ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

邂逅、そして

 彼の外套は一人の少女が着るにしては随分と大きく、フードを被って門を出れば、まず顔を見られる事はない。気になる事があるとすればこのフード、千切れかかっているのである。何だってこんなフードを放置したのか分からないが、ひょっとしたら彼は裁縫が出来ないのかもしれない。大概の場面でフードを前に回して口元を隠していたのはこういう事だったか。彼も、案外恥ずかしがり屋みたいだ。彼の居ない所で彼の新たな一面を発見した事実は嬉しく思うが、今はレスポルカに戻る事が先決だ。袋に入って息を潜めていた為に道が分からないが、大概レスポルカも大きな都市で、更には徒歩で到着出来た以上、決して遠い距離じゃない。既に暗夜の頃となった時、見通しも悪いが、到着しない事には話にならない。協力者を募らなければ。

 直ぐに協力してくれる人物には二人くらいの心当たりがあるが、あの二人だけでどうにかなるのかは怪しい。実力的には申し分なかったとしても、『闇衲』は連れていかれてしまった。彼を楯にされてしまえば、幾らあの二人と言えども手出しが出来ない。かと言って、フィーやχクラスメイトを連れて行ける筈もなく、あの女の子は論外だ。リア自身が別世界から引っ張られた人物である故、この世界では過去を持たない。縁を辿った所でどんな嫌な人物にだって遭う事もない。嫌いな奴でも好きな奴でも、今はどんな人間の手すらも借りたいというのに。ミコトや人間馬車は行方知れず。ヒンドは死んでしまったし、トストリスで出会ったあの少年も……殺した。

 どうしよう。どうやって協力者を募ればいい。下手に冒険者を誘惑して釣った所で、しょうもない実力だったら無意味だ。そして実力の是非を見極められる程、この眼に自信は無い。断腸の思いで他の男性と肉体関係を持ち、協力を募ったとしても、それだけが問題だ。

 やはり一番は、どういう方法かは知らないが蘇生魔術を使えるフィー学校長を連れてくる事だが、彼に殺人鬼と知られてしまったら、助けた後に殺される恐れだってある。

 勘違いされやすいが、奴隷商人は決して悪い商売ではない。奴隷が居なければ働き手が足りず、成立しない仕事だってあるのだ。特に大規模な仕事場を持っている人間は奴隷を必要とする。奴隷王……彼を連れて行ったあの売女は、そういった人物と取引をする最大の奴隷商人だそうな。そう言った人間社会の絡まりにリアは詳しくないが、ともすれば奴隷商人とは世界に居なくてはならない存在であり、奴隷だって、大概は奴隷になってしまっても仕方ない様な奴らばかりだ。

 彼に協力を頼んだ場合、生徒という理由で自分は殺されずとも、また保護者という事で彼も見逃がされたとしても、絶対に助けてはくれないだろう。大人とはそういう厄介な事情で生きるのが常であり、秩序に守られた者の定めだ。それから外れている『闇衲』が希少なだけで。

 走り続けて、走り続けて。脇腹が痛くなろうとも走り続けて。ようやくレスポルカが見えてきた。この距離を彼は一人で歩いていたのかと思うと正気を疑う。空を見上げると、微妙に白みがかっており、自分の意識が目覚めたのは深夜だった事を知る。道理で、外を出歩いても意識を失う前と比べて人が少なかったのか。あの都市と違って検問など置かれていないので、夜だろうと昼だろうと、この都市は容易に侵入出来る。

「…………はあっ! はあっ! はあっ!」

 直ぐにでも宿屋へ飛び込みたかったが、無理を押して走ったツケが回ってきた様だ。入り口前で息を整えていると、居住区の奥から、小さな足音が駆け寄ってきた。シルビアかとも勘違いしたが、彼女はここまで早く走れない。『赤ずきん』にしては遅すぎるので、全く違った誰かである。


「ねえ君、どうしたの?」


 その第六感にも似た予想は当たっていた。こちらに駆け寄ってきたのは、自分よりも僅かに年長と見える少女だった。後ろで縛られた髪は、解けば肩を超える長さになるだろう。髪は相当癖が強いのか余程手入れされているのか、縛った今でもウェーブが掛かっており、限りなく鏡面に近い銀色は、ほぼ完璧にリアの顔を反射していた。

「……な、何でもない。どっかいってよ」

「そういう訳にはいかないでしょ! 息も絶え絶えって感じじゃん。お師匠! ちょっと来てよ、この子なんかヤバいって!」

 不味い。早くここを離れないと人目に付き過ぎる。どうしてこんな時間帯に歩いているのかは分からないが、一刻も早くここを離れなければ。しかし人間の身体とは不便なもので、一度休んでしまうと、心拍のペースが乱れて動きにくくなる。立ち上がろうと努力した瞬間、体内から込み上げた物がぶちまけられた。

「キャアッ! お師匠、お師匠! まじヤバいって! この子死ぬって!」

「おーおーどうしたどうした。お前がそこまで騒ぐなんて、滅多にないなー」

 少女の奥から懐に両手を突っ込んだ男が現れた瞬間、リアは逃げる事を諦めた。こんな夜に一般人を装うのも無理があるので、もう、普通に接する事にする。

 背後から現れた男の格好を、何と言えばいいのだろうか。人とは思えぬ鋭い歯を見せつけながら、耳に掛けられる様に作られた黒いレンズで視線を隠す男は、紛れもなく変態のそれであった。この暗闇だから、双眸部分が切り取られたみたいに見えなくなっている。しかし何より危険なのは、男の全身にあらゆる手段で取り付けられた火薬玉の数々。見える限りでもニ十個。少しでも衝撃が加われば爆発しそうだが、男はそんな危険すらも愉しんでいる様に笑っている。

「おー。これまたぺっぴんさんな子供だ事で。何でゲロってんだー?」

「呑気な事言ってる場合じゃないよ! この子、死んじゃうよッ?」

「いやー、単純に疲れてるだけだろー。まあ無理をしちまったみたいに見えるがー、死ぬ事はねえよ」

 男は膝を曲げて、リアに視線を合わせる。鎖に繋げられた火薬玉が揺れて、一瞬驚いた。 

「まずはお名前を聞こうか。お可愛い少女ちゃん」

「……リア。只の一般人よ」

「こんな時間に起きてて、しかも疲れてる奴が一般人とは笑わせるねー。どうやら警戒してくれてるみたいだから、俺から名前を明かしてやるよー。俺はイヴェノ。只の一般人だよ」

「……こんな時間に私を見つける奴が、一般人とは思えないんだけど」

「お互い様ってか? ハハハ、まあお互いに大手を振って歩けるような奴じゃねえって事が分かったんだ。警戒を解いて、話しちゃくれねえか?」

 これも何かの縁かもしれない。こんな軽そうな男の存在何て聞いたことも無いが、ひょっとしたら知り合い……いや、知り合いじゃなくてもいい。今は助ける事の方が重要だ。少なくとも、自分と同じ年かそれ以上の女の子に慕われているのだから、見ず知らずの冒険者よりは信用出来る。どうやら体力が回復されるまで待ってくれるみたいなので、たっぷりと時間を取ってから、リアはゆっくりと話し出した。

「…………パパが、糞女に攫われちゃったの」

「パパって?」

「…………『闇衲』って人。私のパパになってもらったんだけ―――」

「フォビアさんッ?」

 鏡色の髪を持つ少女の反応速度は尋常ではなく、勢い余ってリアに頭突きをかます程だった。既に彼から一度喰らっているのであまり痛くないが、驚くには十分である。

「フォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォビアさんッ? フォビアさんって言った?」

「え、え。うん」

 自分も大概明るい方だと自覚はあるが、その時の狂いぶりは、その明るさを遥かに凌駕した明るさ……もとい狂気だった。全く生気が宿っていなかった訳ではないが、彼の名前を聞いた瞬間の瞳には生気よりも明るい希望の様なモノが満ちていて、鏡に当てれば反射してしまいそうなくらいに眩い。

 想像以上の反応にリアが置き去りにされていると、直ぐにフォローする形で、イヴェノが言った。

「あー悪いなー。こいつ『闇衲』のファンなんだよ」

「ふぁ、ファン?」

「そー。詳しい話はまた後でするけど、そうかそうか。お前、アイツの娘だったのか。娘なんて作る様な男じゃねえとは思ってたんだけどなあ、結婚して丸くなったのか?」

「ち、違うって。パパは……パパだけど。父娘関係を結んだだけで、本当の娘って訳じゃ……」

「へー。成程なー。段々と話が読めてきたが、良かったなフェリス。お前の席はまだ空いてるぞー」

「うん!」

 また置き去りになったし、今度はイヴェノまでもが加担する形だ。先程から全然話についていけない処か、悪戯に時間を浪費している気すらしてならないので、強引にでも話を進める事にする。

「それで、パパが糞女に攫われちゃったの。糞女っていうのは……世界最大の奴隷商人、奴隷王の事で。何とかしてパパを取り戻したいんだけど、私だけじゃ力が足りないの」

「ははあーん。そりゃ確かに相手がデカいなー。で、冒険者でも誘う為に、どうにかあの街から出てきたら、息が切れてここにいるって所か?」

 沈黙という名の肯定を返す。イヴェノは周囲を見渡して人が居ないのを確認してから、火傷だらけの醜い手を差し出してきた。

「俺で良けりゃ手伝うぜ? お互いの立場は似ているみたいだし、お前も確実に強い人材が欲しいみたいだからな?」

「……どうして、手伝ってくれるの?」

「誰かを助けるのに一々理由は考えてねえんだよなー。まあ強いて言ったらフェリスの為だし、同業者を失うのもなあ。俺が組んだ奴の中じゃ、アイツは殺人という分野において右に出る者は居なかった。敵対する事もあったとはいえ、そんな奴を失うのはもったいないぜ。リアちゃんが望むのなら、無償で手を貸してやるよ」

「…………本当?」

「嘘は吐かねえさ。丁度会いたくなってた所よー。袖振り合うも何とやら、力が必要なら使うべきだと思うぞー?」

 こんな所で逡巡している暇など無い。本来は、宿屋にて眠る二人を誘う予定だったのだ。彼らが協力してくれるのというのならば、たとえ彼らに出し抜く目的があったとしても、リアは同じ様に彼の手を取っただろう。逞しい腕が少女の身体を持ち上げる。

 今だけは、どんな人間であっても。

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