ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

憎悪と愛情を紡ぎつつ 1

 ギルド長の朝はとても早い。起床時間は朝と言うよりまだ夜。所謂、深夜と呼ばれる時間帯だ。どうしてそんな時間に起きるのかと言われれば、半分体質で半分『吸血姫』目的だ。遭遇すれば確実に返り討ちに出来る自信があるので、何も心配する事は無いのだが、これをやり始めて半年、未だに遭遇の兆しすら見えない。とはいえ諦めるつもりは毛頭なく、いつかはきっと出会えると信じている。高等エリアから出て、静かに佇むギルドへと歩みを進める。当然誰も居ない。居たとしたらそいつは『吸血姫』か。その場合、どんな理由があったって自分は『吸血姫』を殺さなくてはならないが、それを悪い事と言う人間は居ないだろう。『吸血姫』のせいでギルドがどれだけの被害に遭った事か。それを想えば命の一つや二つ、奪ってしまっても構わない筈。
 思考した事を現実に出来るのであれば何よりも楽だったが、そんな都合の良い能力があれば今頃自分の周りには裸の美女が存在しているだろう。そうなっていないという事はつまり、自分にそんな能力は無いという事だ。持っていた鍵でギルドの入り口を開けて、中へと足を踏み入れる。誰も居ない。これが昼だったら活気に満ち溢れたさぞ喧しい空間なのだが―――ああ分かっている。深夜の時間帯に同じ喧しさは周囲に迷惑を掛ける事になるからあり得ない。そんな事は分かっているが、少しだけ寂しく感じてしまう。何故だろう。
―――それはきっと、もう二度とは来ない者がいるからだ。
 その通り。もう会えない。それを理解しているからだ。最初は簡単な仕事だと思っていたのに、まさかあれに参加した人物が全員帰って来ないなんて。
 勿論、七十数人でギルドが機能停止する訳も無いが、あの中には個人的に親交のあった人物も居た。悲しくないと言えば嘘になるというか、凄く悲しい。
「…………ガドルフ」
 耳を澄ましてみれば聞こえてくる。彼の笑い声、彼のいびき、彼の欠伸。目を閉じれば直ぐそこにほら、彼が居る。だが目を開けて耳を澄ますのやめれば現実が帰ってくる。何て最悪な現実、何て夢の無い夢。これが泡沫と消えゆく夢幻であったならと何度願った事か。先程は全裸の女性が云々と言ったが、実際にそんな能力があるならば、自分は彼等を生き返らせる事に使う。間違いないし、彼等が死んでいる限りはずっとそうするつもりだ。
 階段を上って自分の部屋へ。深夜に訪れる個室はとても不気味で、あまり長居はしたくない。自分が普段いる部屋なのに、やはりそう思ってしまう。今に始まった事でもないからそんな感情は秒で消え去るが、思うモノはある。このギルドを背負うモノとしての、責任というか。後悔というか。自分が行っていれば結果は変わっていただろうという『もしも』。そんな事想像したって、あの時はどうしても行けない事情があったから無理だというのに。
―――仲間との別れ、か。
 一生傍に居るモノだと思っていたのに、こんな形でもう会えなくなってしまうなんて、納得がいかない。せめて別れの言葉の一つでも、言えたならば。






















 何かが体を揺らしているような気がしなくもない。意識を覚まして視界に注ぎ込むと、いつの間にか寝てしまっていた様だ。先程まで気絶していた筈の狂犬が賢明にこちらを揺らしているのを見る限り、かなりの時間眠っていた様だ。窓から景色を見る限りとても昼間とは思えない。どう見積もっても早朝くらいが精々だ。一体なんて時間に起こしてくれるのかと思ったが、早く目覚めてしまったせいで狂犬もやる事が無かったのだろう。部屋から出るなという命令は基本的に守ってくれているので、その命令と退屈しのぎを両立させるには自分を起こす他ない。甚だ自分勝手な飼い犬だが、リア達が目覚めるより先に起こしてくれたのは良い事だ。適当にほっつかれても困るし、彼女達が起きない間にさっさとギルドへ挨拶しに行こう。恐らく、ギルド長は来ている。
「何だ、遊ぶか?」
 こくりと頷く狂犬は、やはり女性さえ絡まなければ全く普通の少年である事をこちらに再認識させてくれる。遊ぶと言うのもリアにやってしまう程過激なモノでは無く、本当に単純な遊びだ。ナイフで刻みを入れた個所をどれだけ早く駆け抜けられるかであるとか、壁に作った的にどれだけナイフを当てられるか、とか。退屈凌ぎになるかも危うい微妙な遊びだが、愉しんでくれているので問題は無い。最近はその二つを複合して、刻みを入れた個所を高速で駆け抜けつつ壁に作った幾つもの的にナイフを当てる遊びをしている。
「ほ、は、ほ、ふ、ほ」
 『闇衲』にしてみれば造作もない事だが、これを素人にやらせると中々どうして酷い事になる。的は大雑把にしか作れないから真ん中にさえ当てればいいのに、わざとやっているのではと思う程、当たらない。狂犬がどれだけ頑張った所で結果に大差は無く、最終的にはどちらに意識を傾けすぎて、どちらかが凄惨な事になる。
 足を気にすればナイフを投げた時、その刃は的では無く『闇衲』へ。かと言って的を気にすれば、即座にずっこける。自分が当たり前の様にやっているだけで、もしかしたら二つの事を同時にやるのは難しいのかもしれない。しかしながら、別の大陸にはヤブサメなるモノがあるらしく、何でも疾走する馬上から矢を射る技術らしい。それと比べたら、こんな雑な遊びなんか朝飯前にも出来るだろう。文字通り『闇衲』は朝食を食べる前にこれをやっている。難しいとは言わせない。
「…………!」
 褒めるべきはその天才的なナイフの軌道だ。的の端に刺さるか、奇跡的に跳ね返って『闇衲』に飛んでくるか。そのどちらかしか出来ないというのは、最早一瞬の才能ではないだろうか。わざとやれるような技量が無い事を知っているからこそ、そう言える。数十回程観察したが、やはり結果は変わらなかった。今に始まった遊びでもないのに、全く上達していない。
 成長が止まっているのか?
 流石に邪推が過ぎるか。これだけで彼の成長が全て止まっていると疑うのは無理がある。しかしあまりにも変化が無いから、そう思ってしまっても仕方がない。もう喋れなくなってしまったから仕方ないが、彼が一体どんな過去を歩んできたのか聞いておけばよかった。仮に『赤ずきん』の様な出生であれば即ち面倒事を連れてくるという事なので、誰が何と言おうと即座に殺す。リアという爆弾を抱えているのに生かす等とほざける余裕は無いのだ。
 しかし、もしもその出生に何の特異性も見当たらなければ、自分は何かしらの罹患を疑わなくてはいけなくなる。ここまで成長しないのは流石におかしい。幾ら何でも非常識だ。どれだけ試行回数を重ねても、上手くなる事も無ければ下手になる事も無い。ずっと変わらない調子で、狂犬はナイフを投げ続ける。
 自分がギルドへ赴かんとし部屋を出るまでの一、二時間。狂犬が上達する様子を見せる事は無く、最終的には彼自身も成長を見いだせなかったか、すっかり眠り込んでしまった。優しく頭を撫でてやると、少年の顔が少しだけ明るくなる。それを見て僅かに微笑んでから、『闇衲』は宿屋の外へと躍り出た。リア達の部屋に手紙を置いていく事は忘れない。
















 お前達へ
 俺は冒険者ギルドに行くから、何処に出かけてるのかは知らんが、夜までには帰れ。さもなければ知らん。どうにでもなりやがれ。

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