ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

自分の殺し方

 少女が目覚めるまで、どれくらいの時間を要したのか、正直分からない。それくらいの時間を過ごした。『闇衲』が目覚めた時、二人の少女が自分の顔を覗き込んでいた。妙に後頭部の感触が心地よかったが、どうやら二人で膝を突き合わせて、膝枕をしてくれていたらしい。
「……これは、どんな地獄だ?」
「あ、パパ起きた。どう、気持ち良かった?」
「せっかく夢で良い気分になっていたのに、お前の顔を見ただけで一気に現実へ引き戻された。最悪だよ。刻まれろ」
「パパ以外に殺される気はございませんッ。じゃあ、パパ。早速やりましょうか」
 二人の膝から頭を持ち上げると、不意にそんな事を言われて、『闇衲』は首を傾げる。直ぐに言わんとしている事を察したが、起きたばかりなので頭が働かないのだ。実に……そう、久しぶりの睡眠だったものだから。これだけ無防備に眠ったのも、本当に随分久しぶりな気がする。気を張らなければいけないのはいつもと変わらない筈なのに、どうしてだろう。こんな頼りない連中に囲まれて、よくもまあ、ここまで無防備に眠れたものだ。
「ああ、そうだったな。それでは約束通り、殺意のコントロールを……と言いたい所だが、お前に名前が無いと言うのは実に不便だ。よってお前には、名前を与えてやる。構わないな?」
 本来この役割は肉親が行うのだが、その肉親とやらは普通に屠ってしまったので致し方ない。この数時間で彼女はリアに懐いてしまった様で、彼女の手を掴んで離さない。この少女が母親の様であると思っているのだろうか。どうせ彼女の命には猶予があるから、誰を好きになろうとも構わないのだが、あんまりリアに執着してくれると、何だか手を出しにくいので勘弁してほしい。
 少女が首肯する。
「そうか。ではお前の名前は、暫くテロルとする。文句は言ってくれるなよ」
「テロ……ル?」
「ああ」
 どうせ直ぐに居なくなる存在だが、だからと言ってその存在に唯一性を与えないのはどうかと思う。彼女は彼女で、しっかり自分との約束を守ったのだ。破ったのはならばいざ知らず、素人なりに守ってくれたのだ。ならばこちらも、彼女の事は一人の人間として見なければなるまい。猶予があったとしても、今この瞬間、彼女は生きているのだから。
「一応確かめておくぞ。テロルッ」
「………………」
「返事をしろ。テロルッ」
「は、はいッ」
 少し心配になってきた。だが、今まで名前が与えられなかったのなら仕方のない反応だ。『闇衲』自身はそれなりに短気であると自覚はあるが、こんな事で怒りはしない。普通の人間ならばいざ知らず、この少女は特異な環境下で生きていたのだから。
「改めて、殺意のコントロールを教えよう。ついでにリアにも教えてやる。お前も一緒に聞けよ」
「はーい」
「とは言っても、見せるだけでは理解してもらえないからな。少しばかり長い説明が要る。許せよ」
 血だまりの中で始まる授業というのは、何とも奇妙な感じだが、悪くない。間近で死と触れていれば、これから自分が語る際に挟まれる抽象的な表現も自ずと理解出来るだろう。『闇衲』は勢いよく跳び起きて、扉の外を確認する。
「最初に聞くが、リア。殺意とはどんなものだと思う?」
「え? 相手を殺そうと思う気持ちの事でしょ?」
「大体合ってる。基本的に、敵と相対した時に抱く感情だ。相手を殺したい、消したい。そういう負の感情が、殺意だ。普通に戦うのであれば、さほど気にしなくても良いが、ではその殺意をコントロールするとはどういう事か。この感情が無ければ人として何かが外れている証拠でもあるのだが、それもその筈、この感情は生来より人間が持ち合わせている物。つまり、何もしなければ勝手に出て来てしまう感情なんだ」
 血だまりの中から『闇衲』が拾い上げたのは、男の頭蓋骨。それを掌の上で暫し遊ばせると、飽きた様に壁へ投げつけ、破壊した。
「俺は知らないが、テロル。お前は見た筈だ。殺意のままに男達を殺すリアの姿を。あれを、殺意のコントロールが出来ていないという」
「ちょっと! さり気なく私を馬鹿にしないでよッ」
「そんなつもりはない。お前にも教えていないんだから、お前が出来ていないのは当然の事だ」
 横目でテロルを見ると、言葉を知らない彼女だからこそ、何よりもその瞳が全てを物語っていた。
「しかし、この感情を操れないようでは三流だ。この感情を極限まで高めれば一時的に強くなる事も可能だが、操れないとは高める事も出来ないという事。それでは何時まで経っても獣と変わらない。……そろそろ実践して見せようか。殺意のコントロールが可能になれば、どういう事が出来るか―――」
 『闇衲』がゆっくりと瞬きをした瞬間、二人の身体は、鎖で吊るされた様に動かなくなった。一歩でも動けば、鋭利な刃が心臓に突き刺さる。そう思えてならないから、心拍も極限まで抑え込んだ。何処を見てもそんな刃物は無い筈なのに、本能がそう訴えていた。身体が、その真実を訴えていた。
「お前達にやる理由がないから抑えたが、気の弱い者ならば気絶させる事も出来る。相手の身体が、勝手に殺されたと勘違いして動けなくなるんだ。中々滑稽だぞ」
「そ、そんな事より……パパ。そろそろ」
「―――ああ、忘れていたよ」
 心臓から刃物が離れていくような感覚を覚え、再びリアの心拍は正常に作動する。彼と共に街や国を殺してきた自分でさえこれだ。テロルの方はというと、自分の身に何が起きたかを理解出来ず、リアに寄りかかり、その場で嘔吐していた。足元は血だまりだから、大して汚くもならないが、見ていて気分の良い光景じゃない。
 深呼吸を置いて、リアは言った。
「で、それをどうやってコントロールするの? それって、長年の経験とかで培う技術じゃないの?」
「勘が良いな。確かにその通りだ。俺と同じ境地に達するには経験が必要。しかし、俺がテロルにやった様な、意識を覚醒させる程度のコントロールだったら話は別だ。直ぐにでも習得出来る。お前だったら……もう少し上手い利用方法もあるが」
「え、何々ッ?」
 前傾姿勢を取って食い気味に尋ねるリアに、『闇衲』は若干引いた様に一歩退いた。これが殺意のコントロール……とは言わない。追求心があるのは良い事だが。
「攻撃の直前で殺意をコントロールし、相手にぶつける。すると相手は、お前の攻撃が当たるよりも早く攻撃が近づいていると思って、大袈裟に避けてくれるんだ。現実との差異って奴だな。実際には拳一つ分離れているのに、殺意の刃でそこを埋める事で、相手は勝手に隙を見せてくれる。もしも暗殺に失敗して直接戦闘に持ちこまれても、これを使えば十分に勝機を見出せる筈だ。強者には効かないが……覚えておくに越した事はない」
「へえ~! そうなんだあ。で、どうやってこれを修行するの?」
「簡単だよ。テロル。お前、誰か殺したい人間は居るか?」
「殺…………す?」
「居なくなって欲しい人間、居ないとは言わせないぞ」
 この場に居る全員が、少女の答えを良く分かっていたが、テロルは改めて、己の胸の内を整理する事にした。殺すとは、居なくなって欲しい人物の事。居なくなって欲しいとは、自分に酷い事をする人物の事。
 ……お父さん。
 彼との思い出を振り返っても、何か楽しいと思えるような事が、何も無い。ずっと、痛い。痛い。苦しい。辛い。
「はあ………はあ、はあ、はあ、はあはあはあはあはあはあはあ!」
 苦しい。胸の奥が、あらゆる方向から圧し潰されているみたいに苦しい。このまま死ぬのか、せっかく生き延びて、変な人にサツイのコントロウルを教えてもらうのに、こんな所で倒れてしまうのか? 嫌だ。教えてもらうんだ。どんな事になったって、教えてと頼んだのは自分だ。嫌だ、死にたくない。嫌だ。
「……落ち着け!」
 滅多に声を荒げない殺人鬼パパが、澄んだ殺意を広げて、大声を出した。あれだけ圧し潰されそうだった胸の奥が、急にすっきりとした。殺人鬼パパを見上げると、その瞳は、とっくにこちらの心を見透かしていた。
「少なくとも、こうして一緒に居る間は俺達が守る。だからそんな風に、自分の首を絞める必要はない。しかし、殺したい相手は直ぐに見つかったようだな?」
「……はい」
 それが恥ずかしい事であるようにテロルは自分を抱きしめたが、そんな事を一番気にしているのは、自分だけであるという事に気付いた。殺人鬼もリアも、その発言に、何の問題性も見出していない。
「では、そいつを想像してみろ。恐怖の対象だ、このまま何もしなければお前は犯される。それは嫌だ、ではどうするか? お前の手元には、ナイフがある。これを使えば殺せそうだ。殺さなければ犯されるだけ。これ以外に対抗手段は無く、助けてくれる人もいない。お前はナイフを手に取り、それに近づいた。それはお前の持っている物に気が付いたが、もう遅い。お前はお前の想像する、最悪の方法でそれを苦しめる事にした…………掛かったか」
 一種の暗示だったが、上手くかかった様だ。今、テロルは己の心内で恐怖の対象と向き合い、戦っている。ここで声をあげて、彼女の集中をかき乱すのは野暮である。リアも、押し黙って彼女の事を見守っていた。
「…………あ、やめ」
「お前はナイフを手に取られた? それは違う。奴が取ったのはナイフではなかった。お前は相変わらず、ナイフを持ったままだ。今まで逆らう事も許されなかった男に、遂に自らの思いをぶつけられるのだ」
 大事なのは、絶対に勝てない存在に対して、屈服してはいけないという事。心の中で屈服してしまっては元も子もない。しかし、そんな事を彼女に言ったって一人では無理だろうから、『闇衲』が協力する。彼女の心象風景を肉付けして、何としてでも彼女を勝たせる。どれだけ彼女が己を否定しても、それよりも肯定する。
「ゆっくりやればいいさ。恐怖に勝つなんて、誰でも出来る事じゃないからな」
 今日の所は一日中、これに付き合う事になりそうだ。


  

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