度も自分の体を揺らしながら、呼びかける人物が居た。

「パ…………パ?」

 『闇衲』だった。自分には滅多に見せない顔で、必死にリアの名前を呼び続けていた。彼の瞳から零れる悲哀が、滴となって体を濡らす。

「リア……大丈夫なのか?」

「…………う、うん」

「大丈夫なんだなっ?」

「うん」

 弱弱しい返事しか返せない。体中が痛くて、本当ならば一言だって喋りたくなかった。

 でも彼の娘だから。弱い女なんて風に、見られたくないから。

 殺人鬼の娘の矜持を、彼が知る由はない。こちらが無事である事を己が内で納得すると、『闇衲』は安堵から脱力。リアに覆いかぶさるように、倒れた。両者ともに体の限界だったのだ。少女の父親たる彼もまた、ここに来るまでに全ての力を使い果たしていた。


「…………良かっ………………た」


 リアに覆いかぶさってからは、小さな寝息とともに、意識を失った。成人男性の重さが体にかかり、リアの体も悲鳴を上げたが、本人にしてみればその程度の痛みは、取るに足らないものだった。むしろ今、彼女の体を満たしているのは痛みではなく、喜びだった。

―――パパが私の事を見てくれている。

 それだけでも十分、この痛みを打ち消す喜びがあった。眠る父親を抱きしめて、リアもまた涙を流す。ようやくだ。ようやくあの女から……彼を取り返せたのだ。

「パパ……だーい好き」

 力の限り抱きしめる。返される膂力もなく、言葉もなく、意識もない。それでも彼の鼓動だけはまるでそれに応えるかのように動いて、リアの胸の内を刺激した。こんな状況になってみて分かった事とも言えないが、確信した。

 やはり自分は、彼の事が大好きなのだと。

 男性としても、父親としても、恩人としても、仲間としても、友人としても。どんな意味でとっても、彼が一番なのだと。そんな事は遥か以前から分かっていたはずなのに、どうしても言葉に出せなかった。心に渦巻く感情が読み取れず、リア自身、気持ちを持て余していた。しかし今なら口に出せる。言ってて恥ずかしい言葉も、周りが瓦礫だらけならば怖くない。眠ってしまった父親に向けて、リアは精一杯声を張った。

「パパ。私ね、パパの事大好き。乱暴な処も、不器用な処も、本当は私のことを思ってくれている処も、ミコトお姉ちゃんに弄られてる時も、シルビアの相手をしてる時も、赤ずきんの相手をしてる時も。私と一緒に寝てくれた時も、プレゼントをくれた時も。パパの事大好き。大好き。大好き。パパの事、誰にも渡したくないし、誰にも触らせたくない。誰にもパパの声を聴いてほしくないし、誰にも殺されてほしくない。パパの痕跡の一切合切を、ぜーんぶ独占したい!」

 父親は何も答えない。眠っている彼がその言葉に応じる事などあり得ない。それでいい。これはリアの、リアによる、リアの為の宣言だった。一方的な求愛と言い換えても良い。

 これから先、奴隷王の様に彼を自分から奪い取らんとする者は居るだろう。これはその者達に対する宣戦布告だ。『闇衲』を奪い取ろうとする者は、自分が許さない。今まで、漠然とした理由の中でリアは強くなってきたが、それもここまでだ。自分は―――彼の為に強くなる。

 生きる為では断じてない。彼を殺す為でもない。彼の為に強くなる。そして彼に、心の底から言ってもらうのだ。


『お前は世界一いい女だ』と。


 いつだったか似たような事を想った気がするが、あの時はまだ、ここまでの覚悟を持てなかった。だが今なら……本気で、本当にそう思える。

「う……く……うううう!」

 力が湧いてくる。全身に打ち付けられた痛みをものともせず、リアは『闇衲』を押し退けて立ち上がった。手も足も震えっぱなしで、実に情けないが、自然に身を任せれば、震えは収まった。眠ってしまった彼と共に、幸せな一時を過ごす選択肢を取らなかったのは、女の勘が原因だった。ここまでレガルツィオが崩壊してしまったのなら、奴隷王も死んでいて当然と考えるのが道理だ。というより、彼女が死なずして『闇衲』がここまで無防備になる筈が無いので、そうとしか考えられない。けれども、リアにはあの女が死んでいない事が分かっていた。

 何故?

 何度尋ねられても、それは女の勘だからとしか言いようがない。『闇衲』の周囲にあった瓦礫を適当にどかして、出来る限り彼に快適な環境を整えると、リアは彼の傷だらけの頬に深い接吻をしてから、己の勘に従って、歩き出す。

「―――居るんだろ、奴隷王マグナス。出てこいよ!」

 ナイフも無ければ『刻創』もない。けれども、今のリアに負ける気は毛頭ない。確かな足取りで一歩、二歩と彼から離れていくと、遠方の瓦礫より、こちらの声に反応する存在が居た。

「……やっぱり、生きてた」

 口が裂けん程に笑い、意気揚々とリアは接近する。これだけの破壊が終わった後に生きている人間等限られている。

 例えば、疑似的に不死を持った人間など。

 流石に無傷では済まなかったようだが、それでも体の八割以上が回復している。自分が意識を失っている間に何があったのかは分からないが、周囲に四肢の引き裂けた死体が存在するくらいだ。大変な何事かが起きたに違いない。

「……おい、フォビアは何処だ」

「お前に教える義理はない」

「俺に負けたのをもう忘れたのかッ? ああん!?」

 マグナスは瓦礫の中から完全に抜け出し、こちらに凄んでみせた。リアは少しも動じず、首肯する。

「…………ああ、その通りだ。俺はてめえに負けた。認めてやるよ。けどな、知ってるか? 俺のパパは良く言ったもんだ。勝負なんてのはどっちかが死ななきゃ決着しないもんだって」

「ほお。そりゃいい話だ。って事はお前、死にに来たのか」

「死ぬのはてめえだよ奴隷王。もうお前には指一本触らせない。二度とパパに近づくな」

「へ! さっきからよお、俺の言葉を奪うんじゃ―――!」

 次の瞬間、奴隷王の首が無造作に引き千切られた。 


「さっきから、俺の言葉を奪ってんじゃねえよ!」


 奴隷王にまともな攻撃が通じないのは百も承知。ならばまともな攻撃をしなければ良い。引き千切られた断面からは、間欠泉の如く血が噴き出した。

 飛沫にも怯まず、リアはマグナスの頭部を放り捨てると、自身の指がへし折れるのもお構いなしに、彼女の腹部に貫手を放った。

 痛くない。この程度の痛みに喘いでいて、『闇衲』に褒めてもらえる事などあり得ない。引き抜いた指には、人形の部品が絡まっていた。

「てめえの不死には弱点がある。推測や想定をされる限り、俺はてめえに一切のダメージを与えられないのは確かな話だ。けどよ、推測や想定なんてのは、情報があるからこそ出来る事だ。つまりさ―――」

 爪を立てて彼女の肩を全力で引き裂きつつ、切断面から見える背骨に手を掛けた。それはまるで地中深くにまで根付いた大木みたいに固かったが、こちらの手が崩壊するのもお構いなしに引っ張り上げると、案外、綺麗に抜けてしまった。人間の身体として構築されている骨がこうも簡単に抜けるとは思わないが、人形と肉体を融合させるとなると、その都合上、生身の構造だって簡略化が必要になる筈だ。『闇衲』の様な馬鹿力ならばともかく、リアにまで抜けたのはそういう理由。

 もしくは…………彼への愛が、普通ではあり得ぬ芸当を成功させたとみるべきか。背骨の抜けた体は間もなく倒れたが、この状態で決着などとは笑わせないで欲しい。まだマグナスは生きている。彼を自分から奪わんとする死神は、まだ追い払えていないのだ。

「こんな風に! バラバラにしちまえば、もうお前にゃそれが出来ない。情報を入手しようにも、首を取っ払ったんだ。目と耳と鼻と舌は、利かねえだろ」

 仮に利いたとしても、首を失った人間が獲得出来る情報などたかが知れている。それこそ、無効化出来るものは常識の範囲における技に限られる。リアは背骨を失った胴体に向かって正座をすると、徐に胴体を殴りつけた。

「よくもさっきは顔を踏んでくれたなあ! おい!」

 殴る。殴る。殴る。殴る。時には近くの瓦礫をぶつけたり、時には硝子の破片を突き刺したり、今まで溜まっていた鬱憤を晴らす為に、あらゆる手段を用いて、リアは司令塔の無くなった肉体を甚振った。

 どんなに殴っても、聞こえるのは歯車の軋む音。

 どんなに切り裂いても、出てくるのは部品だけ。

 攻撃が効いている証拠だ。手を緩めるつもりはない。自分は怒っている。人ですら無くなったオンナに、一度でも父親を奪われた事に。

「死ねよ! 死ねよ! 死ねよ! てめえなんかにパパを渡す訳ないだろうがこのアマ! てめえなんざ蛆虫と盛ってりゃいいんだよ! このヒトもどきが! あばずれが! クソビッチがアアアアアアアアアアアアアアア!」

 愛情の裏返しは憎しみとはよく聞く話だが、憎しみの裏返しが愛情とは限らない。リアの復讐は、マグナスの原型が完全になくなるまで、続いた。

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