ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

父娘一緒

 二人が仲直りしてくれて何よりだ。朝食の席でのんびりと飯を進めながら、シルビアは心の中で頷いた。二人はお互いに仲違いをしていたとは思っていないだろうが、リアが泣き寝入りをしていたのだから自分からすれば仲違いだ。あの二人が険悪なままだと、自分は『赤ずきん』以外とまともに会話出来なくなっていた所だったので良かった。勘違いしないでもらいたいが、決して『赤ずきん』を嫌っている訳では無い。嫌っている訳では無いのだが―――
 正直に言わせてもらえば、今の『赤ずきん』に対して恐怖しか感じていないのである。今の『赤ずきん』は正真正銘の精神異常者であり、シルビアはそんな人間とは会話出来ない。かといって二人が険悪だと誰とも会話出来ない環境が生まれる事になる。それをシルビアは何よりも嫌っているから、あの二人が無事に仲直りしてくれたのは、当人達以上にシルビアが助かっていた。これでまた、何よりも求めていた平穏が帰ってくる。殺人鬼の隣に居て何を求めているんだと言われればそれまでだが、自分にしてみればそれが何よりも嬉しいのだ。しかし気を付けなければいけない。あの様子を見るに、リアの『闇衲』に対する独占欲は日に日に増してきている。彼女の居る所で彼に甘えようものなら、シルビアは冗談ではなく刺されるだろう。いや、本当に。今のリアから『闇衲』を少しでも遠ざけたら幾ら友人の自分と言えど刺されかねない。だから甘えたい時は、少なくとも彼と二人きりの時を狙わなければ。甘えるという発想自体を無くせてしまえばそれに越した事は無いのだが、自分だって彼と二人きりで過ごしたい時もある。普段は常識人的な振る舞いをしていても、たまには駄目な子供になりたいのだ。容姿が優れている訳でも、性格が聖人的である訳でもない。それでも『闇衲』の事は、どうしてだろう。いつからだろう。シルビアは好意的に思っている。彼の事を。その感情が具体的にどういう方向性なのかは分からないが、嫌いか好きで言えば好きだ。理由は分からない。そういう事は教わらなかった。この感情の詳細を教えてくれるような人は居なかった。
 『闇衲』も教えてくれる訳じゃ無いが、彼等と一緒に居ると、何かが学べる気がする。人間としての大切な何かが。
「むぎゃあああああああああッ!」
 貴重な一人の時間という事もあって、自分の中では深刻な問題に答えを探していると、上空から間抜けな声と共に一人の少女が降ってきた。シルビアの認識した瞬間では頭が下の方になっており、このままでは即死する事は素人でも分かったが、少女は空中で器用に身体を捻って一回転。丁度椅子に座る様な形で着地して、その瞬間に背筋を伸ばした。
「ああっ! ――――――うッ。いいいいいいいいい、痛ったああい!」
 他の宿泊客もこの光景には驚かずには居られない。一方でこの親子の奇妙さを理解している人物も少数いるようで、騒動の原因がリアだと分かった瞬間、興味を失ったようにまた朝食へ戻った。
「り、リアッ?」
 予想を遥かに超えた登場の仕方だ。自分はてっきり、手でも繫いで普通に降りてくるモノだと思っていたのだが、一体リアは何をして彼の機嫌を損ねたのか。ある種の不安とともにリアを見つめていると、彼女は二階を見上げて、表情を緩めた。
「もう、ちゃんとやってよパパ! 股の辺りがすっごく痛いんですけど!」
 …………え?
 状況が呑み込めない内に、二階から当たり前の様に『闇衲』が飛び降りてきた。
「完璧じゃないか。ちゃんと椅子に座ってるぞ」
「ちっがう! 私が言ったのは、二人で一緒に跳ぼうよって話で、私をぶん投げて欲しい訳じゃ無かったの! パパったら乙女心の分からない鈍感さんなのねッ」
 乙女心…………?
「どうせ乙女心なんて欠片も理解出来ないお父さんだよ俺は。で、それに何か問題でも? 俺達は朝食を食べに来たんだ。来れたんだったら問題ないだろう」
「はーッ! このクソ野郎、今度は開き直りやがった。あーそうですかはいはい、分かりましたよ僕は! パパがね、そんなに私に対して反抗的だったら考えがあるから!」
「言ってみろ」
「ずっとくっついてやる! 朝も昼も夜もくっついて嫌な気持ちにさせてやる!」
 恨みの籠もった悪党の如き少女の言葉は、一定の期間のみであっても効果は覿面…………じゃなくて。全く話についていけない。本当に二人に何があったのだ。 心なしかリアと話している『闇衲』でさえ楽しそうに見えてくる。リアは平常運転だと思うが、一体彼の部屋で何が行われたのか。本当に精神異常者となり果てた『赤ずきん』は大して気にせぬまま朝食を摂り続けているが、自分には不可能だ。まずは話を把握しなければ、とてもじゃないが朝食なんて摂れそうにない。
「あ、あの…………」
「どうかしたか?」
「いや。あの……えっと」
 妙に尋ねにくいのは、こちらを見るリアの眼が気になって仕方なかったからだろう。殺意を感じる訳でも敵意を感じる訳でも無い。それでもどことないやりにくさを感じる。仕方ない。やり方を変えよう。
「そこに『赤ずきん』居るじゃないですか?」
「ああ。居るな」
「―――いつ、戻すんですか」
 自分の言っている事は後回しにして良いモノじゃない。喧嘩を吹っ掛けたのは『赤ずきん』とはいえ、その人格が一時的にでも殺害されてしまったのだ。おまけにその人格と来たら『闇衲』を兄だと思い込んでいるし、絡みにくいったらない。以前の性格も面倒であった事は確かだが、それでもここまで交流を避ける程じゃ無かった。
 『闇衲』も同じ事を思っているのは随分前から知っている。彼は『赤ずきん』をじっと見て、意味もなくこめかみを掻いた。その視線に気づいた『赤ずきん』が声を掛ける。
「どうかしたの、お兄ちゃん」
「え……ああいや、何でもないぞ妹」
 こんな具合になるぐらいなら、以前の性格の方がマシだったと彼が一番思っている筈だ。自身の双眸に強い力を込めて、改めて圧力を掛けてやると、『闇衲』は悩むように手を当てて、低い唸り声をあげた。
「もう少しの辛抱だ。懇親会とやらが来たらフィーに言っておく。今は耐えろ、どうか耐えてくれ」
「くっついちゃうぞーぎゃおー!」
「うるせえ黙れガキ。くっつくんだったらシルビアにでもしとけ」
「え―――」
 リアの意地悪な瞳が、こちらへ向いた。
「ぎゃおおおおおおおおお!」
「きゃああああああ! やめてやめてやめやめあああああああ!」
 朝食が無事に終わるまでの数十分間、もしくは一時間。シルビアの傍らからリアがくっついて離れなかったのは別の話である。






















 全然名案が思い浮かばない。リリーにどうやって説明すればいいのだろうか。こんな事になるのなら初めからリアに隠すべきでは無かったと後悔したが、『吸血姫』狩りを経た後にそれは卑怯だ。引き返したかったのならそれ以前に打ち明けるべきだった。だから過去はもう振り返るべきではない。未来を向くべきである。過去は変えられなくとも未来は変えられる。どんな人間にでも、どんな状況だったとしても。絶対に突破口はある筈なのだ。
「パパーとおーでかーけうーれしーなー♪」
 『闇衲』の腕を絡めとる様にくっついている少女は実に呑気である。一応、死亡するリスクもあるというのに。
「おでかけじゃなくて仕事だよ。クソッタレ冒険者稼業だ」
「冒険者って街の外に出るんでしょ? だったら一緒よ! それに学校を休む背徳感も相まって、私とっても気分が良いの! パパは?」
「最悪だよ。せっかくお前と生活サイクルを分けられたのに、これじゃ地獄に逆戻りだ」
「もう、素直じゃないんだからららららららあああああ! やめて、耳引っ張らないで!」
 うざいから仕方ない。これ以上煽りの技術を高めようものならうっかり刃物だって出て来てしまうかもしれない。適当にふざけてくれる分には構わないのだが、どうかそれに自分を巻き込まないで欲しい。ぶん殴りたくなったり、蹴っ飛ばしたくなる。
「これでも温い方だ、感謝しろよな」
「何で暴力を振るわれて私が感謝しなきゃいけないのよこのスカポン! パパには私がどういう変態に映ってるのッ」
「どんな風って…………」
 言葉で表すには難しい様に思えたので、唐突に彼女の頭頂部へ拳骨を落とすと、先程まで上機嫌だった彼女は頭を押さえて、その場に蹲った。
「な、何するのよ…………」
「痛かったか?」
「痛かったに決まってるでしょ!」
「そういう事だ」
「どういう事ッ?」
 これを纏めようとすると文才の無い『闇衲』には三日程度かかる。非常に手間がかかる上に使用用途がリアへの説明だけとあんまりにも意味が薄いので、『闇衲』は全力で無視してギルドへと一直線に歩き出した。
「あ、ちょっと待ってよ! パパってば、どういう事なのよッ! ねえ、ねえッ!」
 そんな事よりも、彼女の存在をどうやってリリーに伝えれば良いか。最優先に考えるべきはそこであり、早朝から考えておいて非常に情けない話だが、全く何も思いついていない。それでもギルドへ足を踏み入れたのは、半分ヤケクソになっていたからだろう。


 

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