ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

誰が為に牙を剝く

 それから円滑に話を進める為に、『闇衲』達は場所を移動した。何でももう一人連れが居るらしく、彼だけを蚊帳の外にするのは気が引けるのだとか。
「初めまして。私はクリヌスです。まさかレスポルカでそんな依頼が出ているとは……」
 やはりこの男も、実に美男子という言葉の似合う男性だった。アルドには自分よりも美人な者で周りを囲う趣味でもあるのだろうか。だとしたらかなり特殊な人間だと思うが、それだったら女性で囲んでいる筈なので、思い違いだろう。
「しかし、妙ですね」
「どうかしたのか?」
「クウィンツさんが一番良く分かっているんじゃないですか?」
 クリヌスは約束の品物とやらを代わりに受け取りつつ、アルドに尋ねる。普通に考えれば、ここに居る彼らもまた同じ依頼を受けた者であり、一足先にこちらへ辿り着いたという考えが自然だが、約束の品物とやらを見る限り―――とても成人が被るとは思えない、小さな帽子である―――違うらしい。
「ああ……成程。確かにおかしいな」
「ちょっと待て。そっちだけで話を進めるのをやめてくれないか」
「ああ、申し訳ない。まず……えーと、そうだな。私達は冒険者じゃない。旅こそしているが、ギルドには欠片も関わっていない真の放浪者だ。私達がここに来たのも、たまたま通りがかった村でゴブリンにモノを盗られたって少女が居たから、それを取り戻しに来ただけだ」
「……それがどうかしたのか」
「私は彼等と戦ったが、それも約束の品物を返してもらう為の戦いだ。彼等に都市を襲おうなんて気は欠片も無い。むしろ人間の為にも、出来るだけ関わらずに生きていこうという精神の持ち主だ。盗みは……子供がしでかしたらしいから、私は許す。とにかく、この集落だけかもしれないが、少なくともこの集落が都市を襲撃しようとしているなんてのは真っ赤な嘘だ」
 アルドは人間に敵対するような発言を、いともたやすく言ってのけた。怪物である筈のゴブリンを庇い、人間を蔑む行為は、どうやらブラット達の好感度を著しく下げる事となった。本人はそれに気づいている様だが、態度を変える事は無い。
「―――本当に信じられるのか? そいつらはゴブリンだぞ」
「善悪に種族は関係ない。むしろ今の私に言わせれば、弟子以外の人間が碌に信じられないよ」
 弟子というのは、ドロシア達の事を言っているのだろう。彼女達も彼の事を先生と言っているし。しかしどうしたモノだろうか。これでは依頼が達成できない。真っ先に帰還して功績を挙げるつもりだったのに、これでは何の罪もないゴブリンを殺す事になる。その分には『闇衲』も構わないのだが、今の自分では目の前の男に勝てる展望が見えない。リリーを一瞥すると、彼女も判断しかねる様子で、こっちを見てきた。
 そんな二人の躊躇を踏み台に、一人の男が力任せに剣を叩きつけた。
「おい! さっきから黙って聞いてりゃ、お前達はゴブリンを庇うのか? そいつら魔物だぞ!」
 ハグジーである。彼はどうやら魔物と人間の命の価値が違うとでも思っている様だ。一般的常識に口を突っ込むのはどうかと思うが、それでも少し考えれば、その常識が間違っている事は分かるだろうに。彼もまた、この大陸の悪しき風習に毒された者の一人と考えると、何だか後ろで獣が鳴いているようにしか聞こえなくなってしまった。
「魔物でも何でも、知性を持っている。本当に人間を襲う気なら、今にでも私達を背後から襲うと思うが」
「そういう作戦なんだよ! 油断させて、俺達を殺す気なんだ! 仮にそんな気が無かったとしても、俺達は任務で来たからな。ぶっ殺させてもらう……ブラット!」
「え、あ…………うん。そうだな! 俺達は誇りある冒険者だ。そんな言葉には惑わされない!」
 二人が武器を構えても、ゴブリン以外は全く動じない。こちらを憐れむような目線を向けて、ただ立ち尽くす。
「族長。彼女と向こうで遊んでやってくれ」
「……ワカッタ! イクゾ、オンナ!」
「え、あ……女じゃないって。私にはドロシアって名前が―――!」
 族長は他のゴブリンを連れると共に、強引にドロシアを引っ張っていった。これも普通に考えれば魔物に攫われて、まして攫われたのは美人。奥で犯されても仕方ない事態だが、アルド達は彼等を信じきっているのを証明する様に、一歩も動かない。
「…………そこの二人は、どうする? 罪もないゴブリン達を殺して、偽りの名声を欲するというのなら、私が相手になるが」
 位置として、リリーと『闇衲』は両勢力の中間に立っている。ブラット達に味方するならば踵を返し、アルド達に味方するのなら前に歩く。それが選択肢。
「おい! アイツ等がどんだけ強いのか知らねえが、このパーティは最強だ! お前達も武器を出せ! 魔物の命よりも人間の命だろッ?」
「そうだ、リリー。君の力があれば勝てない相手じゃない!」
 殺人鬼に言わせれば、どちらの命も等価値に過ぎない。一秒先に滅ぶ未来を常に抱えて生きているだけの、儚い何か。それを天秤に掛けるなんて……家族や友人という事であれば、自分もこんな事は思わない。少なくとも、自分の中では比重も傾くから、彼等がそれを対象にこの発言をしているのなら、こちらも異議は覚えなかった。問題なのは、知りもしない人間と知りもしない魔物。これでも命の比重が傾いていると宣っているから、彼等は愚かなのだ。
 それと、彼等には実力差が見えていないらしい。アルドという男は、こちらが同時に攻めて来ようとも問題なく対処出来る実力を備えている。これ程の血の臭いは感じた事がない。それくらい無ければ嘘だ。つまり、ブラット達に加勢するという選択は、この命を無駄に放り出す事と同義なのである。
 どちらの命も等価値である意見は変わらない。無価値な事があるとすれば、それは命を無意味に投げ捨てる行為そのものである。『闇衲』という殺人鬼として言わせてもらおう。命とは有意義な行いにこそ使うべきであると。決して、勝てない戦いに投じるような、そんな安っぽいモノでは無いという事を。
 『闇衲』は両方の袖口からナイフを取り出して、ブラット達の背後まで歩き出す。適当な所で足を止めて身を翻すと、丁度武器を構えた彼らの間からアルドを見据える形になった。
「そう来なくちゃな!」
 リリーも同じようにこちらへ来て、不承不承に剣を構える。彼の周りに居る弟子も抜刀すれば数的有利はそれ程ないが、嘆息の一つと共に抜刀したのはアルドだけだった。
「あまり、ドロシアの近くで人を殺したくは無かったんだがな」
「はあ? まるで俺達が殺されるみたいじゃねえか! 魔物の味方をする様な人でなし何かに、俺達が殺される訳―――!」
「ああ、そうだな。お前はアイツには殺されない。お前達は…………俺が殺す」
 誰よりも先に駆け出したのは『闇衲』だった。その踏み込みはたった一歩で二人の間を通り抜けて、刹那。二人の首筋から間欠泉の如く血飛沫が宙に舞い上がった。突然の痛みに二人は何が起きたかを理解する間もなく絶命。それを見て安心したリリーは、直ぐに剣を捨ててその場で砕く。クリヌスだけは、その光景に目を丸くしていた。
「何を……ッ?」
「元々殺すつもりだったんでな。お前達と敵対したお蔭で手間が省けたというか。こいつらを騙す為とはいえ一時的にも敵対した事は、これで水に流してほしい」
 あの少女に死体は見せたくない様なので、雑に横の方へ蹴っ飛ばす。丁度家の隙間に吹き飛んだ死体は、闇の中に姿を消した。わざわざ引っ張り出すような真似をしなければ、誰かが目にする事もないだろう。アルドは暫くの間こちらの性質を見極める様に沈黙していたが、直に武器を納めてくれた。
「どうやら、冒険者じゃなさそうだな。お前達も」
「え、私も?」
「そこの男に対する深い愛情が窺える。生粋の冒険者じゃないと考えたが、違ったか?」
「……ううん、大正解♪ アルドさんは見抜くのが得意なのね♪ ねえ……もう、バラしてもいいかしら」
 リリーが『闇衲』を向いて言った。見てくれは笑顔だが、その内面には隠しても無駄だからという一種の諦観の様なモノが見えており、丁度『闇衲』も同じ気持ちを持っていた。確かに頷くと、リリーは『闇衲」の隣に移動してから、両手でスカートの裾をつまんで持ち上げて、深々と頭を下げる。
「初めまして♪ 私は『吸血姫』。もしも聞いた事が無かったら、殺人鬼って捉えてくれたら正しいわ♪」
「…………『闇衲』。今は世界殺しの最中だが、お前達みたいな奴が出てくると、果たしてそれが可能なのか分からなくなってくるな」
 戦えば数秒で首を落とされる未来が待っている。リアが居ても同じ事だし、ミコトが居てようやくトントンくらいかもしれない。とにもかくにも、今戦うべき相手じゃない事は確かだ。今は極力敵対の意思を見せない方が賢明である。
「そう言えば、ドロシアとやらを呼び戻さなくていいのか? もう話を拗れさせる奴は消したぞ」
「アイツにはこの人生を楽しく感じてもらいたい。あっちはあっちで結構楽しんでるみたいだし、この話が終わるまでは放っておいても―――」
 直後、彼の背後から暴風の領域を遥かに超える風が発生。住居や森が簡単に薙ぎ倒されてしまいそうな勢いだが、風に巻き込まれたのは数百匹程度のゴブリンだけで、それ以上の被害は無い。アルドは渋面を浮かべて、後ろを振り返った。
「カシルマ。何があったか見に行ってくれ。大方予想はついているが」
「分かりました。それではこの場は、先生とクリヌスに」
 また一人、離れていく。あった筈の数的有利は無に帰したが、クリヌスもアルドも、さして気にはしていないみたいだった。
「では改めて話を続けようか。お前達の真の目的は何だ?」
「冒険者ギルドの崩壊と、魔術都市レスポルカの破滅だ」
「全然隠す気が無いんですね。自分達が何を言っているのか分かっての行動ですか?」
「勿論だ。伊達に長いこと殺人鬼をやっている訳じゃない。何を言っているのか、それがどういう事態を引き起こすか。全て理解しているつもりだ。その過程として冒険者になり、依頼を達成しつつ、冒険者共を依頼完了に至るまでの致し方ない犠牲として、殺害する。それが目的で、今回もゴブリンを殺害する傍らアイツ等を殺す予定だったんだが……予想以上に上手くいきそうだ―――アルド、取引をしないか?」
「取引?」
 かなり分が悪い取引で、こんな滅茶苦茶な取引を安全に行えるとしたらそれは『暗誘』くらいだ。何が滅茶苦茶って、条件を呑まなくても彼らの側に一切のデメリットの無い辺りが。
「中立契約みたいなものだ。俺はお前達に手を出さない。その代わり、お前達も俺達の動きを邪魔しない。どうだ?」
 この条件が呑まれなければ、『闇衲』達は依頼を完遂する為に、ゴブリンと。その前にアルド達と戦わざるを得なくなる。そうなればリリーが加わった所で戦力差は一目瞭然であり、ハッキリ言って一分持てば頑張った事になる。敗北は必死、欠片も勝利の可能性は無い。何なら変な束縛を受けない分、取引に乗らない方が彼等にとってはメリットが大きい。だが『闇衲』は、確実に彼が取引を飲んでくる自信があった。
「それを断ったとして、私に何か不利益はあるのか?」
「ドロシアの近くで人を殺す事になる」
 アルドは先程の戦いに乗り気じゃなかった。その理由を述べてくれたのは実に幸運だったと思う。でなければこの取引を持ち掛ける事なんて出来なかった。意地悪くニヤリと口元を歪めると、アルドは一本取られたと言わんばかりに溜息を吐いた。我ながら、自分の発言が利用されてしまった事を恥ずかしいとでも思っているのだろうか。
「クウィンツさんも口が危ういですね。どうするんですか」
「…………これを呑んでおかないと、お前達は冒険者としての仕事が終えられないんだろ? 依頼が完遂出来なくて」
 その通り。依頼中の犠牲として冒険者を処理したいのに、失敗する訳にはいかない。飽くまでも自分達は名声を得て、より高位の冒険者と組み、そいつを殺す。それを繰り返したいのだから。
「話が早くて助かる。飲んでくれるか?」
「―――いや、やめておこう。そんな契約を結ばずとも、私は中立だからな」
 アルドは無防備にもこちらへ近づいて、握手を求める様に手を差し出した。
「そういう事だから、お前達が何もしなければこちらだって何もしない。丁度私達もレスポルカに用があった所だ。依頼完遂の真偽を問われた際には私を呼べ。手助けしよう」
 成程、握手だけで構わないという訳か。実に懐の広いこの男に、『闇衲』は喜んで手を差し出した……所で、リリーが割って入る。
「……ちょっと待って。そう言えばこの森を覆う霧って、誰が発生させたの? 誤解も解けたんだったら、私としては解除して欲しいんだけど」
「それは無理な話だ。あれはゴブリン達が己の種族を守る為の最終手段。実際、毒に耐性でも無ければ誰もこの霧を抜けられないからな。解ける事があるとすれば、お前達の引き受けた依頼が取り下げられた時。我慢してくれ」
 リリーを横にどかした『闇衲』は、改めて目の前の男と握手を交わした。

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