ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

地下世界で見た光景



 最高峰人形師ゼペットは、人間から人形を作るという意味で、ある種の外道である。こればかりは事実を言っているので覆しようがなく、己の仕事が理解されがたいものだとは彼自身も承知しているものだった。人は人に近く、そして人でないものに生理的嫌悪を抱く場合が多い。

 例えば、中途半端に顔の崩壊した死体。

 例えば、中途半端に醜悪な顔。

 例えば、かろうじて人の姿を保っている化け物。

 全くの化け物であれば恐怖こそあれ感情移入のしようがないから、まだいい。だが中途半端に人の姿を保っていると、人はそれに少なからず共感してしまうのだ。恐怖と一緒に感じる共感は、必然的に言葉通りの感情ではなく気持ち悪さを演出する。

 人形師とだけ言えば聞こえは普通だが、『闇衲』達の感性がおかしいだけで、本来は拒絶される存在が自分である。地下室にはそんな自分でさえ理解しがたい光景が広がっていた。

「…………あまり、見ていて気持ちの良いものじゃねえな」

 天井に吊るされている皮の数々。女性方もあれば男性型もある。そのどれもが自分に極めて近い精度で製作されており、服を着れば縫い目なども分からなくなるだろう。自分が人形を作っているとすれば、これは着ぐるみだった。それが優に三百体以上。天井にずらりと並んで吊るされている。

 ゼペットは数々の皮に苦笑いを浮かべてから、もう一つの入り口について探索する。地下室という事もあってこれ以上下に何かがあるという事は考えられない。壁を重点的に探っていると、一か所、壁にしては妙に薄い所を発見した。恐らくここにもう一つの入り口があるのだろうが…………これはこれで気になる事がある。

 壁が壊れていないという事は、一度も使われていないまたは誰もこの階段の存在を知らないという事だ。ならば、どうしてあのナイフにはこれが記されていたのか。幾ら彼の腕力が桁違いだと言ったって、通り道を作るだけならばまだしもこういう薄い壁で偽装工作が出来るとは思えない。彼がそこまで器用だった覚えはない。

―――どういう理屈だ。

 リアの反応から見るに、『闇衲』が大きく変わったという訳では無さそうだ(ただ、あの少女が隣に居るお蔭か、性格は多少優しくなっているが)が、それにしてもこの芸当が彼に出来るとは思えない。仮に出来たとしても、洗脳された振りを続けているのならここを訪れる機会はない筈だ。『闇衲』は殺人については天才的な才能を持っているが、こういう加工用素材を綺麗に残すような芸当は別に上手くはない。慣れた者にやらせた方がずっと効率が良いだろう。

 そう考えると、自分に度々助言をくれるあの人物は一体誰なのだろうか。明らかに彼の声だと思っていたが、よくよく考えてみると大きく違っている。しかし自分には、彼以外に助言をしてくれるような人物に心当たりがない。

「…………まあ、細かい事を考えても仕方ねえよな」

 一人、ごちる。今は後回しだ。持っていた金槌で壁を殴りつけると、薄いと思われた壁は予想以下の手応えと共にパラパラと崩れ落ちて、階段を出現させた。後はこれを上っていくだけだが、問題はこれを隠すべきか否かだ。良く足を運ぶとも思えないが、全く足を運ばないとは限らない。『闇衲』以外に男が存在している問題は、この部屋が解決してしまったから。

 『赤ずきん』が出会った男は、恐らくここにある男性型の皮を着ていたのだ。だから間違いなく男だと思った。つまり頻度は少なくとも、ここに誰かが来る可能性は非常に高いという事だ。そうなるとやはり隠した方が良いか。幸い、部屋の隅には皮を剥ぎ取られる前の死体が安置されている。テーブルの上に置かれているだけだが、あれを移動させれば隠せそうだ。申し訳程度だが、無いよりはマシだろう。

 女性の力で机を移動させる事は出来なかったが、車輪付きの机だったのが幸いした。階段の前まで動かして、微妙な隠蔽率を獲得させる。やはり心配だったが、これ以上の隠蔽はしようがないので、ゼペットは階段を上って、何処に出るのかを確認する。階段を上り切った自分を待ち受けていたのは、巨大な石壁だった。ただし、そこにはナイフで文字が刻まれており、その刻み具合から、『闇衲』によるものだと分かる。


『この文字を見ているという事は、いよいよ俺も洗脳の振りを続ける事が難しくなってきたという事だ。この文字を見ている者が奴隷王の部下でない事を願うばかりだ。以下の発言はそれを前提に書かれている。部下なら部下らしく、こんな落書きはさっさと消す事だ』


 彼らしい、挑発の文章が書かれている。その下には、奴隷王に関する記述があり、読み込んでみて後悔はしない様な事が幾つも記されていた。

 その最後には、こう書かれていた。


『もしも俺が死んでしまったら、どうかアイツの世話を頼まれて欲しい。裏の世界に引っ張り込んで教育してはいるが、結局アイツはまだ子供だ。こんなクソみたいな世界に居る限りは、誰かが守ってやらないと簡単に壊れる。お前を俺の相棒と見込んで、お願いする。俺になにかあったら代わりに……アイツの親になってくれ』


 ………………確信した。誰だか知らないが、この文章を書いた人間は彼ではない。彼以外の全く別の存在だ。敵ではないと思うが、その者はどうやら『闇衲』という男をはかり間違えている。彼であれば、この文章はこんな風に、


『もしも俺が死んだら、代わりにアイツの親になってくれ。こんな所で死ぬ様な殺人鬼より、最高峰人形師様のお傍に居れば何かと学べる事も多いだろう』


 と、自分を卑下する形で素直じゃない頼み方をしてくる筈だ。だがこの文章はあまりに素直過ぎる。幾ら追い込まれているからと言っても、人間の性質は中々変わるモノじゃない。どうやら『相棒』と強調する事で本人だと思い込ませたかったようだが、彼は自分の事を相棒とは呼ばない。相棒は、勝手にこちらが自称しているものだ。

 何となく腹が立つ。自分を作り替えられるようになってから、ゼペット自身は自分が男なのか女なのかさっぱり分からなくなってしまったが、どちらにしても『闇衲』との関係に割り込まれたみたいで腹が立つ。彼は自分の最高の相棒であり、そこには娘である彼女すらも介入する余地はない。幾ら欺く為とはいえ、何処の誰とも知れぬ者に介入されると非常に気分が悪い。

―――終わったら、一発ぶん殴らせろよ。

 何処の誰とも知れぬ者に、心の中でそう言い放つ。同時に今まで見抜けなかった自分を強く恥じた。確かにこれでは、介入されても文句は言えないのかもしれない。そうは思いつつも、やはり許せないのが何とももどかしい。

 ゼペットは金槌を振るい、再び壁を破壊した。この壁を破壊すればもう一つの入り口として機能する筈だ。あとはここを起点に、最下層を一気に攻略するのみ。

 遠慮はしない。腕が捥げる勢いで振り下ろした。
















「…………ん………んぅ」

 意識が現実に戻った頃、自分はシルビアの胸の中に居る事に気付いた。この実りつつある胸部は間違いなく彼女のものだ。顔を見れば話が早い。見上げると、やはりそうだった。

―――嫌な夢、見ちゃったなあ。

 どんな夢かは覚えていないが、嫌だったのは覚えている。どうしてだろう。可能な限り思い出せば、本当の両親と話していた夢の筈なのに。やはり記憶が欠けているらしい。トストリスでは完璧に取り戻せたと思っているのだが…………いや、奪われた記憶は完璧に取り返した筈だ。何度も確認した。それなのに欠けているという事は……

―――攫われる前から無くなっていたって事?

 分からない。どうしてそんな事になっていたのか。『闇衲』と会う前は至って普通の生活をしていたと思うのだが、それがどうしてこんな事に。考えてみても答えは出ない。その内、リアは考える事を放棄した。

 今は彼を取り戻す事が先決だ。自分の本当の親とか、今は正直どうでもいい。この世界での親とは彼の事であり、同時に彼は…………自分の…………

「…………リア?」

「あ、シルビア。おはよう」

「おは……よう? あれ、朝だっけ?」

 シルビアはまだ寝ぼけているようだが、そんな事も気にせずリアは不在者のことを尋ねる。

「ゼペットは?」

「え? さあ……じゃなくて、えっと」

 明瞭な意識まで回復したシルビアは、自分が眠っていた事を詫びた上で、眠っている間にどんな話し合いが行われていたのかを話してくれた。勿論、リアの精神を刺激しそうな部分は話していない。

「ふーん。じゃあ今は偵察中って事ね」

「多分。戻ってくるまで私達にはする事がないけど……どうする? また寝る?」

「いや、このままでいいわ。いつ出番が来るか分からないし、それに」

「それに?」

 リアは珍しく陰鬱な表情を浮かべた。

「夢の続きなんか、見たくないもの」

  

「ダークフォビア  ~世界終焉奇譚」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く