ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

娘の為とあらば

 やれるだけの事をやってみたが、『赤ずきん』は不敵に笑うばかりで効き目がない。殺さず、且つ気絶させず、且つ痛がらせる程度という縛りは、『闇衲』にとってはあまりに窮屈だった。一時間程頑張ってみたが、大体無駄だという事を悟ったので、もうやめた。
「……もう、しないんですか?」
「飽きたんだよ。お前、全然堪えないし。これ以上やるとお前の身体を壊してしまう。アイツの前だからああ言ったが、やはり妥協は大事…………」
 暫く考える。青空に視線を向けて、現在の状況を俯瞰する。それから、『闇衲』は改めて口を開いた。
「いつ戻った?」
「『狼』さんが何度も頭を叩き付けてくれましたよね。その時に、どうやら戻ったみたいです」
「他人事だな」
「人格を抑え込まれたので、致し方ない事です」
「つまり、お前は敢えて喰らっていたと」
「『狼』さんが私だけを見てくれている、数少ない瞬間ですからッ」 
 彼女はそんな事を言って、血塗れの身体を引き摺って、こちらまで近づいてくる。『闇衲』が寝転がっていてもおかまいなしで、やがて身体を重ねる様に這いつくばると、『闇衲』の唇に吸い付いて、そこに舌を捻じ込んだ。
 やめろと言わなかったのは、言わなかった訳ではない。リアの機嫌を最悪にして、また泣かれるのは嫌だったから、抵抗出来るのなら抵抗していた。しかし洗脳の解けた『赤ずきん』は何らかの魔術を使用して、『闇衲』から完全に力を奪っていた。なのでこちらは、喋る力すらも持っていない。
 彼女を迂闊に接近させたのは悪手だったようだ。このままだと、永久に口内を貪られている訳だが、打開策なんて存在しない。
「んちゅ………くちゅ……んぐッ。もう一つの人格とはいえ、私が申し訳ない事をしました。これは、そのお詫びです」
「そうは見えないが」
「ええ、まあ! 人格に抑え込まれていた中でも、私という人格は実は残っていたんですよ。ですから、全て分かります。……シルビアが、リアが、私の『狼』さんにしてもらった事も全て」
 この無駄に正直な言葉。自分勝手な独占と、認めた覚えのない『闇衲』の支配。やはり彼女は『赤ずきん』だ。間違っても、『赤ずきん』に見えるが、それとは全く関係ない第三の人格という事はない。
「勿論、『吸血姫』の事も覚えています。私は今、唯一『狼』さんの置かれている立場を理解出来るんですよ! だから私も、好き放題するんです。『赤ずきん』は悪い子ですから」
「……出来れば、辞めて欲しいのだがな」
「嫌です♪ ……今の、『吸血姫』の真似ですけど、似てましたか?」
 似ていない。体型も、性格も、好感度も、似ている訳が無い。『吸血姫』は好ましいが、彼女は全く好ましくない。幸運にも洗脳が解けたのは喜ぶべきなのだろうが、戻ったら戻ったで、今度はあのままの方が良かったのではないかと思えてならない。気のせいか?
 それともどちらにしたって、『赤ずきん』の性格は碌でもないという事だろうか。少なからず本来の性格はそう言い切って良い。意思に反して『闇衲』の腕が赤ずきんの服に滑り込み、その胸を揉みしだいた。
「どうですか? 『狼』さんの、好みですか?」
「好みは無い」
「もっと大きい方が好きですか?」
「お前までリアと同じ事を言う気か」
 あの下り、本当に迷惑でしかないから、出来ればやめてほしい。自分は巨乳好きなどではないし、まして貧乳好きという訳でもない。そもそも、胸だけで女性を判断するなんて恥知らずな事は出来ない。
 女性は記号では無く、人間だ。そんな無機質な価値の判断をするのはむしろ失礼である。そんな事を思いつつも、非常に不本意ながら暫く彼女の胸を揉みしだく事になったが、やがて少女は離れ、『闇衲』の身体は意思に従う様になった。何故か服が濡れていたが、恐らくそれは『赤ずきん』が下着を履いていないから、興奮した際に出た体液で濡れただけだろう。歩いていれば直ぐに乾きそうな量なので、文句をつける気にはなれない。
「良い子になってくれて何よりだ」
「別に、そんなつもりはありませんよ? ただ、ここでやってしまうのも如何なものかと思っただけです。『狼』さんが望むのでしたら、続けますが」
「そんな日は一生来ない。残念だったな」
 処女の癖に、何とも言う事が物騒で、そして気味の悪い少女である。相変わらずの不気味さと、自分に酷似した超然とした雰囲気に『闇衲』は起き上がって、耳を掻いた。一生に一度、あるかないかぐらいの幸運によって無事に洗脳は解けたが、ここまで嬉しくない僥倖も無いだろう。嬉しい事は嬉しいのだが、若干後悔している節すらある。
「それに、私は賭けに負けました。一生リアの手助けをするとも言ってしまったので、飽くまで役目を果たそうと、気まぐれにそう思ったのもありますね」
「役目?」
「はい。あの学校には、合同授業っていうものがあるんですけど……今日がその日なんです」
 その情報だけは、シルビアから聞いている。しかしそれが今日だったとは、知らなかった。どうして教えなかったのだろうと考えたが、原因は偏に、『赤ずきん』にあると言っても良い。今日の朝に言えば十分に間に合った事だが、それを不可能にさせたのが、あの暴走。あの暴走を経たせいで、リアはその事を伝えられぬまま学校に行き、自分はそんな事とは露知らず、こうして無意味な拷問をしていたと。
 気まぐれにそう思った、などと『赤ずきん』は嘯いたが、彼女は人格が殺されている間も俯瞰して見ていたと言っている事から、決して気まぐれによる行いではない事が分かる。彼女は悪い子だが、恩と仇を間違える程理性は崩壊していない。彼女は彼女なりに、悪い事をしたと思ったのだろう。
 そう考えたら、何だか今までの生意気な発言も、そういう裏の意図があったんじゃないかと思えてきて、少し滑稽に見えてくる。仮にそうだとしたら、彼女はやっぱり『悪い子』ではない。
 微妙にひねくれてしまっただけの、只の『赤ずきん』である。
「『狼』さんは、勿論行きますよね?」
「―――ああ、勿論だ。何処かの誰かさんのせいで行きそびれそうだったがな」
「……それは、勘弁してください」
 珍しくバツの悪い顔をするのを見て、『闇衲』は自らの意思で、彼女の頭を撫でる。やはり、洗脳は解いておいて正解だった。

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