ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

少女と王の争奪戦

イヴェノは大きく欠伸をした。壊れた窓の奥から外を見遣ると、曇天の空が自分達の戦いの行く末を暗示しているかの様に広がっていた。昨夜は、どれ程彼がリアに好かれているのかが良く分かる一日だったが、それにしても限度というものがある。黒髪の少女は美人ではあるが、ここまで重い愛を向けられて彼は嫌にならないのだろうか。自分であれば重すぎて疲れてしまいそうだ。フェリスも、彼女の憧れる殺人鬼の現状を知れて嬉しかった様だが、大分疲弊していて、これから奴隷王と戦う事になるとは思えない調子の悪さである。厳密には『闇衲』を取り戻しに行くだけだが、言葉の違いなどに意味はない。奴隷王が彼を手に入れたのならば、どちらにしても奴隷王と戦わなくてはならない。少しばかり簡単な風に聞こえるか、絶対的に難しい事をやる風に聞こえるか。違いとしてはそのくらい。

「ふぁ~あ」

 自分達を寝不足に陥らせた張本人は、誰よりも大きな欠伸と共に飛び起きた。少女らしからぬ臭いが体に染みついていたが、もう彼女は気にしていなかった。彼を助けられるのならば、という妥協だろう。少し眠たげだったが、フェリスとキスをしたら直ぐに目覚めた。

 少女同士の接吻は、中々どうして興奮するものがある。そんな事を言っている場合があるかどうかはさておき、朝一番に見る光景にしては少々刺激的だ。また視線を逸らして外を見ると、修行に精の出る青年や、元気な老人の歩く光景が視界を染める。雲はまるで枕に詰められた綿の様に分厚く、日の光を僅かも通そうとさえしない。まだ雨は降っていないが、これ程に雲が厚いのなら土砂降り雨になる事は想像に難くない。早く出発してレガルツィオにて合流を図らなければ、色々と手遅れになってしまうだろう。キスの味がよっぽど美味だったのか、二人は唇以外にも、様々な部位にキスをし始めた。これが俗にいうキス魔であるか。二人の様な美人であればいつでも歓迎だが……ちょっと待って欲しい。

 もう一度窓から様子を見てみると、これだけの早朝にも拘らず、やたらと人間が視界を横切っていく。年代に法則性は見いだせず、性別にも見出せない。修行していた少年も、いつの間にか姿を消していた。

 何かがおかしい。レスポルカではそれなりの日数を過ごした筈だが、早朝にここまでの人間を見たのは初めてだ。一番の違和感は、皆同じ方向に移動しているという事。あちらへ行ってもこの町の出入り口しかない訳だが、もしやそこを目指しているのか?

「二人ともー。ちょっと小屋で静かにしてろよー」

 今度は扉を開けて視界を広げる。どうやらレスポルカを脱出しようとしていた訳では無い様だが、宿屋に老若男女問わず詰めかける様は見ていて苦笑いしたくなる気分に侵される。

「おっと!」

 直ぐに扉を閉めると、イヴェノは二人の少女を伏せさせて、息を潜める。壊れた窓の向こうから、重厚な甲冑が軋みを上げながら規則正しく歩く音が聞こえる。その音はそのまま通り過ぎるかと思ったが、丁度窓の所で止まると、足音は幾つもの方向へと分散した。

「どうしたの?」

「こりゃ……戒厳令って奴だな。騎士団が外を出歩いてる奴が居ねえか歩いて回ってやがる。しかしレスポルカにゃ騎士団が治安出勤する程の事は起きてねえ筈だが……」

「ねえ、戒厳令って何?」

「お師匠! 私も知りたいッ」

「ああーちょっと静かにしてくれや。戒厳令ってのはな、まあ要するに外出してたらぶっ殺すぞって命令だ。だから外に出ている奴は……ああ、成程。身なり、か」

 一人で納得してしまったが、どの道先程の光景を二人は見ていないので補足する必要はない。年齢にも性別にも法則性は無かったが、宿屋に詰めかけた者達は、皆等しく身なりがみすぼらしかった。間違っても富裕層らしき人間の姿は見えなかった。

 つまり彼等は貧民街で生活していた者達。または何らかの事情で外出していたが、隊列を組んで向かってくる騎士団の威圧に耐えられなくて宿屋に逃げたか。あの民衆の事情なぞどうでもいいのだが、この戒厳令、地味に困る事をしてくれている。

「困ったな。これじゃあ外に出られねえぞー」

「何で?」

「外出したらぶっ殺す命令って言っただろ。迂闊に外出したら、たとえ俺達が一般人だったとしても殺される。何で敷かれたか分からないが、実に困ったな」

「このまま待ってたら解除されるんじゃない?」

 フェリスの言う通り、そうであればいい。しかしながら何の問題も無いのに敷かれる戒厳令。何も無い筈がなく、事態は常に最悪を想定した方が立ち回りやすいだろう。今回の最悪は、数日以上も解除される事はないという事。明確に期限を設けるとするならば…………予測の域を出ないが、『闇衲』の精神が、完全に奴隷王に掌握されるまで。

 レガルツィオとレスポルカの仲がここ最近著しく悪くなっている事は、この町で適当に情報を集めれば直ぐに分かる。噂程度ではあるが、レスポルカは戦争を仕掛けようともしているらしい。それら全てを真実として考慮するならば……駄目だ。これだけでは結論が出せそうにない。まだ何か知らない要素が隠れている。こんな所で考えていても始まらないから一度中断するが、何だか想像以上に面倒な事に首を突っ込んだ気がしてならない。

「これ以上考えていても埒が明かない。雨が降ったら俺の爆弾もしけっちまうからな。行動は素早くやらねえと詰みだ」

「ねえイヴェノ。その爆弾を全部吹っ掛けてやればいいんじゃないかしら? そうしたらレスポルカを出る隙が出来ると思うんだけど」

「お、リア。名案ッ」

「何が名案なもんか。んな事してみろよ、門を下ろされて終わりだぞ。ああーうーん。どうしたらいいもんか…………」

 散々悩んだ末、この小屋を捜索されない内に、イヴェノは答えを出した。

「分かった。この案で行くか」













「な、何が起きてるの?」

 やたら一階が騒がしいと思って様子を見たらこれだ。他の部屋に泊まっていた者達も、一階の騒がしさに堪えかねて飛び出してきた。部屋数を優に上回る人数が一階の机を占領し、宿屋の主人の言葉も無視して入り浸っている。このあまりにもな惨状に、シルビアは絶句した。男性の多さに意識がクラクラして、心なしか気分が悪い。今すぐに彼と手を繫いで逃げ去りたい気分だが、その彼はここには居ない。落下防止用の手すりに両手を突いて、上体を保つのが精一杯である。

 自分の背後から異常を感知した『赤ずきん』が続いて部屋から出てくる。彼女も一階を見下ろすと、珍しく口を小さく開けて、「暑苦しいですね」と声を漏らした。確かに暑苦しい。男性だけが居るという訳ではないが、それでも人口が一極集中しすぎている。これ以上増えてくれると二階もいよいよ危うくなるが、待てども待てども宿屋の扉が開かれる事はなかった。違和感を感じ取った『赤ずきん』は、直ぐに部屋の窓を開いて、耳を澄ませる……甲冑の擦れる音が聞こえた。丁度真下から聞こえたので顔を出して見下ろすと、全身に美しい光沢を持った鋼鉄の鎧が見える。その騎士は周囲を細かくチェックして、異常のない事を確認すると―――急に地面へ身体を叩き付けて、気絶した。

 いや、違う。『赤ずきん』が窓から飛び降りて、騎士を緩衝材に利用し無力化したのだ。どうして騎士が動き回っているのか、そもそも今、外がどんな状態になっているのか。そう言った事に思案もせずまま動いた結果がそれだった。慌ててシルビアが窓から顔を出すと、きっちり首をもぎ取っていた『赤ずきん』が、満面の笑みでこちらへ手招きをしていた。

―――こ、来いって事?

 無理無理。こんな高い距離を飛べる訳がない。飽くまで普通の少女として育てられてきたのが自分なのに、どういう奇跡があったらここを無事に飛べるというのか。

「ほら、来てください」

「えッい―――!」

 躊躇している時間も惜しいとばかりに、いつの間にか窓縁を掴んでいた赤ずきんに身体を引っ張り込まれ、半ば強引に外の地面へ叩き付けられる。衝撃は全て騎士の死体が受け止めてくれたが、鎧は鎧で中々固く、下手しなくとも土より固い。お尻が痛くなった。

「な、何を……するのッ?」

「時間が惜しい。理由は分からないけど、どうやら一旦外に出る必要がありそうですね」

「どうして?」

「この街に広がる音的に、この騎士達は外出している人間に容赦をするつもりがなさそうです。今も貧民街で数十人の悲鳴が聞こえました。安全を取るならば部屋に籠っていればいい話ですが、私達はリアに協力をすると言った筈です。『狼』さんを助ける為に」

 そう。少女達は、そして協力者はそれだけを目的に一致団結している。今だけは善も悪も関係ない。大人も子供も関係ない。男も女も関係ない。彼を助けたいと願う少女が居るのならば、それだけで理由は十分だ。とはいえ『赤ずきん』にも独占したい気持ちはあるが、散々迷惑を掛けてしまった今は少し抑えている。今は只、彼が『リア』に甘えられる未来が来るのを手助けするだけである。悔しいが、それが道理というもの。

 物言わぬ死体となった男から剣を剥ぎ取ると、『赤ずきん』は恍惚の笑みを浮かべて、手近な壁に目を向けた。 

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