ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

三竦み 前編

 魔術戦に関してのみ、リアは二人に後れを取っていると確信している。だからこそ、この校舎における駆け引きに勝利しなければならなかった。
 この場合の駆け引きとは、相手に自分の位置を悟らせず、また自分が相手の位置を捕捉しているかというモノだ。そしてその際、相手に確実な不意打ちを叩き込めるか。それが今回における駆け引き。ギリークに当てはめてみると、彼の位置は分かっているが、彼は自分の位置を掴めていない。一見すると有利だが、こちらは確実な不意打ちを叩き込めるわけではないので、今は放っておくべきだという事が分かる。
 次にイジナだが……一言で言って、最悪だ。
 何が最悪って、駆け引きも何もないやり方を取り始めたのだ。片端から教室を爆破何て人間のする事じゃない。というかどうやってあそこまで魔術を連発出来るのか……考えられる限りでは、自分と同じ方法か。一体どれだけの魔法陣を持ち込んだのだろう。現在破壊されてる限りでも二十数室。全ての教室を破壊する分の紙片を持ち込んでいるのなら大したものだが、流石にそこまでは―――いやあ、どうだろう。ここまで躊躇なく爆破しているのを見るとあるのかもしれない。
 というかそんな相手に正面戦闘で勝てる訳が無い。元々はフィーが居た部屋なのだから何か強力な道具があるかもしれないと思い至って校長室に来たが、これは最早殆ど詰んでいると言っても過言では無いのでは? 何かの拍子でイジナがここを爆破しに来たら、その時点で終了する訳だが。
 現在、彼女は三階を校長室が最後になる形で爆破を続けている。その爆発音と来たら完全防音でない限りは明瞭に届くから、彼女の位置は手に取る様に分かる訳だが……分かった所でどうするのだという話である。それまでに攻撃を仕掛けてくる可能性は当然警戒しているだろうから、普通に攻め込んだ所で反撃されるのがオチ。だからと言ってこのまま閉じ籠っていても丸焼きにされて終わり。
 少し考えた末、リアは一人では無理だという結論に達した。という事なので、ギリークに協力してもらうとしよう。彼だって中庭に閉じ込められたままなのは嫌な筈だ。ならばたとえ協力するという不本意な形を取ってでも、戦線復帰はしたい筈。仮にここでリアが脱落した場合、中庭に閉じ込められたままの彼には生き残る術が無い事は、彼だって分かっている。分かっていなければ話にならない。
 幸い、校長室には一つだけ窓が付いている。中庭を見る為だけに作られた様な窓は見ていて使用用途が思いつかなかったが、成程こういう事に使えばいいのか(真面目な事を言えば、中庭で授業をしている生徒達が居た場合、それを観察する為だろう)。意外と理に適っている。
 イジナがこちらに来るまでに大体数十分。考えている余裕は無い。彼女が部屋を爆破するタイミングで窓を開けて、リアは思いっきり中庭に笛を投げ込んだ。起動準備はこの時点で既にしてある。後は彼がどのように笛を使ってくれるかだ。それを信じて自分は、扉の前に待機するしかない。


























 何だこれ?
 急に校長室の方から笛が投げ込まれてきた。進行形で教室を爆破しているイジナがそんな事を出来るとは思えないので、犯人はリアだ。彼女が戦略もへったくれもない作戦で教室を爆破している最中、ギリークを狙うという命知らずな戦法をし始めたのかと思ったが、違う。笛には魔法陣が描かれていたが、何時まで経っても何かが作動する事は無かった。
 この時点で透明化している事に意味が無いと気付いたギリークは魔術を解除。笛を手に取り、姿の見えぬリアに視線で問う。
 これをどうしろと?
 魔法陣は相変わらず見た事が無い。出鱈目に吹いてみるモノの変化はない。笛と来たら普通は吹くと思うのだが、一体彼女は何を期待しているのだ。もう、後数回で、彼女の居るであろう校長室も爆破されるというのに。考えられるとすれば、この笛は一種の申し出。イジナの蛮行が目に余る故、一時的にでも手を組んで彼女を撃破しようと言う誘い。それ以外の可能性は……無い。彼女としても追い詰められているのだから、それ以外の事を狙う意味はあったとしても消し炭になるのが見えている。お互いにまずは彼女を止めなければ、この殺し合いにおいて勝利する事等出来やしないのだ。
 立ち上がって、イジナの居る階層を見上げる。吹く以外の使い道は投げる事しか思いつかない。これで駄目だったのなら、彼女には諦めてもらおう。そして自分も諦めるしかない。正面戦闘ではフィーが居ないのなら無敵であると自負したが、イジナの魔術を見ているとあの発言は嘘になりそうだ。何となく勝てる気がしない。不幸中の幸いか、自分の存在に誰しもが気付いていたお蔭で一階は殆ど手が加えられていない。もしもイジナとの一対一になるようならば、この階にある道具をフルに使ってどうにかするしかなさそうか。今は取り敢えず、彼女の誘いに乗ろう。
 いい加減に投げてもイジナは躱してしまう。当てるならば確実な時に当てなければならない。彼女の行動を見ている限り、教室を爆破するには扉に手を触れる必要がある。つまり自分が狙うべきは、彼女が校長室の扉に手を当てる瞬間だ。誰にも気づかれていないと思っていたが、リアが気付いているのならイジナも気付いている。それなのに誰にも気づかれないと思って透明化をしていたのは恥ずかしいが、不幸中の幸い、そんな間抜けな行動を取ったお蔭でイジナは自分を警戒していない。χクラスに在籍する生徒には碌な奴が居ない。自らが在籍している癖に、彼女はそれを忘れているようだ。
 ならば思い出させてやろう。『空』の属性を持つ死刑囚の恐ろしさというものを。ギリークは空高くまで笛を投げ飛ばしてから、タイミングを合わせて『光』と共にそれを殴りつけた。この『光』は普通の光では無く、何者にも認識されない滅芒の空。白く見えるのは、それに存在を与える為に魔力を込めた結果である。
 この光を纏った物質は、あらゆる物質を透過する効果を持つ。笛は窓を破壊する事も無くイジナの隣まで移動。その瞬間、笛に刻まれた魔法陣が輝いて、イジナの身体を少しだけ引き寄せた。その音を聞いたか、この機を逃すまいとするリアはすかさず右回し蹴りを放ち、彼女を中庭へ。それから凄まじい勢いで屋上へと上って行った。追うべきか迷ったが、リアよりかはイジナの方が未知数であり、恐怖。が、リアのお蔭で頭から硝子に叩きつけられたイジナは頭部から多量の出血をしており、とても万全とは言えない。正面戦闘で勝てるかは怪しかったが、今の状態であればまず間違いなく勝利できる。手加減をする道理は無い。
 そう思って取り出したのは、三段階まで伸縮可能な鉄棒。最後まで延ばせば槍以上の間合いを得る事が出来るが、お互いに中庭から離れる訳にはいかなくなったので、今回はそれをするつもりはない。一段階…………即ち、短剣の間合いで勝負する方が適切だろう。
「悪いな。未知数なのはお前の方なんだよ」
 リアなんぞは幾らでも仕留めるチャンスが来る。だが彼女はここしかないだろう。力強く鉄棒を握り込んでから、ギリークは一歩を踏み込んだ。




















 彼がこちらを追ってきたらお手上げだったが、誘いに乗ってくれたようで何よりだ。後はどちらかが消耗した状態で残ってくれれば良し。一瞬で決着が付いても視線は切れたので彼/彼女はまた自分を見つけなければいけない。これ程の有利な条件を取っておきながら負ける事はまず無いが、不測の事態に備えて道具は作っておくべきだろう。改めて屋上から彼らの戦いを観察すると、あちらでは想像を絶する戦いが繰り広げられていた。
 彼が持っているのは鉄棒だろうか。所々線が入っているのは、あそこで止められる―――可変が利くという事だろう。魔術戦は光のようなモノを射出して対応。近接戦は鉄棒を振り回して彼女へ一撃を与えんとしている。あの鉄棒には何ら違和感を覚えないが、それでもあの速度で振り回されている鉄棒に当たれば致命傷では済まない。彼女に関して言わせれば既に重傷を負っている事もあって、一撃で気を失ってしまうだろう。
 彼女も負けていない。懐から取り出した紙片を次々と握りしめて地面に手を突き、出鱈目な個所を爆破。明らかに彼の四肢を吹き飛ばそうとしており、これもやはり一撃喰らえば致命傷では済まない。出血多量で死ぬか、はたまた片足処か身体全体が木っ端微塵に吹き飛んで死亡するか。一言で言えば、お互いがお互いに対する必殺の攻撃を仕掛けていて、それを躱し続けている状態だ。
 実に良い感じで足掻いてくれている。安心して道具を作製出来そうだ。
 リアは駆け足で校長室まで戻り、適当な数の本を調達。一度だけページの間に指を挟んでから、表紙に同じ魔法陣を描き始めた。『刻創』がもうじき効果切れを起こすので、それまでに十……いや、二十は作っておきたい。急がなくては。
 これをしている際の負け筋は、この時点で戦いが決着して、何を思ったか校長室へ来てしまう事だ。そうなったらお手上げ。こちらに勝ち筋は無くなる。飽くまであの戦いが続いているからこそ、自分には勝ち目があるのだ。その勝ち筋もまるで一本の糸の様に細いモノだが、ある以上は通せる。『闇衲』の娘ともあろう娘が、その程度の線を通せぬ訳が無い。普段こそ線を断ち切っているかもしれないが、今回ばかりはその線、見事紡いで見せよう。
 魔術戦で不利を取る以上は不意打ちでしか勝利を掴めない。自分は開始時にそう考えたが、やはりそれは間違っていなかったようだ。こうして全員の位置が割れて、あの時考えていた勝ち筋とは違うモノになってしまったが、不意打ちである事に変わりはない。校長室から中庭を窺うと……大丈夫だ。まだ残っている。頑なに一階へ降りなかったのには大した理由は無かったのだが、今回はそれを上手く利用する。
 リアがそんな事を考えている間にも、二人の戦いは一秒ごとに苛烈を極めていた。
 確実にイジナの胸を貫いている筈の光。何故かそれを躱して、足元を爆発させるイジナ。中庭は既にかつての面影を残しておらず、後十分も戦おうものなら中庭と言うよりも焦土になってしまう事は明白だった。
 彼女が突打を回避したのを見送ってから、すかさず反転して薙ぎ払うと、短剣の間合いを信じ込んでいた彼女は突然間合いの広がった武器に対応できず、力のままに吹き飛ばされた。この鉄棒、何が便利かって魔力さえ流し込めばそれで長さを調節できる事だ。現在は二段階目、長剣の間合いで止められている。先程まで短剣の間合いを見ていた彼女には不可避の一撃だったろう。それでも反射神経は凄まじく腕を犠牲に防がれたが、この攻撃で彼女の片腕を封じる事が出来たと考えればかなり得のある一撃だ。しかし彼女は痛みに怯む事なく、使い物にならなくなった腕を爆破。切り離した。
「はッ?」
 仮にも美少女が何のためらいも無く腕を切り離す光景が目の前で見られるとは思っていない。動揺したのはギリークの方だった。


―――貴様なんぞ、俺の子供じゃない。このロクデナシめ。


 幻聴。それは分かっている。しかしその声には何処か静かな怒りと憎悪が含まれていて、只の幻聴であると切り捨てる事は出来なかった。親殺しの大罪を犯し、死刑囚の身分を与えられた自分に、そんな事が出来る筈も無かった。たった一言、されど一言。一文字一文字が骨身に染みて、血肉に滾り、脳へと流れる。抑え込まれた筈の感情が一気に爆発して、瞬間的にこの体を喰らい尽くす。


 オマエガワルイ。
 ヤクタタズ。
 ハヤクシネ。
 ギゼンシャ。
 ヒキョウモノ。


―――違う。俺は。俺は。


「違うんだ…………俺は…………そんなんじゃ。俺は、アンタらの…………うう」
 強烈な頭痛が体を支配する。イジナが腕を切り離した瞬間は今まで以上に無防備だったが、彼女を視界から外しているギリークにそんな事は関係なかった。痛い。いたい。イタイ。居たい。遺体。異体。地面に頭を擦り付けても、はたまた頭をぶん殴っても、その痛みが治まる事は無い。
「やめろ……やめてくれ。俺は……俺は!」
 そこでハッと正気を取り戻し、頭を上げる。目前ではイジナが鉄棒を持って、大きく振り下ろす直前だった。 いつの間にか両膝を突いていた自分には回避は不可能。仮に防げたとしても彼女の様に腕を犠牲にする必要があるだろう。そしてその場合、こちらに勝ち目は無くなる。
 ギリークは目を瞑り、己の敗北を受け入れた。今回の敗因は実力不足でも何でもない。過去を切り離しきれなかった自分の怠慢だ。
刻創咒天オーバークロック!」
 決意に満ちた声がした。凛とした、少女の声が。それが一体何だと言うのだろう。何をすると言うのだろう。
 いつの間にか二人の間に割り込んでいたリアが、分厚い本を開いて、イジナの攻撃を防いでいた。驚きに揺れるイジナの瞳。何が起きたか分かっていないギリーク。そして……何故か苛立っているリア。
 一体、何が。
「ギリー。アンタ、情けない顔で戦ってんじゃないわよ」
 情けない顔。他でもない自分の身体なのに、言われてからようやく、滂沱の涙を流している事に気が付いた。拭っても拭っても、涙はとめどなく流れ続ける。自分でさえ酷いと思えたのに、自分よりも前からその事に気付いた彼女には、一体どれ程醜悪に見えているのだろう。
「私はアンタの過去に興味なんか無いから聞くつもりは無い。けどね、戦ってる時くらいシャキッとしなさい、シャキッと。だから無防備な所を―――突かれるのよ!」
 信じられない速度の前蹴りがイジナを吹き飛ばす。リアは身を翻して、こちらへと手を差し伸べた。
「本当はこんなつもりじゃなかったんだけど、やっちゃったもんは仕方ないわ。ギリー、一先ず手を組んで、イジナを倒しましょ? お互いに彼女の相手は辛いみたいだし」







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