ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

人であらずんば

「ガッ…………!」

 ゼペットの喉元から大量の血液が迸ると同時に、袋の中から出てきた黒い物体に、『闇衲』は非常に見覚えがあった。正確には、それの持ち主が誰かを思い出せるくらい記憶に新しく、つい先日までは何よりも目にしていた色であった。

「……リア。お前、何してるんだ」

 椅子から崩れ落ちるゼペットをよそにそう尋ねると、食料袋から飛び出してきた少女は、満足げな表情で血振るいした。

「パパの好みっていうから、思わず殺しちゃった♪」

 違う、そうじゃない。そもそも自分の好みではないし、どうして食料袋なんかに入っているのか。

「どうしてここに居るんだ?」

「え? だって父親の傍に娘が居るのは当然でしょ? それなのにパパったら置いてこうとするんだから!」

 この局面で、どうして自分が怒られなければならないのか。口を尖らせた少女は、即死は免れないであろうゼペットを放置して、彼の椅子に座った。そして彼が口にしていた飲み物を飲もうとして……やめる。

 彼女にまだ酒は早い。彼はかなりの酒好きなので、年端も行かぬ少女の身体は、相当きつい臭いを感じただろう。まさか開始早々彼が殺されるとは思わなかったが、まだ酒は飲み終わっていない。『闇衲』は再びカップを手にして、中身を口づける。

「いつ入った?」

「パパが宿屋を出ようとする時。『赤ずきん』に協力してもらって入ったの。気づかれない様に身体を動かさないの、大変だったんだから」

 食料しか入っていない割には重いなとは思っていたが、彼女が入っていれば納得出来る。納得できない事があるとすれば、少女一人抱えている事も知らずに、呑気に歩いていた自分の神経くらいなものである。今更悔い改めようがないにしろ、どうして気付かなかったのか。お蔭でゼペットが死んでしまったではないか。

「苦労なんか知った事か。出来れば今すぐ帰ってもらいたいんだが……この街にお前を放り出したら大変な事になりそうだ。仕方ないから付いて来い。ただし、お前は勝手に付いてきたんだ。この街に居る限り俺はお前の父親ではなく、殺人鬼。最低限の面倒しか見てやらないから、そこは承知しろよ」

「はーい」

 ようやく解放されたと思っていたのに、纏わりついてくるとは不吉極まりない。せめてこの街に居る間だけでもと思ったのに、また子守りをする必要があるのか。最低限の面倒とは言ったものの、この少女の行動力を考えると、それが何処までなのか線引きが非常に難しそうである。すっかりカップの中身も飲み終えて、『闇衲』は立ち上がった。

「アルラデウス、ツケで頼む」

「畏まりました」

 バーテンダーとは言ったものの、ここの従業員は彼一人だけなので、実質的な経営者もまた彼だ。彼さえ説得出来れば幾らでもツケる事が出来る。これだとまるで『闇衲』が料金を踏み倒している様にしか聞こえないが、掃き溜めに収まらなくなるくらいに人は殺してきた。奪った金は余る程ある。今回はそこでだらしなく横たわっている彼の介抱をしなければならない上、リアの監視までする必要が生まれたので、その暇がないだけだ。『闇衲』は食料袋を片手にゼペットを優しく抱き上げて、店を後にする。

「あ、パパ待ってよ~」

「不可能だ。お前が一緒に居るんなら、こんな所に長居するのは危険極まる。早く来い」

 この少女を見つけた日には、少なからずこの街に居る男性達は自分の愛玩動物にしようと画策するに違いない。どうせ一発で孕むので、永久に女を抱く為の母体にでもなるのではなかろうか。彼女を犯して、子供を産ませ、女の子が生まれたらその子を育てつつ彼女を育て、その女の子が育ったらそれを犯し、更に……といった具合に。

 奴隷王にしても何にしても、この街に居る様な女性は大概ロクデナシか女子力の欠片も無い奴等ばかりなので、これ程純朴な女の子を見つけてしまったらそんな事をしてしまってもおかしくない。ミコトもこの街を訪れた時、大変だったろう。彼女の豊満且つ引き締まった肉体は、早々見られるものじゃない。

 同時に、寄ってくる男を一撃で沈めていた事も想像に難くないが。それか下手に手を出すと殺してしまうから『暗誘』に何とかしてもらったのだろうか。彼の能力は何処でだって通用する。『闇衲』でさえ掛かった後に気付いたのだ。素人ならば最後まで気付かれない事の方が多いだろう。

 この街における最大的な抗争の種ことリアを連れて、辿り着いたのは『下層』と『中層』の境目から少しこちら寄りの小さな路地。ゼペットが少女の姿を象っていなければ通れそうになかったそこを通ると、やがて大きいとは言えない、とても小さな家に辿り着いた。

「ここは?」

「こいつの家だ。俺が滞在していた場所でもある。入るぞ」

 鍵の類は持ち合わせていないが、どうせ鍵など掛けていない。中へ入ると、二千冊以上の本が、開かれていたり、閉じられていたりして、乱雑に山を形成していた。その全ての内容が等しく魔導力学や人智学、人体構造学などの小難しい内容で締められており、適当に本を取ったリアは、全く意味を理解出来なかった。物珍しい状態に興奮気味な彼女を横目に、『闇衲』はこの家には不似合いなダブルベッドにゼペットを横たわらせる。

「ねえパパ。何でその人まだ連れて来てるの? 私、ちゃんと殺したよ」

「……お前に、ゼペットの特性について少し話をしようか」

 包帯は彼がいつも使っているだろうから、日用品置き場にあるだろう。消毒液は……枕の下にあった。後は薬草があれば完璧だが、持っているとは思えなかったので食料袋にあったもので代用する。

「こいつは、最初は只の人形師だった」

「人形師?」

「人形を作る人の事だよ。レスポルカでも見かけただろう、あの木人人形をさ。まあ、お前は興味を示さなかったみたいだが」

「だって、可愛くないし」

 その通り。木人人形は一部の存在にしか価値を見出されなかった。その理由は至極単純。人を模して造られたのに、全く可愛いと思えなかったから。当時、同じ事を考えていたゼペットは、皆に好かれる様な人形作りをすべく、精進に精進を重ねた。

「その果てに生まれたのが、ピノキオという存在だった。長年の努力が遂に身を結んだ瞬間だ。ゼペットは遂に人形へ魂を吹き込む事に成功したんだ」

 だが、それが間違いだった。己が人形である事を自覚していたピノキオは悪逆非道の限りを尽くし、人々を困らせた。何とかして鎮めようにも、既にピノキオの力は素人を遥かに上回っていた。程なくしてピノキオは姿を消したが、それ以降ゼペットは、人形を作れなくなった。また命を吹き込んで、多大な人間に迷惑をかけてしまうかもしれないと悩んだ。

「勘違いしないでほしいが、こいつは別に善人って訳じゃない。人間に迷惑をかける事を嫌ったのも、そのせいで研究を邪魔されたくなかったからだ。人形を作りたいが、またピノキオの様な惨劇を思うと作りづらい。それにあれこそが人形の完成系であり、あれ以上の進化は望めないだろう……そう思ったゼペットは、自分を実験体に、人形を作る事にした」

 薬草を磨り潰して包帯に染み込ませ、そこに消毒液を混ぜて慣らす。致命傷となった首に巻き付けたら適当な所で契り、解けない様に固く縛る。

「待ってパパ。それっておかしくない? 人形の進化が望めないのに、どうして人形を作る事にしたの?」

「完成系になったのは、無機物から作り出す人形の事だ。人間から作る人形なんて誰もやった事がない未知の領域。如何に精神のイカれた奴でさえ、最大の禁忌として自粛していた行動だ。それをこいつはやった。やった結果こいつは……遂に人形になった」

 最後はリアがこちらへ振り返った事もお構いなしに、彼の唇へとキスをした。

「パパッ?」

「そういう構造だから仕方ない。昔からお姫様を起こすのは目覚めのキスだと決まっているらしいな」

 納得の出来ない様子のリアが接近してきて、共に死体を眺めていると、先程の致命傷をものともせずに、ゼペットがぱちりと目を覚ました。

「キャッ!」

 あれだけの出血をして生きている訳が無い。そう思っていたリアは驚いて、腰を抜かしてしまった。確かにその思い込みは正しいが、彼の身体は最早人形だ。首を切られようが四肢をバラバラにされようが、こうして適切な処置をしてやれば、手遅れだったとしても息を吹き返す。

「災難だったな。俺の娘が袋に入っていたんだ」

「へえ。成程。そりゃ随分と不幸だったなあ。まあ、起こしてくれたし、水に流してやるよ」

 ゼペットはすっと立ち上がり、恐慌から全身を戦慄かせるリアに、優しく手を差し伸べた。

「初めまして。君のお父さんの永遠の相棒ことゼペットだ。こんななりだが、元々は男だ。そして気味のお父さんに、メスにされちま―――」

 リアがその手を取るよりも早く、ゼペットが大嘘を吐くよりも早く、『闇衲』は彼の髪を掴み、ベッドに叩き付けた。鞭のしなりを思わせるあまりにも綺麗な投げ方に、リアは小さく手を叩いた。

「もういっぺん殺してやろうか」

「わ、分かった分かった。なし、なし。今の無し。ちょっとからかいたかっただけだから、な? 落ち着けって相棒」

 やり直しの如く、またゼペットが立ち上がって手を差し伸べた。

「初めまして。君のお父さんの相棒ことゼペットだ。こんななりだが、元々は男だ。自分自身を人形にしちまった愚かなおっさん……とでも思ってくれりゃいいぜ。よろしく頼むぜ娘ちゃん」

「よ、宜しく。それで、本体は何処にあるんですか?」

「敬語なんてしなくていいぜ。本体は……もうとっくに腐敗しちまった。家の裏を掘れば骨くらいは見つかるかもしれないが、どうだろうな! どうせ身体なんて幾らでも替えが利くんだから、気にするなよ」

 果たして復讐に憑かれた少女は、これを男と受け取るのか女と受け取るのか。そもそももう人間ではないから、殺意が浮かぶのかも分からない。今の所は困惑がとにかく前面に出ているが、最初は自分もそうだった。直に慣れてくる。

「ひ、一つ質問していい?」

「おうよ。何でも聞いてくれや。相棒の娘の頼みって事なら何でも聞いちゃうぜ?」

「どれくらい、人間なの?」

「替えが利く事以外は、ほぼ人間だぜ? 例えば俺の後ろに居る邪悪な獣が俺に襲い掛かってきたとしよう。性的な意味でな」

「おい」

「余裕ねえなあ相棒。例え話だから落ち着けって。で、襲われた日が、たまたま危険日だった。そうした場合、この身体だったら普通に孕むな」

「ほ、本当?」

「ああ。出来る事なら今すぐにでも性器おっぴろげて見せてやりてえが……」 

 ゼペットは背後に居る男を見遣り、苦笑した。

「それをすっと、相棒が怒っちまう。どうやら相棒は、たとえ娘であっても自分以外に性器を見せるなと言いたいらしい」

「刻むぞクソジジイ」

 『吸血姫』がどれ程まともな人物だったかが良く分かる一瞬だ。彼女からここまで弄られた事はないし、ミコトはミコトで弄り具合を弁えているし。こんな奴に相棒呼ばわりされる自分の身になってもらいたい。いい加減、ぶち殺したくなってくる。

 適当な理由をつけてリアを預けようかと思ったがやめだ。明らかに教育に悪影響な場所へ彼女を置いておく事もない。面倒だが連れ回そう。

「カッカッカ。嘘嘘、嘘だって。そう怒んなよ相棒。キレやすいのはお前の短所だぜ?」

「誰のせいだと思っている」

「俺のせいってか? まあそういう事だ。これは逆も然りで、例えば……ついでに答えておくぞ。肉体の予備ってのはあの本の中に埋まってる地下室にあるんだが、例えば俺が男になったとしよう。するとどうだ。犯されたら孕んださっきとは別に、犯したら相手を孕ませる事が出来るんだな」

 体が違うので当たり前だが、肉体を使用した人形という時点で理解に苦しむので、彼の何でもない説明も、実際的には必要である。リアは自身の想像を大きく超えた変人を前に只困惑していたが、少なくとも先程までの殺意は影を潜めた。あまりの変態ぶりに毒気を抜かれてしまったのか。それともゼペットの今の身体が、彼女と同い年くらいの少女だからか。

 説明の終わった彼は、不意に微笑んで、リアの頭を撫でた。

「―――安心しろ。暫くはこの姿で過ごすつもりだ。そう警戒しなくたって、相棒の娘に種付けなんかしねえからよ」

 全てを見透かした様な発言にリアが目を白黒させていると、ゼペットは背後の『闇衲』に抱き付いて、甘える様な声を出した。

「私は『闇衲』の方がだーい好き! だって一緒に過ごしてきたんだもん、幾ら可愛い娘が来たって、私はずーっとずーっと『闇衲』を見てるんだから!」

「気色悪い。離れろ」

「興奮した?」

「するか死ね」

 少女らしからぬ歪で卑しい笑みを浮かべるも、それでもゼペットは、心底楽しそうに微笑んだ。

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