ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

何もかも退屈で

 終わってみれば、何てくだらない依頼だったのだろうか。最初からくだらないとは思っていたが、ここまでくだらないとは思っていなかった。この世界にまともな男性は居ないのか。具体的には、リアに欲情しないタイプの人間。
 苗床問題について、気持ちは分からなくもない。あらゆる生物の子を孕めるリアは、その目的において、最も適した身体を持っている。だから、その事情を知った上で狙っていると言うのなら、話は分かる。許す道理は無いが、話は分かる。だが、その事情も知らずに、単純に体つきを見て同じ事を思うというのなら話は別だ。くだらない。実に下らない。
 この世界にはしょうもない人間しか居ないのかと。そう思わずには居られない。『暗誘』は自分と同じでどうしようもない存在だが、他の男性と比べれば随分マシだったのだなと、実感した。リアが死んだと勘違いしている以上、会う事は無いだろうが、もしもそういう事になったのなら、少しくらいは背中を押してやってもいいかもしれない。下衆な男にリアを渡すくらいなら、奴に渡した方がマシだ。無駄に紳士な彼ならば心配は要らない。その点のみ信用出来る。
「重いー」
「頑張れ。これも先入観を逆手に取った作戦の一つだ。お前が頑張ってくれなきゃ、俺がわざわざ命を売り戻した意味が無くなる」
 意識朦朧の状態が続いている女性は、娼館にでも売りつけて金と引き換える予定だ。未亡人だが処女、という特性はさぞ客寄せに役立ってくれるだろう。いや、役立ってくれないと困る。それではわざわざ生かした意味がない。本来は、万死を経ても許されるべき存在では無いのだ。
「リア。私も手伝いましょうか?」
「わッ、ありがとッ! リリーって優しいのね!」
「え、そうかしら……ねえ聞いた、フォビア? 私優しいって」
「随分と当たり前の事を言うんだな。お前は優しいだろう。でなきゃそんな顔つきにはならない」
 性根が優しい人間は、顔つきにもそれが表れる。彼女が美人たる所以は、その滲み出る優しさからも来ている。残念ながら男は顔しか見えていないが、顔からそれが滲み出ているのなら、幾ら愚かな男性と言えども、彼女の魅力に憑りつかれてしまうのは間違いないだろう。
「へえー、性格が顔に……じゃあパパは性根が腐ってるからそんな酷い顔なのね!」
「事実だが、お前に言われると腹立つな」
 しかし殴るつもりは無い。そう言った鬱憤は、全て晴らしてきた。『闇衲』は久しく、ここまで晴れ晴れとした気持ちを感じた事が無かった。気持ちの良いモノだ。これと同程度、定期的に発散できたのなら、もっとリアには優しくしてやれるだろうに。
 狂犬はリア達が絡まなければ暴れないし。そんなリア達は、基本的に登校しているし。
 何もかも、退屈だ。
「……そうだ、リア。そいつは娼館に売り払うんだが、手前まで来たら、下ろしてもらってもいいか?」
「え。いいけど、どうして?」
「その女は罪深い。お前を犠牲に、幸せを得ようとしたんだ。同じ事をされたって文句は言えないだろう?」
 人を殺す際には、殺される覚悟をしなければならない。それが世界の共通心理だ。一方的な蹂躙が楽しいのは事実だが、基本、この世界はやられればやり返す。人を殺し続けていれば、いつかは自分も殺される側になる。『闇衲』にしてもそれは例外ではなく、自分もいつ死ぬか分からない状況で、こうして生きている。殺人鬼として、リアの父親として。
 こんな庶民風情が例外なんて、そんな都合の良い話があってたまるか。行わんとしている事を理解したリアは、嬉しそうに口の端を釣り上げて、『闇衲』の脇腹に軽く頭突きをした。
「パパったら、そんなに私の事が好きなのね。困っちゃうなあ、そんなつもりは無いのになあガッ!」
 凄く煽っている様に聞こえたので、振り返りもせず蹴っ飛ばす。手応え的に、上手く彼女の鼻先に命中した様だ。振り返ると、リアは噴き出した鼻血を止めながら、納得のいかない表情で睨みつけてきた。
「何ッ、何なの!」
「腹が立った。久しぶりに蹴ったが、蹴り心地が良いな。もう二、三発蹴らせろ」
「嫌よ。私、パパの奴隷じゃありませんことよ? びょーっひょっひょっひょっひょ!」
「お前の脳内における金持ち、イメージ悪すぎな。何だその純粋に気持ち悪い笑い方」
 彼女は演技だが、もしもこんな笑い方が現実に居たら、どういう教育を受けてきたのかが気になる。親が『笑う時はびょーっひょっひょっひょと笑え』とでも教え込んでいたら、その場で『闇衲』は卒倒してしまうだろう。自分が狂人とは言わないが、甚だ気が狂った人間との対話は苦手なのである。または、有無を言わさずに殺してしまうかもしれない。
 レスポルカの入り口を通り過ぎて、三人は貧民街へ。徒歩で戻ってきたせいか、既に日は暮れ始めていたが、時間帯としてはまだ明るい方だ、貧民街に居ても、被害を被る事はない。ここに来るまでに一度も呼び止められなかったので、こちらの先入観を利用した誘拐作戦は成功した様だ。リアの仕事は、これで無くなった。
「もういいぞ。その女をよこせ」
「ん。ねえパパ、結局私は何をしたの?」
 彼女に身長を合わせて、女性を受け取る。飛び出す屋根から大体の道筋を割り出しつつ、『闇衲』は指を立てた。
「俺が女性を担いでいたら、町の誰かに誘拐と疑われるだろう。そうでなくても、何か事件を起こしそうだと直感するモノが出現しかねない」
「ああ、分かる。パパって性犯罪者みたいな顔してぇゃんッ! …………冗談なのにい」
「拳骨だけで済ませたんだから感謝しろ。話を続けるが、俺だとそんな風に、様々な問題が出てくる訳だ。それら全てを躱すのは非常に難しいし、わざわざそんな手間を味わうのなら、この場で女性を殺した方がマシだ。しかし、お前だったら、性犯罪者とは疑われない。常識的に考えて、お前はする側というよりされる側だからな。現に、お前が担いでくれたお蔭で声を掛けられなかった。お前の仕事はもう完了したという事だ」
「あんまり実感が湧かないけど、パパがそう言うんだったらそうなのね。じゃ、私、先にあの子見つけて遊んでていい?」
「構わん。後で俺も向かう」
 頷いてから、リアは一人離れていったが、『闇衲』の視界から外れる寸前、何かを思い出したように戻ってきて、小指を差し出してきた。
「切れと?」
「違う! ……けど、そう! パパ約束破るから、こうでもしないと安心出来ないの。してくれるよね?」
「破るつもりは無いからな」
 腐った臭いのする小指が、少女の柔らかい小指に巻き付く。あの一件は、彼女にかなりの不信感を植え付けてしまった様だ。こうでもしないと安心してくれないとは、面倒な事になった。
「ゆーびーきりげーんまーん、うーそつーいたーら…………願い千本のーます。ゆーびきった!」
「願い千本?」
「パパと一緒にしたい事、たくさんあるのッ。約束破ったら、付き合ってもらうんだからッ」
「ああ、そういう」
「なるべく早く来てね!」
「分かっている」
 今度こそ、リアは視界から外れていった。あの少女が何処で何をしているかは見当もつかないが、彼女であれば見つけられると信じたい。そう思う為にも、まずは手っ取り早く、この女を売り払わなければ。
「『吸血姫』。娼館に上手い事女を売るにはどうしたらいいと思う?」
「私に聞くのッ? ……うーん、その女性の魅力を伝えてみればいいんじゃないかしら♪」
「魅力?」
「だから…………うーん。言葉で表すのはちょっと難しいかな。『闇衲』。私の胸、揉んでくれる?」
 そう頼まれて、躊躇する彼ではない。素早く伸びた手が『吸血姫』の胸を捉え、鷲掴みにした。力の加減が変わる毎に、彼女の胸は沈んだり、浮き上がったりを繰り返している。
「どう?」
「服越しとは思えない柔らかさだな」
「そういう事♪ 娼婦のステータスとして見られるのは体の良さだから、例えば、ある部位が感じやすいとか、さっきみたいに、胸が柔らかいとか。そういう、肉体的な魅力を持ち出したら、引き換えの際の金額にも、結構色を付けたりしてくれるんじゃないかしら」
「……成程な」
 未だに意識が混濁している女性の方を見ると、徐に女性を下ろして、そのまま無言で手を突っ込んだ。服を破いてしまうと使用済みに思われるので、極力服には被害を与えない。






 …………………………………………






「どうなの?」
「大体口上は決まった。お前が一緒に居ると、お前まで一緒に売り捌いてしまいそうだから、先にアルド達の所へ行っておいてくれ。俺も後から続く」
「そうッ♪ 頑張ってね」
 アルド達とは酒場で会う約束をしている。あまり商売に自信は無いが、その際の酒代くらいは負担出来る様に、頑張ってみよう。身体を傷つけない様、極めて慎重に女性を持ち上げて、『闇衲』は娼館へと歩き出した。
 

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