ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

火種は気付かず撒かれる

 魔術都市レスポルカはトストリスにも劣らぬ大きな都市であり、その中身は大きく四つに分かれている。
「こちらが……というか案内するまでも無いんですが、ここが居住エリアです。学校も一括りでこの中にありますが、基本的には言葉の通り、住居が存在する場所ですね。貧民街、そして後述するエリアを除けば、全ての国民はこの居住区に家を据えて生活しています。後で改めて案内するつもりですが、貴方達が今夜泊まる宿はあそこですね」
 少女の指の先には、トストリスで拠点としていた家とは比べ物にならない程の立派な建物が建っていた。冒険者ギルドとやらがあるのなら、きっと冒険者も利用している。それがリアの教育に役立てば良いのだが、『闇衲』は冒険者にあまり良い思い出が無い。仮に役立ったとしても、その場に自分は居ないだろう。居たくない、という方が正確であるが。
「昨今は性交による騒音被害が増えているという事で、部屋は別々になるかと思われますが、大丈夫ですか?」
 その大丈夫ですかは、一体どういう意味なのだろうか。パッと思いつく限り二つ程あるが、最悪な方向じゃない事を願うばかりだ。
「俺は問題ない」
 何なら一人の方が気楽で良い。むしろこちらからお願いしたいくらいだ、妙な疑いを掛けられるのは御免である。
「私だって問題ないわよ。子ども扱いしないでくれる? ね、シルビア」
「え? わ、私は……お、お化けが」
「私は狼さんと離れるのが嫌なんだけど」
 ……三人を見ていると時々思うが、あちらからすれば何気ない心配の筈なのに、どうして返答が刺々しいのか。年相応の解答をしたのはシルビアだけである。『赤ずきん』に至っては、『闇衲』の素性を勘違いされかねない発言をし始めた。ここで彼女に危害を加えると自分でそれを証明しているようなモノなので、敢えて見逃す。その判断が賢明だったのは言うまでも無く、案内役の少女の視線に若干の軽蔑が混ざりかけていたが直ぐに霧消した。
 別に、殺人鬼とさえ見破られなければどうでもいい。どうでもいいが、物事には順序がある。傍から見れば『親』に見える男性を『狼』と呼ぶなんて、騒音被害云々の話をした後に行う事じゃ無いし、それをしてくれたせいで、さも『赤ずきん』と自分が肉体関係を持っているかのように勘違いされてしまう。それは見破られる見破られない以前にこちらが不快であり、その感情を抜きにしても騒音被害云々の話が存在する関係上、ある程度動きにくくなる事は明白。割と迷惑なので、彼女は後で吊るし上げの刑にでも処するとしよう―――それは置いといて。
 やはり彼女の発言は無視できない。
「―――シルビア。お前、お化けが怖いのか?」
 殺意も無く、侮蔑するでも無く。只困惑だけが『闇衲』の表情に先んじて浮かんで、それに気づいたシルビアは己の発言に赤面。露骨に視線を滅茶苦茶に動かして、どうにか平静を保とうとしている。その時点で保てていない事には気付かないらしい。
「いや、その。お化けは怖くないんですよ? お化けは怖くないんですけど、いや怖くないんですよ! それで―――」
「シルビア!」
「え?」
 リアの声で呼ばれて振り返ると、そこには大きな目と口が付いた白い布の化け物が体を広げて立っていた。
「ばあッ!」
「きゃあああああああああ!」
 シルビアはいつもからは考えられない速度で『闇衲』に密着。内臓を圧潰せんとばかりにその体を抱きしめて、化け物から遠ざかる様に『闇衲』ごと走り出した―――と彼女は思っているだろうが、腐っても『闇衲』は殺人鬼であり、成人男性だ。修行もしていない少女一人に押される程軽い体では無かった。なので、実際は微動だにしない『闇衲』をどうにか動かそうと、一人の少女が必死で足を擦らせて動いているだけと、中々に奇妙な光景が作り出されている。
 このまま反応を見ているのも面白いが、これでは街巡りが進まないのでネタバラシ。彼女の首根っこを掴んで無理やり体を翻してやると、そこに居たのは大きな目と口を持った白い布の怪物……ではなく、それと思わしきモノを両手に抱えたリアだった。
「り、リア、何するのッ! というかそんなの何処からもってきたのッ?」
 大きな白い布の化け物とは言ったが、その正体は白い布にナイフで目と口を作り、それをリアが自分に覆いかぶせただけである。あまりにも完成度の低い子供だまし故に、普段であれば彼女も驚く事は無かったと思われるが、今回は場合が違う。
 酷く動揺していた彼女には、たとえお化けというより只の襤褸切れにしか見えない何かでも、思い込み補正により、立派な化け物として成立していた訳だ。因みにいつリアがそれを作ったのかは『闇衲』も知らない。今までの生活の上でそんな時間があったかと言われるとあったが、白い布にこびりついた血液の乾き具合から見てトストリス大帝国に居た頃に作ったのだろう。
 仮にそうだったとしても、一体何処から取り出したかまでは流石に分からないが。
「うへへーシルビアなら絶対驚くと思ったんだよね。私ってば天才!」
 幼稚な悪戯が予想以上に上手くいってニンマリとするリアに、死すら感じていただろうシルビアは、激昂した様子でリアに駆け寄り、その胸倉を掴んだ。少女にしては掴み方が乱暴すぎる気もするが、恐らく『闇衲』が良くやっているせいでそれしか知らないのだと思われる。
「何処がッ! 大体何で私にやったの。お父さんとか『赤ずきん』とか居るじゃない!」
「パパにやったらぶん殴られるし、『赤ずきん』にやったら壊されるかもしれないでしょ? だ・か・ら、シルビアにしたのッ。分かってくれた?」
「分からないよ!」
 リアは怯まない。自分の言い分に絶対の自信を持っているから。彼女の言う通り、同様の悪戯を自分に仕掛けようものならナイフで引き裂いてしまうだろう。それかあの布を逆に利用して窒息させるか。だから彼女の言い分は正しい。悪戯を仕掛けるのであれば人畜無害な彼女に仕掛けるのは一番だ。
 しかしシルビアの言い分も間違っているという訳じゃ無い。そもそもここで悪戯をする意味なんて無いから。悪戯をしてもしなくても時が進むと言うのなら、しなくてもいい筈だ。それもまた間違っていない。
 ではどちらが本当に正しいのかと問われれば、『闇衲』はこう答えよう。
「お前達!」
 二人が振り向くのに合わせて、『闇衲』は無慈悲な正解を突き付けた。
「心底どうでもいい言い争いをして時間を無駄に使うな。街巡りが終わらねえ」
 そう、どうでもいい。その言い争いにおいてどちらが正しいのかを考える以前に、その言い争いをする事自体が正しい事じゃない。別に無駄な事を一切するなとは言わないが、物事には場合がある。この場合は、無駄な事をされると面倒になる『場合』だ。
「それじゃ、案内を続けてくれ」
 何事も無かったように改めて促すと、案内役の少女もこちらの調子に合わせるように動き出した。
「次は冒険者ギルドが存在する、職人エリアに行きましょうか」
















 職人と一口に言ったって、色々な種類が居る。例えば鍛冶屋だって、今は魔術の発展によって一人で事足りているが、昔は武器一つ作るのにも何十人もの職人が携わっていた。その名残か、職人エリアとやらには今も尚現役の住居の中に、ちらほらと廃屋が存在している。
「一部の人達は、ここを仕事場として生活しています。仕事が忙しかったりしたら、居住も兼ねている場合が多いですね。最近は戦争も無いので、そういった光景はあまり見られませんが」
 年を食った男臭い人物ばかりが見えるせいか、リアは興味と言うより嫌悪感を丸出しにしているが、意外な事にこのエリアに一番興味をそそられていたのは『闇衲』だった。
 鉄を打つ音一つ取っても、職人達の技術が如何に高いかが良く分かる。薬草を潰す音一つとっても、店員がどれ程の知識と年月を費やしてその道を究めているかが良く分かる。これが人間の誇りを燃やし尽くした末に生まれた文明の結晶、人類が築き上げた技術という名前の宝物か。とても素晴らしい。涙すら出かねない程に素晴らしい。リア達が卒業するまで街に滞在しなければならない事に、『闇衲』は一抹の不安と退屈を覚えていたが、このエリアを見ていたらそれが杞憂である気がしてくる。人と群れる事は嫌いだが、このエリアに響く音は嫌いになれない。いや、むしろ好ましい。年を取って死ぬまでここに居てもいいと思えるくらいに好ましい。少女の復讐に付き合っている為にその未来が実現される事は無いが、ここであれば野晒しになったって後悔は無い。
「ここが職人エリアですね……って。どうかしましたかッ?」
 案内役の少女の瞳の反射を利用させてもらうと、どうやら自分は間抜けにも口を開けたまま呆然と立ち尽くしていたらしい。先程まで喧嘩していた二人も、今は仲良くこちらを不思議そうに見つめている。
「パパ/お父さん、どうしたの/どうしたんですか?」
「……いや。何でもない。素晴らしいエリアだと思ってな。思わず感動してしまったよ」
「えー。パパ趣味悪いね。おっさんが働いている光景を見て感動するなんて」
「地味かもしれないが、皆誇りを持っている。そしてそういう奴等の頑張りが合わさって、今の文明、世界が出来ているんだ。お前にはまだ早い真理だろうが、世界を回すのは英雄何かじゃない。何でもない人々の一日、その積み重ねだ」
「お父さんにしては、らしくない発言ですね」
「そうか? 良いモノは褒める、悪いモノは貶す。誰に何を言われたって俺はそれを貫いているだけなんだが」
 『殺人鬼』は決して精神異常者でも少数派に属さなければ死んでしまう病を抱えている訳でも無い。自分以外の殺人鬼何て心当たりが一人くらいしか思い当たらないが、何にしても存外、そういう者達は至って普通の感性を持っているモノだ。『闇衲』も例外では無く、職人の技が素晴らしいと感じたかそう言ったまでの事。らしくないとは『頭のおかしい奴』と言われているみたいで心外だ。
「……ッンン。それで、冒険者ギルドは何処にあるんだ?」
「え、あ。それでしたら少し歩く事になります」
 これ以上話しているとボロが出そうなので、適当な所で切りあげて話を進める。案内役の少女の背中を追うように『闇衲』はシルビアの手を引いて歩き出した。やはり街を殺す際に問題となってくる場所には行っておいた方が良い。顔が知れれば、その分大胆な下見もしやすくなるというモノだし。
「パパ。ひょっとしてギルドってあれの事かな?」
 突き当りを曲がった所でリアが前方に回り込んできて、わざわざ指をさしに来た。歩いている方向的に間違いはなく、出入りをしている者の身なり的に、まず間違いは無いだろう。
「まあ、あれだろうな。それがどうしたんだ」
「―――行ってくる!」
「……は? え、お前ちょっと―――」
 あまりに突然の宣言に呆気に取られて、リアを止める事が出来なかった。『闇衲』が手を伸ばした時には既にリアは遥か前方。調子よく走り出して、男とぶつかった。
「何やってんだアイツ……」



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