ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

入学式

『  』
 そう呼ぶ声がした。
『  』
 二度。呼ばれた。
『  』
 どうやって反応するべきか分からない。振る手も無く、出す声も無く、駆け寄る足も無ければ、そちらを見る瞳すらない。そもそもここは何処だ、何処にいる。夢なのか、現実なのか。いや……そもそも―――自分は、誰だ?










 先程まで見ていた夢を、これ程までに鮮明に覚えている事も中々無いだろう。あんな不思議な夢、忘れようが無いと言えばそうなのだが、夢というモノは総じて忘れるモノ。そして良く分からないモノ。一体何だったのだろうかあの夢は。自分はリアで、手も口も足も瞳もある。それではあの……夢は一体。ふと視線を腹部に向けると、『暗誘』から貰った本が目に入った。まさか……これだろうか。魔力を加えて開いてみるが、読めるのはガルカを飛び出した頃にようやく開けたページだけ。やはり分からない。どういう事だ。そしてようやく気付いたが、どうして自分は早起きをしてしまったのだ。
 シルビアは刃物を喉に付きつけた所で起きなさそうな程ぐっすり眠っているし、何かにつけて喧嘩になる『赤ずきん』ですら、自分から布団を奪ってぐっすりと―――原因はこいつだった。道理で寒いと感じた訳だ、これでは幾ら宿屋の中と言えども気分的に凍死してしまう。せっかく早く起きたのだから、さてさてどうするべきか。
―――パパの所に行こうかな。
 部屋番号は間違えない。扉を出て目の前の扉を開けばそこであるから、むしろ一体どうやれば間違うのか。二人を起こさない様にリアはそっとベッドから出て、部屋を飛び出した。二階の手すりから僅かに身を乗り出して一階を確認すると、どうやら主人すら目覚めていないようだった。これでは早朝と言うより、深夜と朝の間と言い換えた方が的確である。『闇衲』が起きているかどうかも疑わしくなったが、どうせあの男の事だ、起きているに違いない。ある意味では信頼の裏返しともとれるその思い込みを胸に、リアは彼の部屋へと押し入った。
「やっほーパパッ! 何か知らないけど朝早くおきちゃ―――あれ」
 部屋には自分の声だけが空しく響いていた(狂犬は頭数として数えないモノとする)。隠れているのかと思って軽く探してみたが、そもそも気配が無い事は分かっていたので、徒労に終わる。何処に行ってしまったのだろうか。主人すら起きていない早朝に開いている店何て無いだろうから、外をぶらついているという訳でも無さそう。しかし彼が他の部屋に押し入っているとは考えられないので、やはり外に行ったと考えるのが自然。自分のように幼き者はまだ寝ているからと何かお楽しみにでも行っているのだろうか。そうであるのなら、ずるい。自分だって混ざりたいのに。
 そう思ってリアが部屋を飛び出すと、丁度階段を上り終わった『闇衲』と遭遇した。相変わらず、触れたら切れそうな殺気を放っている。
「パパ、どこ行ってたの?」
「何処にってお前、入学するんだろ。学校に。遊び過ぎて忘れていたけど、制服を買っていなかったじゃないか」
「もしかして、買ってきてくれたの? 私の為にッ?」
 立ち話が嫌なのか、『闇衲』はリアの肩を通り抜けて部屋へと戻り、ベッドに制服を並べだした。それぞれが新品で、全くの汚れを感じさせない。一体何処からこんな制服を仕入れてきたのだろうか、そもそも彼がそんなに金を持っていた記憶が無いのだが、盗んだのだろうか。
 色々気になったが、最終的にどうでも良くなった。『闇衲』が自分の為に何かを買ってきてくれた、それだけでリアはとても嬉しかった。
「本当はもう少し適当な頃合いにこっちに呼んで着させようと思ったんだけどな。お前が早く起きたって事ならそれでいい。着てみるか?」
「うん! ……あれ、でも何で四着あるの?」
「うっかりだ。返そうかと思ったが、ちょっとした利用法を見付けたからな。まあそれは後のお楽しみという事で秘密にしておこう。で、着るんだよな。じゃあ俺は部屋を出るから、着替え終わったら言ってくれ」
「パパにだったら裸を見られてもいいんだけど?」
 挑発のつもりでもあったが、本音である事には違いなかった。自分の裸を見た所で彼は欲情もしなければ興奮もしない。そういう男だと心の底から信じているからこそ、リアは彼を煽る。いつもであれば容赦なく鉄拳をぶち込んでくる『闇衲』も、この時ばかりは冗談と流すようにフッと笑っただけだった。
「一応、体裁としてそうしておかないとマズいだろう。只でさえ俺の事を『狼』呼びするクソガキが居るのに、俺から誤解を招く事は無い。見て欲しいと言うのであれば話は別だが、そういう訳でも無いだろう」
「あったりまえでしょッ。女の子の身体はそう易々と見られるモノじゃないのです! 反省しなさい!」
「反省も何も、その気が無いんじゃあな。じゃ、俺は外に出る。騙そうとしたら下の厨房を使ってお前を煮込みスープにしてやるから覚悟しろよ」
 部屋の扉が、バタンと音を立てて閉じた。














「いいわよー」
 『闇衲』が改めて部屋に入ると、そこには綺麗な服を着てご機嫌なリアが、己の身体を見回しながら具合を確かめていた。その視線がこちらに向くのにそう時間は掛からない。
「パパ! ……どう、似合う?」
 リアはその場でくるりくるりと回転して、こちらに全体像を見せつける。その時に発生した僅かな風がスカートを靡かせ、首元で結ばれた装飾を揺らした。スカートはともかく、装飾はいい加減に結んだせいでそうなっているようだ。彼女の首元に手を伸ばし、結び目を改めてやる。
「中々様になっているじゃないか。流石は子供教会が選びし美人だな」
「……それ、褒めてるの?」
「褒めているとも。アイツ等は女を見る目だけは正確だ。その証拠に、シルビアも大概美人だろう。幸いな事にフードも付いているみたいだから、内気なアイツにも似合いそうだな」
 『赤ずきん』については語るべくも無い。彼女を購入してからは一度も使われていないが、人間馬車に乗っていた瞬間は裏地が赤色の黒いコートを着ていたのだから。何はともあれ、入学式に私服―――それも死体から剥ぎ取った服―――で行かせるなんていう蛮行をしなくて済んだのは良かった。無償で譲ってくれた彼女には感謝しなければならないだろう。
「どうする。もう一度着替えても良いが、そのままにしておくか?」
「愚問よッ。何だってこの服を着替えなきゃいけないんだか。私はこのまま朝食を摂って、そのまま学校に向かうわ」
 綺麗な物を汚い物と取り換える意味が分からない。リアもそれくらいの常識的な感性は持ち合わせている事が再確認できて良かった。残り三着の制服を適当に集めて端に置いて、『闇衲』はベッドに腰を下ろした。
「賢明な判断だな。俺だってそうする。さ、もう少しだけ寝ていたらどうだ。あっちで寝たくないって事なら、こっちで寝ても良いが」
「本当ッ? だったらパパと一緒に寝たい! ナイフ持ってないから殺せないけど、いいかな?」
 疑問形で尋ねつつ、しかしその行動は相手側の意志に委ねていない。リアが過剰な勢いをつけて彼の胸に飛び込むと、直後に彼女の背中が優しく包まれて、それから布団が掛けられた。相変わらず男の臭いがするが、血の臭いがそこに混ざる事で何とも言えない香りが生まれている。
「構わん。何なら……そうだな。ミコトにも聞かせた事のある子守歌でも歌ってやるとしようか」












 墓に眠る 小さな鳥よ


 眠れ 眠れ 少しと言わず 永遠に


 海に眠る 小さな魚よ


 眠れ 眠れ お月様が沈む それまでに


 地に眠る 小さき人よ


 眠れ 眠れ 光が降り注ぐ その時まで













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