ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

王様の傀儡

 ここが『最下層』。奴隷王のみが居住を許された区域は、ものの見事に悪趣味な彼女色に染まっていた。金、銀、銅がふんだんにちりばめられていただけならばまだ良かったかもしれないが、代わりに彼女は頭、髪の毛、四肢等の、人体の部位をこれでもかと使用して、さながら人間の城とも呼ぶべき気色悪い世界を作り上げていた。城全域の壁に女性の皮膚が隙間なく張られていたり、シャンデリアに灯る灯は頭蓋骨の中から飛び出ていたり、絨毯に至っては人間の舌を熱で接合したものである。アルファスに加工してもらったのか、誰が歩こうがぶよぶよとした感覚は消えず、『闇衲』の視覚は物理的に穢れる事になった。縛り上げられているから結果的に歩かずに済んでいるが、ここを歩いた時の感覚は、早々消えるものではない。見ているだけでも蘇ってきて、吐き気がする。

「そこに座れ」

「全身を縛られているんだが」

「じゃあ置いてもらえ。その状態でも話は出来んだろ」

 乱雑に落とされても、城全域を人皮が覆っているだけはある。『闇衲』の身体は僅かに反発し、包み込むような優しい感覚が、無様に縛り上げられた身体を包んだ。人によっては心地良いのかもしれないが、只気持ち悪いだけである。

 マグナスは一足先に座っており、女性とは思えないくらいに開脚して、背凭れにどっかりと背中を掛ける。着る者が着れば可憐な乙女に見えるスカートは、この男性よりも女子力とは無縁な女が着る事で、最高に劣悪且つ下品な衣装に仕上がっている。取り敢えず、この卑劣かつ下劣な女は、世の女性達に頭を下げるべきだ。

 こちらに性器おっぴろげて座り込む様な奴を、『闇衲』は女子とは認めない。まだミコトの方がお淑やかであるとも言い切れる。

「まずは、お互いの再会を喜ぼうじゃねえか! 俺ァ心配してたんだぜ? この町以外にお前が過ごせる所があるのかってなあ」

「そうか。そりゃ有難う。さっさとそいつを解放しろ」

 変わらぬ要求に、マグナスはリアの髪を乱雑に掴んで声を荒げた。意識を失ってはいるが、少女はほんの少し痛みに喘ぎ、身体を震わせる。

「随分と必死だなあ? なあおい。そんなに大事なのかあ? このガキがよお」

「…………父親を頼まれた。娘を守りたいと思うのは当然だろう」

「キレイゴト抜かしてんじゃねえよ! てめえは何処までいっても殺人鬼だ! 日向に戻ろうとするなんて、許されるとでも思ってんのかッ?」

 そんな事を思った事は一度もない。この身体は血に塗れ過ぎて、とっくの昔に日の光を浴びる事を忘れた身だ。善人になり替わろうとする何て許されない人間だ。父親を頼まれて、それを演じていたとしてもそれは変わらない。結局赤の他人で、結局は殺人鬼と子供。真に獲物と見据えるならば彼女と言えども肉塊にしか見えないし、マグナスの言う通り、『闇衲』はもうそれ以外の道を歩めなかった。

 けれども。

 自分の事を『パパ』と呼び、慕ってくれる少女の笑顔が、何よりも尊かった。闇の道にその魂を堕としながら、太陽の様に輝く彼女の笑顔が、何よりも眩しかった。口には出さないが彼女の笑顔を見ていると、自分にも別の道が―――あったのではないかと。彼女と共に歩む、血や死体とは全く無縁な生活があったのではないかと。そう思えてならなかった。復讐を誓う少女が、そんな事を望んでいないと知っているにも拘らず、想像した。

 救いようのない話である。黒色が、もしも自分が白色だったらなどと想像するなんて、全く愚かだとは思わないか。黒色は黒色だ。白だったらなどという仮定すらあり得ない。端から自分は、こうあるべきだったのだ。

 『闇衲』から殺意が失せていくのを、奴隷王は確かに感じ取っていた。

「……そんな事は思っていないさ。只、ソイツは本当に関係ない。離してくれ、頼む」

「そんなに大事かあ、そうかそうか。本当は奴隷として高く売り飛ばすつもりだったが、オメエがそこまで言うんだったら考えなくもねえ。まあ飲み仲間だ、俺の優しさに感謝するんだな?」

「―――さっさと条件を言って下さい」

「ふん。言葉遣いも合格だよ。分かった分かった。嘘を吐かれたらオメエも困るだろうから、取引という形で応じてやるよ。どうだ?」

 奴隷商人である彼女は、取引という形にする以上嘘を吐けない。信用が何よりも大事なのが商売だ、彼女がどれだけ自分勝手で悪趣味で下劣で卑劣な女だったとしても、それには逆らえない。沈黙という形で肯定すると、途端にマグナスは上機嫌になった。

「クハハハハ! いやあ、良い取引だぜ! こんな見ず知らずのメスガキ一人でお前が手に入るなら安いもんだ! じゃあお前は俺のモンになるって事で、そっちの条件を聞こうか」

「……そいつを『下層』にある酒場に置いていけ。手を出すな」

「おっと、二つ出すのは反則だぜ? そうなったら俺も条件を加えさせてもらう。なあに、大丈夫だ。相応の要求には相応の条件を。オメエには商品の開発を手伝ってもらう。如何せん、どれ一通のも注文が多い場合が多くてなあ。今までは孕んでいる状態の奴隷、ってのが出荷しにくくて困ったんだが、オメエが居れば安心だ。それでどうだ? それとも、まだ条件を付けるか?」

「…………最後にもう一度確認させてくれ。約束は守るんだな?」

 付き付けられた殺意の刃を、すっかり上機嫌になったマグナスは、意にも介さない。その事が分かった瞬間に、『闇衲』の殺意は…………完全に、消滅した。

「ああ、勿論。商人は約束を守る。それとお前には暫くここに住んでもらうぞ? 取引は対等だが、立場は俺の方が上だ。このガキの為に裏切る可能性ってのも捨てないと、取引ってのは不公平だ。それでいいよな、フォビア」

「…………………ああ」

 いつでも彼女の笑顔を捉えていた明瞭な視界が、急速に暗くなっていくのを感じた。






















「…………あああああ! ああああああああ!」

「落ち着きなさい。お客様に手を出してはいけません」

 そんな騒ぎ声のお陰で、意識は覚醒した。周囲を見渡すと、見覚えのある少年と男性が、どうやら自分を火種に争っていた。テーブル席、カウンター席と見えるが、そこには客の一人も座ってやいない。妙に男っぽい口調の少女も居なければ、刃物の如く冷たい声を持つ男性も居ない。

 暫くすると、自分が意識を失った理由が記憶の底から泡沫の様に沸き上がってきた。彼に命じられて角を曲がった瞬間、巨大な女性に掴まれて……意識を奪われて。

「おや、お目覚めになりましたか」

 見覚えのある少年を抑え込みながら、男がこちらに視線を向ける。お互いに見覚えがあるお蔭で、リアも特別彼を恐れる様な事は無かった。

「パパは?」

 第一声。男性は仕方なしと少年をカウンターに叩き付けてから、無言で冷水をカウンターに置いた。導かれるままに座ると、男性は机の下から一枚の髪を取り出し、リアの方へと滑らせる。表紙には、『見ず知らずのクソガキへ』と書かれていた。

「何これ?」

「…………中身は知らされておりません。読んでみたら、如何でしょうか」

 言われるまでもない。丁寧に折り畳まれた手紙を広げると、そこにはこんな事が書いてあった。






『テメエのパパからの手紙だと思ったか? 残念だったな。テメエが簡単に捕まってくれたお蔭で、テメエのパパは俺のモンになってくれた。全く、良い父親を持ったなあテメエは。俺ァどんな報酬出しても釣れないアイツが欲しくて仕方なかったんだが、テメエのお陰で損なしに手に入れる事が出来たぜ。感謝してるよ。何だ? 悔しいか? 怒るか? いいぜ、殺したくなったなら殺しに来いよ。小娘一人にやられる程俺ァ弱くねえ。俺が指一本動かすだけでお前は死ぬんだからな。けれど、それをすっとまた文句言われちまうからな。出来りゃしたくねえ方法だ。テメエも死にたくなかったら、一生そこで暮らしてるんだな。幸運にも、テメエのパパはテメエに手出しをしない事を条件に加えてきやがった。そこで大人しくしてる限り、俺もテメエには手を出さねえ。さあどうするんだ、殺人鬼の娘よ。もう大好きなパパは居ないぜえ? 奴隷商人として一つアドバイスさせてもらうと、身体でも売って過ごせば、それなりに幸せにはなれるだろうさ。以上だ。オメエのパパはもうオメエとは話したくないそうだから、伝言はねえぜ?』













 全てを読み終わったリアは、紙をぐちゃぐちゃに丸めて、床に放り投げた。そうしてカウンター席から降りて、身を翻す。

「何処へ行くんですか?」

「決まってる。アイツは私の……一番大切な物を奪った。絶対に許さない」

「相手はこの閉鎖都市の頭ですよ? 貴方一人ではどうしようも出来ない。フォビア様の決断を無碍になさるおつもりですか」

「うっさい。私の隣には、パパに居て欲しいの。パパしか居ちゃ駄目なの。私を守る為だか何だか知らないけど、パパが居なかったらこんな世界、全然つまらない! 言っとくけど、止めたって無駄だから。私は―――えッ」

 背後から投擲された物体の気配に気づかなければ、それは見事に後頭部へ命中しただろう。受け取ったそれは黒色の外套。既に乾いてはいるが血塗れで、臭いを嗅いでみれば、誰のモノかは一発判別出来た。驚いて男性の顔を見上げると、男性は既に背中を向けて背後の棚の整理をしていた。

 リアは外套を着込み、夜の闇へと飛び出した。開け放たれた扉が風で軋む中、アルラデウスは一度だけ振り返り、見えぬ背中へと呟いた。

「フォビア様はお得意様でございます。連れ戻していただけるというのならば、どうか―――お気をつけて」

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