ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

頼れる者は自分のみ

「私を助けた…………?」
「本当に不思議で仕方ない事だが、俺は自分の命よりもお前の命を優先したんだよ。そうしたらこの様だ…………何で生きてるのか、俺も不思議でならない。だけど、手遅れな事には変わりないからな。俺の事は放っておけ」
 こんな。こんな別れ方はあんまりだ。彼の事は自分が殺すと、そう決めていたのに。こんな良く分からない場所で、事故同然の理由で彼と永遠に別れる事になるなんて。
「ふざけないでよ!」
 こんな結末をリアは認めない。どんな日常も、彼が隣に居るから楽しく思えるのだ。彼が守ってくれるから美しく思えるのだ。彼が父親だから価値があるのだ。こんな別れ方、絶対に許さない。人生も滅茶苦茶にされて、唯一自分を人間として見てくれる男性ともこんな風に別れる事になるなんて、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。 
「勝手に死ぬなんて絶対に許さないんだから! パパは私のモノなんだから、好き勝手に死期を決めないでよ!」
「そう言われてもな…………引き抜けば出血多量で死に至る。諦めてくれ。俺の運が悪かっただけだ」
「嫌!」
「我儘を言うな。こればっかりはどうしようもない」
「嫌! 嫌なの! パパと別れたくない!」
 これでは言った言わないの水掛け論と殆ど同じである。発言者であるリアだってその事は良く分かっている。良く分かっていても、今だけは絶対に譲りたくないのだ。譲ってしまえば彼は何処かへ行ってしまう。リアの手の届かない、何処か遠くの場所に行ってしまう。
「俺だってこんな形で契約を破棄するのはごめんだ。…………しかしな、一体これをどうすれば俺は助かる。方法が無くは無いが、それだと今度は、お前が死んでしまう」
「別にいいよ! それを教えてッ」
「父親に娘を殺させるな親不孝者め。ミコトが居たらどうにかなったのかもしれないが……追い払ったのは俺だ。今更アイツを呼べはしない。とにかく、お前は依頼人とリリーを探せ。合流したら、後はリリーが上手くやるだろう」
 己の死を感じ取っているからだろうか、『闇衲』の口調はいつになく穏やかで、柔らかかった。威圧的な物言いも、今は諭すようにしか聞こえない。そのいつにない優しさが、リアにしてみればとても辛くて、悲しかった。優しい『闇衲』なんて『闇衲』じゃない。そして『闇衲』がそうなったという事は、彼が自分自身を放棄したという事。つまり今の彼には……生きる気力なんてこれっぽっちもない。
「パパはさ……勝手だよね。パパが死んだらどういう人が悲しむかなんて、ちっとも考えない」
「殺人鬼に慈悲を求めるか、リア。そんな事をいちいち考えるくらいなら俺は殺人鬼なんてやってない。お前だって、そんな事はいちいち考えないだろう。このまま死ぬと勘違いされそうだから言っておこう。俺は善人なんかじゃない。誰かの死を悲しむ心も、その死がどんな憎しみを連鎖させるかも知った事じゃない。人でなしと呼んでくれたって構わない。お前はそんな奴を父親にしたんだ。ざまあないなクソガキ」
「…………パパなんか大っ嫌い。もう、パパの言う事なんて聞かないから」
「へッ、そうか。だったらもう、俺の事なんか忘れろ。契約を一方的に破棄する事になるのは謝るが、お前だったら次を探せるだろう。じゃあなリア。お前のこれからに血の加護があらん事を―――って」
 リアの手が触れる。彼女はぺたぺたと『闇衲』の身体を触って全体像を把握した後、壁に足を掛けて、あろうことかその身体を引き抜こうとしているのだ。
「何し……てるッ? 俺の事なんか放っておけと―――」
「パパの言う事なんて二度と聞かない! アンタが勝手するんだったら、私も勝手する。ふざけんじゃねえよこのクソジジイ。私がどんな思いでアンタに―――ああもう! クソったれ!」
 『闇衲』の身体は中々深く刺さっており、少女一人の力では緩める事も出来ない。たとえ少女にある程度の殺人技術があったとしても、それは筋力とは全く関係ないのである。彼女は懸命に『闇衲』を助け出そうとしているが、それは彼の出血量を悪戯に増やしているに過ぎない。十五分も粘ってくれたせいで、『闇衲』の意識は十五分前と比べて薄くなっていた。
「抜け……ない! 抜けてよ! 抜けろよ!」
「………………なあリア。諦めたっていいんだぞ。お前の力じゃ抜けない。助けようとしてくれるのは有難いが、無理なモノは無理だ。時期が悪かったと思って諦めろ―――どうしてそこまで、助けようとするんだ」
「大好きな人を助けようと思う事の何が悪いんだよ! パパが大好きっての、全然冗談なんかじゃないから! 本気だから!」
 良くも悪くも彼の様な人間とは二度と会えないだろう。自分を快楽をもたらす穴以外の見方をしてくれる男性は、きっと彼以外に誰も居ない。自分を純粋に見てくれる人間は、彼をおいて他には居ない。最初は冗談だったあらゆる思いも、もしかしたら今は本気なのかもしれない。彼と過ごす時間が加算される毎に、リアは彼を独り占めしたくなった。数少ない友人であるシルビアにさえ、一秒たりとも取られたくなかった。
 身体以外に取り柄のない自分に対して、興味が無いと言ってくれた彼が。それでも尚、自分を一人の人間として見てくれる彼が。この世界の誰よりも好きだから。今、彼を救う事を諦めたら、何か大切なモノを失う気がする。人間として、女性として大切な思いを―――
 馬鹿正直に方法を一貫したまま、何とか彼を救い出さんとリアが奮闘していると、血塗れの手が、リアの頭に触れた。
「…………パパ?」
「そんなんじゃ…………駄目だ。力の入れ方を間違っている。手に力……を込めるんじゃなくてぇ―――肩と、腰だ………………」
 言われた通り力を込めて、今度も全力で。すると、徐々にだが、這うような水音と共に『闇衲』の身体が動き出した。
「はあ、アアアアアアアアアアアア!」
 徐々に、徐々に。動いていく。途中で『闇衲』の喘ぎ声が漏れたが、彼からやめろという発言は聞こえなかった。そのまま同じ調子で力を入れ続けると、遂に『闇衲』の身体が引っこ抜けて、二人は地面に叩きつけられた。
「………………何、やってるんだ。こうなったらもう―――死ぬしか、無いだろう」
「絶対に死なせない! パパは私が、絶対に助けるッ」
 魔法陣が書ければ刻創咒天オーバークロックで彼の体内時間を操作するなどして対処出来たのだが、明かりも碌にない状態であの精密な陣が書けたら苦労はしていない。とにかく、止血だけでもしなくては。リアは懐にあったナイフで『闇衲』の服を削ぎ落とし、即席の止血布を作製。彼の身体に巻き付けて、余った部分は切断。結び目に被せてそれを縛る事で、激しい動きをしても解けないようにする。
「……パパ、生きてる?」
 『闇衲』に押しつぶされた身体を抜いて、リアは彼の腹部を優しく撫でる。ついさっき巻いた筈の布は、もう既に血塗れだった。
「……………何とかな。やってくれたなこの野郎。で、これからどうするんだ。俺を引き摺って歩くのは辛いだろう。リリー達に当てでもあるのかよ」
「無いわよ。けど、ここが魔物の体内って事だったら、話は簡単よ。そいつの心臓を探り当てて、ナイフ突き立ててやれば死ぬでしょ。そうしたらきっと、出口が出現するに決まってるわ」
 確証はない。それでも希望を抱いて進まなければならない。そんな風にでも考えなければ、『闇衲』を助けられない事を認めてしまうから。リアは再び体を潜り込ませて、彼を背負う様に持ち上げる。筋肉が非常に重たくて、今にも潰れてしまいそうだが、こうでもしなければ彼を引き摺る以外に選択肢がない。
「……リア」
 一回りも二回りも小さい少女に持ち上げられた『闇衲』が、腕を放り出す様な形でリアに薄い物体を渡してきた。この感触から察するに、人間馬車と出会った時に彼が使ったカードだと思われる。
「これがどうしたの?」
「やり方は……知ってるだろ。暗闇を買えば、視界は機能する」
 少女がその事を知るのはもう少し後の事になる。彼が『イクスナ』と呼んでいるこのカードは、彼の命よりも大事な所有物である事に。






























 暗闇を買い取って視界を機能させたら、自分がどれだけ幸運な場所で気を失っていたのかを思い知った。洞窟―――いや、魔物の体内には、同じく食べられてしまったと思われる魔物が、何の法則性もなく歩き回っていたのだ。出血している『闇衲』が襲われていなかったのは奇跡に等しい。臭いに敏感な魔物も居ると思われるので、仮に襲われていたらそれこそ何をどうしても『闇衲』は助けられなかっただろう。ここまで都合よく状況が作り上げられて、ようやく助けられるかどうか分からないくらいなのだから。
 頼みの綱であった父親は瀕死の重傷で使い物にならない。視界が機能した事で改めて彼を捉えたが、その傷口の大きさを見たら、どうして彼が会話出来るのか分からなくなった。それくらい、彼の傷口は広く、深く、大きかった。
 ここからは、リア一人。この怪物の体内から出るまでに、いや、『闇衲』の命が尽きる前にこの怪物を仕留めなければ。死んだとしても、死体が腐る前に脱出しなければ、フィーに頼んで蘇生させる事も出来ない。
「……パパ。ちょっと待っててね」
「……………何を、する気だ」
 周りから見えない場所まで移動させた後、『闇衲』を下ろす。最近は碌に修行も無かったが、丁度いい機会だ。リアはナイフを取り出して、徘徊する魔物達へと駆け出した。
「ちょっと…………ぶち殺してくるッ!」


 
 

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