ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

少女覚醒

 右腕に刻まれたこの魔法陣を使うつもりはない。これは奴隷王、ひいては『闇衲』に対抗する為にわざわざ刻んだ唯一の切札だ。ここで使ってしまっては勝ち目が無くなる。リアは『闇衲』から教わった今までの技術を全て思い出し、時には教わっていない事も思い出して、その集団に飛び込んだ―――

 と思いきや、そのまま集団を抜けて、階段を駆け上がった。

「真面目に戦う訳ないだろばああああああか! パパは私に集団戦なんて教えてくれなかったもんね!」

 そう、馬鹿正直に戦う必要はない。最初から奴隷王を殺せばそこで話は終わりだ。こちらの意図に気付いた奴隷王の部下達が直ぐに自分を追ってきた。大人と子供の体格差を考えれば一瞬で詰められる距離だが、踊り場まで上った所で出し抜けにリアは身を翻し、無防備に階段を上る集団に『闇衲』の外套を投げつけた。

 後衛はともかく、前衛はこれで視界を遮られた筈。今はリアが注意を惹き付けているので、この間にシルビアとフェリスは自由に動く事が出来る。

「二人共! 構えて!」

 言いつつ、リアは外套目掛けて蹴りを放ち、まとめて集団を階段から叩き落とした。それを機に二人も階段を駆け上がり、リアと共に奴隷王の居るであろう最上階を目指す。あれだけの集団が重なって倒れたのだ。起き上がるには中々時間がかかるだろう。それまでにマグナスの所へ行く事は十分に可能だ。

 何の邪魔もなければだが。

 勿論そこまで都合よく事が運ぶとは考えていない。また誰かが邪魔しにくるに決まっている。そうでもなければ、リアはここまで本気になって攻略しようとは思わなかっただろう。いや、彼を取り返すのだから全力にはなるのだが、ここまで準備を整えていたかどうかは、疑問が残る。

「次誰か来たら、誰が残る?」

 と言っても、大体決まっている。殺気のみ『闇衲』に迫るシルビアが残った所で捨て試合になるだけだ。此度の攻略戦に捨て試合を作ってはならない。あれはあるだけこちらが不利になる。残るとすれば……実力は未知数だが、フェリスしか居ない。

「私が残るよ。リアはフォビアさんを助けないといけないし」

 足を止める事はなく、フェリスはリアが首から提げている首飾りに視線を向ける。今、『闇衲』を救える可能性があるのはそれを所有しているリアだけだ。他の誰が何をしても、リア以上に期待値を持てる人間はいない。

「フェリスはどんな風に戦うの?」

「秘密ッ! フォビアさんの弟子になれたらリアにも教えてあげる!」

「私はどうすればいい?」

「シルビアにはしてもらいたい事があるから、何もしないで!」

 それきり会話も途切れ、三人は無心で階段を上り続ける。上った割には大して階層が上がった訳でもないが、最上階一歩手前で、その存在は三人の進撃に待ったをかけた。


「我が神への狼藉もそこまでだ。止まれ幼き者共よ。何に穢されたかは知らぬが、その行いは悪と知ってのものか」


 こんな所で止まってはいられない。あの雑兵共がいつ追いついてきてもおかしくないのだ。しかし、三人は止まらざるを得なかった。自分達の前に立ちはだかった女性は、男性に負けず劣らずの筋肉を所有しており、その得物は所謂斧槍と呼ばれる長物だ。これでは横を通り抜けようと思っても、一薙ぎで追い払われてしまう。

「……誰?」

「失礼。これは自己紹介が遅れたな。私の名前はエリザ・ブルータス。『智天使』と呼ばれる者で、本来はこの様に戦線へ立つ事はないのだが……今は大事な時期だ。もうじきあの者と我が神の間で契りが交わされる。それまでは指先一本―――貴様らの様な者にこの先は通らせない!」

 エリザが一歩踏み込んだ瞬間、突風とも錯覚しかねない気迫が三人の全身を押し飛ばした。この女性、戦線に立つ事は無いと言っておきながら、その気迫は百戦錬磨の老兵を思わせる強さだった。こういう敵こそ『赤ずきん』が担当するべきだが、肝心の『赤ずきん』は居ない。誰かがやるしかないのだ…………いや、フェリスが。

「―――今、なんつった?」


 しかし。智天使は発言を間違えたと言えるだろう。彼女の気迫に勝てる人間はこの場に一人もいない。それは間違いないものの、


「……聞こえなかったのなら、もう一度言ってやろう。もうじきあの者と我が神の間で契りが交わされる。それまでは貴様らを通らせない!」

「知ってる。さっき聞いた。俺が言いたいのはそういう事じゃねえんだよ」

「……ほう。では何が聞きたいと―――ッ!」

 時間を自由自在に動かす術を持つ者相手に、まともな戦いを繰り広げる事が出来るとすれば、それはフィーを除いて他には居ない。エリザが斧槍を動かすよりも早くその柄を取っ手にリアは彼女に組み付いて、その鼻先に全力の頭突きをお見舞いした。

「ごお…………ッ! おおおおおおおおおおおおおお!」

 頭突きを防ぎたければ、全身に甲冑でも着込んでおくべきだ。その場合は関節部分にナイフを差し込むので大差はないが、エリザの鼻先が折れた原因は、間違いなくこちらを過小評価していたからである。彼女が倒れ込むと同時に組み付きを解いたリアは、直ぐに地面を両足で蹴って跳躍。その顔面を全力で叩き潰さんとしたが、流石にそれは転がって回避されてしまった。だが、それでいい。目の前に立ちはだかっていた女性が居なくなったのだ。

 後はもう突っ走るだけである。

「シルビア!」

「え……あ、うん!」

 待っている暇はない。この先に奴隷王が居る筈だ。または彼が居る筈だ。リアが何よりも、誰よりも愛している彼が。こんな風に襲撃を仕掛ける原因となった彼が。

「行かせねえよ!」

 だが、エリザもまがりなりには智天使。奴隷王の幹部を務めるリアの追跡は諦めても、それ以上の介入は許さない。彼女の後を追うシルビアをせめて斬り殺さんと、体勢を立て直すよりも早く斧槍を振るい、少女の両足を薙ぐ。

「させないよッ!」

 柄が踏まれて、それも叶わない。攻撃を妨げたのはもう一人の少女、フェリスだった。手元から少し離れた場所を踏んでいるので、ここからでも十分拳は届く。

「邪魔だ!」

 エリザは直ぐに武器を手放し、フェリスの体勢が崩れた所で脇腹目掛けて正拳突きを放った。大木の様な太さの腕が爆発的に打ち出され、近くに居る少女を一撃で破壊せしめんとしなやかに伸びる。少女はそれに対して死を悟ったような表情ではなく、不敵に笑い、こちらの拳に対して掌底を突き上げた。

 刹那。

「―――うおっ?」

 何が起きたか分からなかった。二回り以上も体格で上回っている自分が、身体を鍛えている様にはとても見えない少女に真正面から攻撃を逸らされた上、叩き付けられたのだ。反転する視界には、二人の少女が走り去る未来が見えた。

「行かせんぞお!」

「それはこっちの台詞だから。私の言葉を取らないでよ」

 滅茶苦茶な走り込みとはいえ、体当たりをぶちかますには十分且つ上出来の動きだった。またも少女に肩を押され、踊り場まで突き落とされなければ、後続の少女くらいは殺せただろう。

「ぐあああああ…………ぐうッ」

「その巨体で階段から落ちれば、負担は相当なモノでしょ? どう? まだ戦う?」

「き、貴様は…………何者だ」

「アンタが知る必要はないよ。力だけが全てだって思ってたら、私には逆立ちしたって勝てない。師匠がそう教えてくれたから」

 力だけが全てを制するとは考えない方が良い。フェリスは技の究極、『合気』と呼ばれる技術を身に着けていた。師匠は勿論イヴェノであり、彼は見掛けこそ爆弾魔だが、その実はそんな荒々しい存在ではなく、別の大陸にて妖術使いと恐れられた武術の達人なのである。尤も、そうなったのはつい最近の事らしいが……それはどうでもいい。

 『合気』が使える以上、フェリスは一人のみであれば完全に抑え込める自信があった。問題は、エリザの足元から聞こえてくる階段を上る音。雑兵の襲来である。こればかりはどうしようもない。 

「リア。必ずフォビアさんを助けてね」 

 彼と直接お話するまでは、死んでも死にきれない。




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