ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

脅迫じみた救済

 魔術学校の教師。聞こえは良いが、その実態はそれこそ教師以外の何者でもない。……何が言いたいか分からないならば、ある種の自白をするとしよう。
―――教師は戦えない。
 理論こそこの頭の中に全て集約されているとはいえ、飽くまでそれは教える為だけに培ったモノだ。使う事も出来るし、唱える事も出来る。時間さえかければ魔物を殺す事だって出来るし、それを戦いと呼ぶのなら、戦えないという言葉は間違っている。しかしながら、果たしてそこまで準備を刺せてもらっている時点で、それは一方的な攻撃では無かろうか。戦いとはお互いの攻撃が容易に当たる状況下で、如何にしてこちらの攻撃の身を当てて、相手の攻撃を躱すか。そういう駆け引きこそが醍醐味なのであり、魔法陣もゆっくりと書けるような状況は、戦いとは呼べない。
 そういう事なので、たとえこちらを取り囲んでいるのが弱小の類に分けられるゴブリンだったとしても、こちらは碌に抵抗する事が出来ない。
「う、うわああああああ!」
 用心棒のつもりで雇った冒険者も、どうやら口ばかりだったようだ。ゴブリン数十体を見るや、脱兎の如く街へと帰還してしまった。取り残されているのは自分と……そして自分の教え子のみだ。
「ニモツ、ヨコセ!」
「クイモン、ヨコセ!」
「ブキ、ヨコセ!」
 蛙の輪唱もかくやと、ゴブリン達は短剣を振りかざして騒いだ。この種族は大変気が短いので、このまま沈黙を保とうものなら有無を言わさずに襲い掛かってくるだろう。誰かが都合よく助けに来てくれるならばそれに越した事は無いが、そんな事があり得るとは早々に―――そう言えば、ゴブリンの数が一匹減っているような。
「お、おい。お前達、もう一人居たよな? ソイツはどうしたんだ?」
「アー? …………オイ、シェジャャ?」
「イナイゾ!」
「サッキマデイタノニ!」
 ゴブリン達はこちらから意識を外して、何故か口論を始めた。「居なくなったのはお前のせいだ」とか、「そもそも連れて来てないだろ」とか。こちらからすれば心底どうでもいい話だが、逸れてくれたのは助かった。
「レ、レグルス先生」
「君は黙っていなさい。大丈夫だ、直ぐに終わる」
 後ろ手に書いた魔法陣も、もうすぐ完成する。そうなれば少なくとも、ここから街まで逃げおおせるくらいの時間は稼げる筈だ。荷車に積まれている全ての荷物を無駄にするが、致し方ない。命だけでも助かるのならば安いモノだ―――
「はいはい。ゴブリン達よ。お前達が探しているのは、この死体ですか? それとも、この死体の武器ですか?」
 この状況を愉しんでいるような口調と共に、一人の男が割り込んできた。男はこちらに見せつけるように首の無い死体を持ち上げて、つまらなそうに放り投げる。通りがかりの冒険者か? いや、しかし……一体何処から。
 いや、そんな事を気にしている暇は無い。幸運にも割り込んできた冒険者に感謝しつつ、魔法陣を完成させなければ。
「オマエ、クイモンアルカ?」
「ヨコセ!」
「コロス! ヨコサナイトコロス!」
 ゴブリン達は忽ちの内に冒険者を取り囲み、武器を構えた。見る限り冒険者は獲物らしき獲物を持っておらず、素人目で見る分には数的不利も取っていて勝ち目が無いように見える。しかしながら、そこの男は余裕を崩さない。何か策でもあると言うのだろうか。魔法陣が仕込まれている訳でも無いし、一体この状況、どのように覆す。
 先に動いたのは冒険者だった。その左手が霞む程の速度で動くや、殆ど同時に傍らのゴブリンの首が刎ね飛ばされた。
―――魔術か?
 それにしては詠唱も無い上に魔法陣も無い。ゴブリン達が攻撃された事に気付いたのはそれから数秒後の事だったが、それは猶予にしてはあまりにも長すぎた。
「おやおや、どんどん落ちてきますね。お前達が落としたのはこの首ですか、その首ですか―――」
 幻覚でも見ているかのようだ。あまりにも鮮やかな銀閃が的確にゴブリン達の首を落として、その命を絶っていく。そのままでやられる訳にはいかないと、ゴブリン達は必死に武器を振り回すが、冒険者と思わしき男にはものの見事に一発も当たらず、男がナイフを懐にしまう時には、既に全てのゴブリンの首が花開いているかのように綺麗に転がっていた。
「…………アンタ、大丈夫か?」
「え? あ、ああ。怪我はないが」
 冒険者は足元に転がる生首に数秒見つめてから、興味を無くしたかのように踏み潰し始めた。骨と臓器と肉が一斉に潰れた音は、この上なく不快である。 
「そうか。俺が近くに居て良かったな。その魔法陣じゃゴブリンは殺しきれなかったし、あの数じゃ危なかったぞ」
 男の視線は、背中に隠した自分の手に注がれていた。その時の眼力の強さったら学園長にも引けを取らず、魔法陣を書いていた手が止まってしまう。動揺を感知した男が、二っと笑った。
「怯えなくても良い。俺はお前達を助けただけだ。無償では無いが……だからこそ、信用はしてもらいたい」
 無償で人助けをする何て馬鹿以外の何者でもない。そんな奴はいつか適当に利用されて切り捨てられるだけだ。見返りを求めるが故に助けた、そんな理由の方が現実的に信用されやすい。だって、それは自然な事だから。
「君は、冒険者だな。何処のギルドに所属しているのかを言ってくれたまえ。そうすれば学校の方から報酬を払っておこう」
「―――何を勘違いしているのか知らないが、俺は冒険者じゃないぞ。娘と一緒にガルカから逃げてきただけの……まあ、生存者みたいなものだ」
「ガルカッ? 君はガルカの出身なのか?」
 男が頷いた。そしてこう続けた。
「こっちに来たって事はもう知ってるんだろ? ガルカは滅んだ。原因は良く分からないが、とにかく滅んだ。生き残ったのは俺と娘と……まあ、その他数人くらいだな」
 こちらの言葉を先詠みでもしているのか、男が前もって聞きたい事を潰してきた。これでは「他の人間は?」と尋ねてみても、今と同じような言葉を返されるだけだ。
「じゃあ君は何か見たのか? ガルカが滅んだ原因とか、犯人でもいい! 何か、何か知らないのかッ!」
「原因は良く分からないとさっき言った筈だが」
 そう言えばそうだった。思考が先走り過ぎていて、全く話が入ってきていなかった。情報を総合せずとも分かるが、唯一の生存者たる彼が何も知らないという事は、きっと他の者も何も知らないのだろう。自分がこちらまで来て得たものなんて、それこそゴブリンに襲われたという事実だけ。レグルスは露骨に気分を沈ませて、俯いた。
「……知り合いでも居たのか」
「―――いやいい。気にしないでくれ。見返りを求めると言ったな、一体何が望みなんだ?」
 唯一生き残ったという事だから、当分の住居でも欲しいのだろうか。それなら冒険者ギルドに掛け合えば、粗末なモノとはいえ用意してくれるだろう―――




「俺の娘を、学校に入学させてほしい」


















   






 少し不自然だっただろうか。こちらの言いたい事は、要するに『住んでいた町が滅んで、行く所が無いから娘を学校に入学させろ』という事なのだが、幾ら何でも唐突過ぎたかもしれない。行くところが無いからと言って娘を入学させる馬鹿が何処に居るのだろう。普通はまず衣食住を確保してからだと思うし、良く考えてみれば一介の教師にそう頼んだところで、お願いがまかり通るのかどうか。
 まあ、仮に通らずとも最悪『イクスナ』を使えばどうにかなるし、何なら校長を殺してから存在を奪えばいい。容易い事だ。
 男はかなり悩んだ様子でこちらと足元を交互に見ていたが、やがて馬車の先頭に回り込んで、馬に跨る。
「校長に掛け合ってみよう。取り敢えず一緒に来てくれ」
 良し。これで入りは完璧だ。『闇衲』は身を翻し、湖の方向に手招きをした。
「お前等! どうやら乗せてってくれるらしいから、早く来いッ」





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