ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

たった一つの楽しみ

 その後もシルビアから幾度となくお願い事をされたが、リアと違って彼女はささやかなお願いを叶えて欲しいようで、その全てがこちらからすれば悩む道理も無いような小さな事だった。例を挙げるなら食事を食べさせて欲しいだったり、昔の話を聞かせて欲しいだったり(これはリアと同様、嘘で対応した)、学校でどう生活するべきか相談に乗って欲しいだったり。本当に何処かの誰かと違って些細な事ばかりで、二つ返事で引き受けても何ら問題が無いモノばかりだった。何処かの誰かはその光景を見て終始文句ありげな顔をしていたが、夜になって『赤ずきん』が戻ってきてからは愚痴の吐け口を見つけたとばかりに話しかけて、彼女を困惑させていた。
「『狼』さん。これは一体……」
「聞いてやれ。何か知らんがストレスが溜まっているらしい」
「パパのせいでしょうがッ! ねえ聞いてよ『赤ずきん』、シルビアにパパ取られた~」
 取ったとは人聞きの悪い話である。その言葉を聞くや『赤ずきん』の殺意がシルビアへと向けられて、彼女は心外そうに言い訳した。
「と、取った何てそんな……! 私は別に……」
「全くその通りだ。俺も取られた覚えはないし、お前は学校生活を楽しんだんだろう? ま、奇行したせいで迷惑を掛けたらしいが」
 その奇行というのも言葉に相応しい程の気持ち悪い行動だったらしく、何でもナイフを咥えたのだとか。疑似的な口淫のつもりだか何だか知らないが、脈絡なくそれを行えば確かに奇行である。子供教会ではさぞ歓迎されたプレイだろうが、一般にそれを受け入れられる奴は少ないだろう。
 『闇衲』はそれとなくナイフを取り上げて、リアの口へと差し出した。
「何ならこれも咥えるか? 話を聞くに、お前はどうやら鋼鉄の無機質な感触が溜まらなそうだからな」
「嫌よ、だってパパ本当に刺す―――ううッ!」
 喋っている瞬間に差し込むという芸当は中々に難しかったが、どうやら上手く行った様だ。手応え的には、何処にも刺さっていない。
「ほら、刃の味はどうだ」
危ないじゃないあふあいあああい!、何するのよあひううおおッ!」
「一生それでも咥えてろ。シルビア、あーん」
 懐から取り出した自前のナイフで肉を切って彼女の口へ運んでいると、何だか奴隷を餌付けしているような感覚に襲われた。彼女はリアの道具だから、奴隷とは存在価値も使用用途も大分違うのだが、どうしてだろう。肉を頬張る彼女の顔が柔らかくなるのが、見ていて飽きない程度に面白いからだろうか。
 そこで何となく殺意を感じたのでリアを一瞥すると、口からナイフを引き抜いた彼女が伏し目でこちらを睨みつけていた。それ以上は特筆する事も無い、凡庸な顔だ。
「何だ、その殺したそうな目付きは。するならもうちょっと面白い顔をしろよな」
「ほっとけ! アンタって奴は、いっぺん死―――」
 リアがまともに『闇衲』と口論出来ていたのはそこまでだった。彼女が刺突しようとした瞬間『闇衲』の姿が消えて、次の瞬間にはリアの背後から上顎を掴み、ナイフを突きつけていた。一連の行動には周囲の冒険者も驚き、酔って騒いでいた者達も忽ちの内に静かになった。
 冷たい汗を密かに流すリアの耳元で、『闇衲』が囁く。
「ここは宿屋だ。殺人術の訓練をしたいなら学校の無い日にする事だな。思い上がっちゃいけないが、お前はまだまだ未熟だ。その気になる事は無いが、この状況で死ぬ事になるのはどちらか良く考えろ」
「……………ふぁい」
 『闇衲』はリアから手を離して、軽く頭を下げた。
「お騒がせして申し訳ない。どうかこちらの事は気にしないでくれ」
 そんな事を言われて容易に戻れる程、先程の緊張感に慣れている奴は居なかった。しかし酒の力とは恐ろしいモノで、十分も経てばまたいつもの喧騒が戻ってきた。








「それじゃパパ。お休みなさい」
「さ……お父さん、お休みなさい」
「それじゃお休みなさい。お二人さん」
「ああ、おやす…………待て待て」
 狂犬も戻ってきて、こちらの部屋には『闇衲』が入れば人数が足りている。一方で向こうの部屋はリア、シルビア、『赤ずきん』…………
「何でお前がこっちに居るんだよ」
「え? 何もおかしくはないでしょう? 『狼』と『赤ずきん』が一緒に居るのは、童話的に何も間違ってないと言うか」
「間違ってないけどな。ここ俺と狂犬の部屋なんだ。つーかお前が入ってくるとアイツがきゃんきゃんうるせえ。くんな」
 せっかく女子と隔離する事で彼の暴走を止めているのに、入ってきたら何の意味も無い。鎮圧するにしても結局騒いでしまうので意味がない。とにかく来る事自体に意味がない。
「そんなの贔屓ですよ。リアだって入学前にこっち来たじゃないですか!」
 何で知っているんだか。あの時は色々と例外で、狂犬は寝ていたし自分は丁度『趣味』から帰って来たばかりだったし、一言で言えば奇跡に近かった。因みに今回は狂犬がばっちり起きている(拾った覚えのない毛糸で遊ばせている。犬と言うより猫みたいである)ので、その例外が発生する事は無い。発生するとしたら傍迷惑な狂乱だけで、扉を開け放しながら『赤ずきん』と会話していなくて本当に良かった。
「あれは色々例外だ。という事だから可及的速やかに帰れ。蹴るぞ」
「もう、『狼』さんたら結構恥ずかしがりやさん何ですね。分かりました、それじゃお休みのキスで我慢しましょうッ」
「……それをしたら、大人しく帰ってくれるんだな? 二言は無いな?」
 赤ずきんが大きく首肯したのを見て、『闇衲』は彼女の額に軽くキスをしてやった。
「何処にしろ、とは言われていない。さっさと帰れ」
「む、これは一本やられましたね。本当は口が良かったんですけど」
帰れころすぞ
 そこまで言って、『赤ずきん』はようやく引き下がってくれた。彼女に限った話じゃないが、クソガキ共は一体全体人の事をどう思っているのだろうか。ナイフで暴れかけたり、キスを求めてきたり……凡庸な奴よりは全然マシとはいえ、これはこれでうざったらしい。以前の『闇衲』であればここで気持ちを止めて寝入っただろうが、この街に来てからはそうも行かない。背後の扉を少し開いて、彼にだけ聞こえるように言った。
「狂犬。俺はちょっと楽しんでくるから、お前は外出るなよ。死んでも知らないからな」
 女性が関わらない限りは狂犬も喋れなくなっただけの大人しい少年だ。『闇衲』は五感を研ぎ澄ませながら、夜の街へと繰り出した。






























「『闇衲』。良い夜ね♪」
 集合場所はあの廃屋という事にしておいた。印象に残ったし、何より個人的に落ち着く。いずれは『吸血姫』の被害を懸念した者達によって包囲されてしまうかもしれないが、そういう状況を打開するのもまた一興。余程良い場所が見つからない限りは、暫くここを使うつもりである。
「ああ、実に良い夜だ。今夜は何処へ回る?」
「んーそうねえ。私も暮らしてる高等エリア何てどうかしら♪ あのエリアに被害はまだ一切出してないから、夜這いする為か何かで出歩いている馬鹿な奴がきっと居る筈よ」
「夜這い…………ああ、成程な。そういう奴がいたらお前がそれを引き受けて、その隙に殺すと」
 学校の事で彼女に言いたい事は色々あったが、せっかく見つけた楽しみに自ら水を差すような真似はしたくなかったので、一旦忘れておく。つまらない話をしたら、せっかく人殺しを愉しんでくれている彼女の笑顔が台無しだ。
「んじゃ、行くか」
 廃屋を使う利点は、何処からでも出られるというモノだって挙げられる。石畳を砕くくらいの気持ちで蹴れば壁は壊れるし、修繕せずとも廃屋だからと説明がつく。宿屋ではつかないので、差別化は十分に出来ていると思う。『闇衲』は廃屋から出ると、彼女の案内を受けて高等エリアへと歩いていく。昨日の事もあって被害は当然増加。夜の出歩きは控えるように呼びかけられているせいで、人通りは全くと言っていい程無い。
 逆にそれを利用されている事を、恐らく大衆が知る事は無いだろう。高等エリアが近づいてくると、その建物の変わりぶりに言葉を失った。
 一言で言えば、センスが酷い。建築様式は複雑かつ精密で評価に値するが、それに使っている素材が耐久性の無いものだったり、熱に弱いモノだったり。それだけなら手抜きという話で済むかもしれないが、その手抜きを誤魔化すように金で塗り固めているのがいけない。豪華に見せようとして、逆にショボくなっている事例を挙げる機会に恵まれたのなら、この場所を挙げれば良さそうだ。一応庶民である『闇衲』が入れる道理は無いが、そんな道理が適用される謂れが『殺人鬼』には無い。躊躇なく足を踏み入れた。
「それじゃあ探してくるから、『闇衲』は私の部屋で待ってて♪」
「お前の家を知らないのだがな。確かここから突き当りを右、その次に路地を通って、突き当りの家と家の間隙を抜けた先だったかな」
「何だ覚えてるじゃない♪ じゃ、ベッドが軋んだらよろしくねッ?」
 闇夜に消え去る『吸血姫』の背中を見送ってから、全速力で駆け出した。ここから彼女の家までそう離れた距離では無い。屋根伝いに移動すれば一分もかからないだろう。















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