ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

許されぬ休息 コウ編

 コウ・リジャロは、奴隷王マグナスの忠臣が一人、『熾天使』の名を冠する幹部だった。彼女が主であるマグナスから受けた命は只一つ。『フィーの帰る場所』を無くす事。我が主は非常に強欲な存在である為、フィーすらも自分の物にしようと考えたのだ。しかし、彼女だってフィーがお金や女で動かない事は知っている。ではどうやれば、彼を引き留められるか。それを考えた結果、彼女は学校そのものを滅茶苦茶に破壊して、彼の存在意義を無くしてしまおうと考えたのだ。そこまでしてフィーを欲した理由は只一つ。マグナスは知っていたのだ、彼が死者を代償なしに蘇生出来るという事を。むしろレスポルカとの戦争において、彼女はレスポルカの滅亡を目的としている訳では無かった。戦争の勝者に許される行為、それは略奪。即ち、彼を奪い去る為のものに過ぎない。恐らくフィーという存在は、この世で最も価値ある存在だ。かつてあらゆる人々がその技術を手にしたいと死地に飛び込み、紛い物の御業に踊らされていたが、彼は代償すら必要ない完全な蘇生能力を持ち合わせている。むしろ彼が居なければ、レスポルカなど奴隷商売のお得意様が幾らか居る町に過ぎなかった。マグナスが価値を見出しているのはそんな彼だけ。そして彼を手に入れる為に彼女は手段を選ばない。

『催淫法・淫魔』。コウが幹部となれた所以は、この術にあった。この催眠術に引っかかったものはあらゆる思考を淫乱な方向に解釈する事になってしまい、必然的に女性は痴女に、男性は盛った獣の如く近くの穴を突いて回る。魔術と違って魔法陣を一々描く必要も無いので、非常に実用的な技術だ。学校を襲撃した際、生徒達は呑気にも魔法陣を描き始めたので、簡単に掛ける事が出来た。お蔭で何十人いようともコウにとっては強敵とは言い難かった。やはり子供は子供。どれだけこの学校が優秀な子供を持っていようと、実戦経験がないのでは人形と変わりない。

 コウは懐にしまってある鍵を見つめて、首を傾げた。我が主が『それを持っておけば必ず引っかかる奴が居る』と言って渡してきたが、この鍵は一体何なのだろうか。見る限り牢屋の鍵に見えるが、この学校をぶらついても牢屋と思わしき部屋は存在しない。幹部である自分にも教えられない情報らしいが、謎だ。

 しかしマグナスは常に二手先を考えている。きっと自分には想像もつかない予測を立てているのだろう。彼女が全てを教えてくれる事はないが、自分は幹部として仕事を全うするだけだ。鍵を再び内ポケットに戻し、コウは校舎をぶらつく。

 途中、自分に歯向かってきたクラスを通りがかり、思い出した風に微笑んだ。机や椅子などを手に襲い掛かってきた気もするが、自分が催眠術だけを使えると思ったら大間違いだ。催眠術には掛けられなかったが。血祭りには上げられた。一年生にしても二年生にしても、はたまた六年生にしても、実戦経験のある人間は居ないのだろうか。階段に足を掛けた所で、視界の端にこちらへ向かってくる生徒を発見。コウは足を止めて、微笑みかけた。仮面越しなので、彼には伝わっていないだろう。

「おう、トレスか。どうだ? 生き残りは発見したか?」

 トレス・マースル。直ちにクラスメイトを壊滅させた自分に服従の意を示した男だ。自分の見る限り支配の素質があったので、彼だけは限定的に生かしている。どうやら、どうしてもものにしたい女性が居るらしい。

「いや、居ないな。シルビアも、リアも居ない。何処に居るか分かるか?」

「知るわきゃあねえだろ。女共なんてどれも一緒だ」

「同じなものか。あの二人は格別に美しい。俺の女として可愛がるには十分だ」

 仕方がないので。コウは今まで催眠を掛けてきた生徒の顔を思い浮かべる。可愛らしい女性となど幾らでも居るが、この生意気な少年は美しい少女が好きなのだそうだ。一年生から六年生までの間にそういう女性が居たかと言われると……居ない。

 やはり知らなかった。

「居ねえなあ。もしかしたら町の外にでも逃げたのかもしんねえな」

「何…………おい、話が違うぞ! 好きな女を孕ませて良いという話じゃないか!」

「他にも女は居るだろ?」

「穴の緩い女はお呼びじゃねえ! その二人を探せ!」

 トレスが声を荒げて掴みかかる。どうやら、彼は己の立場を理解していないらしい。飽くまで彼は『生かされている』に過ぎないのに、生殺与奪を握っているのはこちらだというのに。まるで自分が上であるかの様な態度。しかし嫌いではない。

 ここで彼を潰すのは簡単だったが、自分は彼の支配者としての素質を尊重する。自身の胸倉を掴む彼の手を軽く捻ってから、コウは踵を返して校舎を出る事にした。彼を生かしたのはこちらの判断だ。ここで自分が自我を貫こうが貫くまいが、いずれにしても彼は死ぬ運命にある。奴隷王が価値無しと判断した者は須らく死ぬのだ。一時的な優越ぐらいくれてやるのも面白いだろう。ここで敢えて勘違いをさせてつけあがらせる事によって、その後にどん底へ叩き落された時の表情はより滑稽に見える筈だ。己を強者と勘違いした少年が、最後にどんな表情を浮かべるのか。楽しみで仕方がない。どうせ自分が居なくとも管理に関してはトレスが勝手にやってくれる筈なので、もとより滞在の意味はない。時々巡回するくらいで十分だ。

 校舎を飛び出して、コウの爪先が校門に差し掛かった瞬間。突然視界が天を向き、身体は地面へと叩き付けられた。


―――何ッ!


 予期しなかった攻撃に受け身すらままならない。足元の方から聞こえた擦過音は、間もなく敵が自分の足を掬ったのだと理解させた。あまりにも鮮やかな足払いは、とても素人の業ではない。普段から奇襲を仕掛けている様な者でもない限りは、自分を相手に気付かれず背後を取り、すり抜け様に足を払うなんて芸当が出来る訳がない。素早く起き上がって敵の姿を視認しようと決意した瞬間、曇り空を見ていた筈の視界が、急に漆黒に染まる。

「てやあああああああああああああああああ!」

 間もなく、コウの意識は途絶えた。
















 やはり、自分の思った通りだ。イジナがわざわざ自分に助けを求めに来た時点で、校舎全域が手遅れになっている事は想像に難くなかった。だからこそ、盛っていたDクラスに鍵を持った本人が現れた状況は少々不自然だった。

 完全な支配下に置かれているのなら、ずっとそこに留まっている意味はない。恐ろしく効率も悪いので、そこに滞在するという事をまともな人間がやるとは思えなかった。だからリアは、飽くまでその女性は巡回しているに過ぎないのではと考えた。となれば、いつかは校舎を出て校門に差し掛かる。リスクなしに完全な不意打ちを決めるにはそれしかないとも考えたのだ。

 リアは女性の意識が無い事を確認すると、足元の砂を払うイジナにハイタッチを求めた。彼女はその行動に少々怪訝な顔をしたが、こちらの伝えたい事が伝わると、間もなく手を合わせてくれた。

「うぇーい♪」

足元にはまだ、彼女が滑り込んだ際の砂埃が舞っている。校舎の真横に彼女が隠れ、滑り込む様に対象の足を払い、その隙にリアが喉元に肘鉄を叩き込む作戦は完璧に成功した。全体重を掛けた肘鉄は女性の喉を完膚なきまでに潰していた。既に意識はない。

 このまま放置すれば死ぬと思うが、学校をあんな気持ち悪い場所にした報いだと思ってほしい。慣れた手つきで死体を弄ると、一分と経たず鍵を発見。背後も見ずに彼女へと投げ渡すと、リアは女性の被っていた仮面を剥ぎ取り、その顔を拝見した。仮面で苦悶の瞬間を見られなかったのは残念だが、その何が起こったのか理解出来ていない様な顔付は、不意打ちの成功を裏付けるものとなっていた。

「それじゃ、今度はギリーを助けに行きましょうか」

 時刻にはまだまだ余裕がある。夜になったら集合しないといけないが、それまでの時間を掛ければギリーを救出する事は十分に可能である。悪趣味で大きさの合わない仮面を被ってから、リアは校舎を後にした。

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