ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

血塗られの恋文

 食堂はそれなりに見通しが良いので、リアは直ぐに見つける事が出来た。仮に見通しが悪かったとしても、リアの容姿がどれだけ目立つかは理解している。何処の大陸へ行ったって、黒髪は……それも、あんなに綺麗なモノはお目に掛かれない。視界を染める黒色を探せば、それが彼女である。
 居た。リアだ。相変わらず目から光が無くなって……居るのは元々か。隣の男性が何を話しかけようとも、返事は何処か曖昧で、夢現である。周囲の人物はシルビアの友人ではないので、少し勇気がいるが、せっかく突破口が開いたのだから、こんな所で躓いてたまるか。
「…………リ、リアァッ!」
 声が上擦った。物凄く恥ずかしい。心なしか全く関係のない人物にも見られた気がするが、今退けばさらに恥ずかしい事になる。リアの視線が持ち上がり、虚ろな視線がシルビアを射抜く。
「…………何?」
「ちょ、ちょっと来てくれない? リアに教えたい事があるの」
 少女の生気の抜けた視線は、シルビアの良く知る男性にとても良く似ていた。彼はどんな時だって、いつもそんな瞳で何かを見ている。心ここに非ずのままに、彼はリアや自分達と交流している。リアの今の瞳は、そんな彼と全く同一の物だった。こちらの言葉を受けてから動作までに数十秒もの時間がかかったが、彼女が何かを考え込んでいたから、という訳ではないだろう。単純に、心が何処かへ行ってしまっているから、動作が緩慢なだけだ。
 席を立って、移動して。それまで三分。恐ろしく長い時間を要したが、ようやくリアはシルビアの近くに訪れた。
「……何?」
「ここじゃ渡せないから、ちょっとこっちに来て」
 そう言って歩き出すが、リアの動作が緩慢過ぎて昼休みが終わってしまいそうである。手を引いて、無理やり食堂を出た。




 その瞬間、こちらを品定めする様な下劣な視線を背後から感じる。拒否反応で思わず飛び退いてしまったが、背後に見えるのはリアの綺麗な顔だけである。




―――気のせい?
 こんな気味の悪い視線を感じたのは、子供教会以来である。何だか嫌な予感がしたから、早足で食堂を出て、手近な教室に足を踏み入れる。ここなら誰にも見られない。
「……それで、何か用」
「実はね。私が教室を出ようとした時に、この手紙が降ってきて」
「……手紙が降ってきた?」
「うん。それで、この手紙何だけど」
 ポケットから手紙を取り出した瞬間、リアの目の色が変わり、瞬時にそれを取り上げた。手紙の表には『親愛なる娘へ』と書かれており、そんな言い方をする人間を、恐らく彼女は一人しか知らない。逸る気持ちはまるで抑えられておらず、手紙を開封する時の手つきは乱暴極まった。一刻も早く見たい気持ちの表れなのだろうが、その時点で手紙は半分以上も破れている。果たして中身は読めるのだろうか。
 硬直。綺麗な鮮血の双眸だけが、不規則に揺れている。どうしてか心拍が上がった。やがて彼女が手紙を読み終えると、
「シルビアッ!」
「きゃあっ!」
 何故か押し倒された。そして何故か、キスをされた。
「んぐ……ッ? お、んッ…………!」
 そして何故か、舌まで入れられた。驚いて押し退けようとしても、むしろリアを吸い付かせるばかりで、全くの逆効果である。足をバタつかせようとも結果は同じ。諦めてそれを受け入れると、大体一分くらいだろうか。ようやく彼女の唇が離れた。口の中に納まろうとする口から、僅かに唾液が滴る。
「り、リア?」
「ねえシルビア、聞いてよ。パパったらすっごく大胆ね! 娘にラブレターを送ってくるなんてッ」
「え」
 中身は自分も拝見したが、あれがラブレターかと言われると非常に微妙である。手紙の中には、
『合同授業、出て欲しいんだったな。今まですっかり忘れていたが、その時までには戻ってくる。そういう事だから、良い子で待っていろよ』
 とだけ書かれていた筈で、何処にもラブレターと呼べるような要素が無い。リアには同一の手紙を渡した筈だが、仮にラブレターなのだとしたら、いつの間にすり替ったのか。手紙を返してもらったが、やはりそんな内容は何処にも書かれていない。
 非常に不可解である。
「ふふふ♡ そっか、パパが来てくれるんだ……パパ、私の為に来てくれるんだ♪」
「り、リア」
「なあに? フフフフフフ♪」
 『赤ずきん』の性格が変貌してしまった際には恐怖を抱いてしまったが、そんな恐怖をこの一生で二回も味わう事になるとは思ってもいなかった。リアは元々だが、先程の死に具合との差異が酷いと同じ気分になってしまう。幸せそうな彼女の心に水を差すのも良くないと思えてきたので、「なんでもない」と言って、彼女を帰らせる。食堂の方では、そんな彼女の豹変に困惑する声が続出していた。別の被害を生んだ気もするが、彼女が笑顔であればそれだけ周りが明るくなる。良い事をしたと思う。
 教室を出たシルビアは、そのまま食堂に背中を向けて歩き出した。切っ掛けはどうあれ、彼が来てくれるのだ。自分としても、嬉しい事である。
「~♪」
 お腹は不思議と減っていない。満腹感にも似た幸福が、シルビアの心を満たしていた。スキップに乗せた鼻歌も、いつにも増して調子が良い。最早心配事など無いので、後は昼休みと五限目が過ぎ去るのを待つのみである。
 屋上でのんびり日光浴でもしていればいいだろうと考え、階段を上っていると、ふと心配事が脳裏を過り、足を止めさせる。
 食堂を出る時に感じた視線は、一体何だったのだろうか。あの時はリアさえどうにかなれば何でも良かったが、全てが解決した今となっては、その視線が何よりも気になる。もしもあれが悪意ある視線だった時、その視線が現象となってリアや自分に襲い掛かってくるのはいつになるのか。合同授業の時であれば彼が居ても、それ以前に来られたら―――
 シルビアの視界に映ったのはその時だった。階段を曲がった所から伸びる手が、先んじて踊り場に到着したもう一人の自分を掴んだのは。
 階段を無視して思いっきり飛び退くと、丁度一階の窓が壁になって受け止めてくれた。今の現象は何も初めての事ではなく、これがどういった事を示すのか。シルビアには良く分かっていた。
「お? おかしいな、俺の計算によると、このまま上ってきた筈なんだが」
 階段の踊り場に姿を見せたのは、見覚えのない男子生徒数人だった。背丈は自分と比べると随分高い。どれくらいかは測りかねるが、シルビアの頭が胸くらいにしか届かない。確証はないが、上級生の様に思える。
「だ、誰ですか」
「俺はトレス。トレス・マースル。知ってるか」
「全然」
「そうか。そうか。まあいいや、取り敢えずお前、俺の女になれ」


 ………………………………………………


「もう一度言ってくれませんか?」
「俺の女になれ」
 多分。ラブレターというのは、これくらい直球の愛情表現が書かれていたら成立する。決してリアの見たような文章は、ラブレターなどではない。
 そうじゃなくて、これは告白なのだろうか。この傲慢な態度といい、数的有利を取って威圧感を与えるこの現状といい、告白と言えるような対等なモノでは無い気がするのだが。シルビアが判断に迷っていると、男達がゆっくりと降りてきた。一歩、また一歩。足踏みを揃えて、乱れなく。
「ど、どうしてですか」
「お前みたいに気の弱い奴だったら、俺の言う事にも逆らわんだろう。さ、大人しく俺の女になれ。この尊き血筋を紡ぐ事が出来るんだから、幸せだろう?」
「お、お断りします。そもそも、貴方の事、良く知りませんし」
 仮に知っていたとしても、自分を只の穴としか見ていない様な男性は御免被る。尊き血筋がどうのこうの分からないが、仮に男性と交際する事になったら、それだけは条件として付けたく思う。貴族だけあって容姿は端麗であるが、容姿のみを見れば子供教会にだって端麗な男性が居た。状況はあの時と何も変わらない。
 だから肯定的な返事は、死んでも返さない。そんな状況を脱したくて、自分は彼の血濡れた手を取ったのだから。
「ほう? お前、自分の親がどうなっても良いって言うのか? その容姿は評価に値するが、どうせ平民だろう? 俺程の権力があれば、そんな奴など一言で殺せるのだぞ」
 多分、無理だと思う。シュタイン・クロイツにも勝利した彼を、それも殺害という分野で超えられるとは思わない。それに彼は、元々秩序の中で生きるような人物ではない。平民という身分以前に、彼は身分なるモノに縛られる様な人間じゃない。
 生きるから生きる。死ぬから死ぬ。
 そういう単純な世界で彼は生きている。その事も分からないという事は、目の前の上級生は、シルビア達の家庭事情について何も把握していないらしい。そう考えたら、スッと気持ちが軽くなった。
「どうなったとしても、お断りします。私は、願わくは、好きな男性と添い遂げたいので」
 毅然とした態度を貫いて、シルビアはきっぱりと断った。この手の男性には、ちゃんと意思を示さないと付き纏われるに違いないと。本能でそう感じたのである。
「ほう。この俺に口答えするのか?」
「はい。します」
 上級生は露骨にこちらを脅かさんと拳を捻って骨を鳴らすが、『闇衲』の隣に居る方が、いつナイフを向けられるか分かったものじゃないからずっと怖い。そして彼の方が……少なくとも、自分を対等な人間とも見ない様な傲慢な上級生よりかは魅力的である。目の前の男が彼に勝っている点など、精々顔くらいなものだろう。
 シルビアが一向に動かないのは、決して意地や怒りによる粘りではない。彼らの内の誰かがやっていると思われるが、魔術によって身体をくっつけられて動けないのだ。このままでは彼らの卑しい手が自分の身体に触れる事になるが、ここは学校。そんな事をすれば特別指導だ。
「……あらあら。女の子に告白するのは結構だけれど、少しやり方が乱暴ね♪ そうは思わないかしら、トレス君」
 あまりにも出来過ぎたタイミング、と言われればそうかもしれない。窮地に陥った自分を助けてくれたのは、またしてもノーヴィアだった。  


 






 

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