ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

貴方の居場所

 あれはシルビアに痛みを引き受けてもらう直前の事だった。
「あの……殺人鬼さん。もしあの人を殺すんだったら、頭を―――その、どうにかした方がいいと思います」
「……な、ぜ?」
「確信は無いんですけどッ、見えたんです。あの人が死んだ瞬間、この町が真っ黒い光に包まれたのを。それで、殺人鬼さんもリアも、私も死ぬ光景が見えたんです。だから―――こんな事を言うなんて、人として最低の事だと思いますけど」




―――あの人の頭を、潰してください。








 骨を素手で貫く事は、並大抵の人間に出来る芸当では無い。では『闇衲』はどうなのかと言うと、殺人術の心得を除けば至って普通の人間である。これをやりたくなかったのは、指先を異常に痛めてしまい、暫くの間まともにモノを殴れなくなるからだ。嘘だろうと疑うのなら、自分でやってみればいい。骨を貫く事がどんなに難しいかを身に染みて思い知るだろう。
 脳を握り潰されたヒースが死にかけているという事は無く、彼は完全に、この上なく完璧に死んだ。そろそろ脳の感触が気持ち悪いので手を離すと、身体を司る部位が破壊された体は重力のままに倒れ、そのまま動く事は無かった。
 このままではリアに触れないので、『闇衲』は手に付いた脳髄を舐め取ってから『赤ずきん』の方へ視線を移す。
「ニ十分……で終わらせるんじゃ無かったか?」
 そこに立っていたのは『天運』等ではなく、赤ずきん。では相手である『天運』は何処に行ったのかと言えば、恐らく彼女の足元に存在する骨と肉の集合体がそれではないかと思われる。こちらの戦いをニ十分以内で終わらせた以上、一見すれば既にああなってしまっている時点で『赤ずきん』もまたニ十分で終わらせてしまった事になるのだが……違う。そうじゃない。戦いの最中、『闇衲』は確かに聞いた。『旋路』なる言葉を。
 自分は確かに魔術の素人で、何があってどんな効果を持っているのか、聞いただけでは理解のしようも無いが、それでも他に手掛かりがあるのなら語る事は出来る。
 一つはあの死体だ。人間の原型すら留めていないあれは、今まで人を殺してきたからこそ分かるが、ニ十分やそこらで出来上がるようなモノじゃない。少なくとも、魔術に因らない物理的手段では。
 もう一つはリアと最後に押し入った家で、リアが見せてくれたあの魔術。あれによって一人の人間が血液の過剰摂取によって破裂し、見るも無残な死体が生まれた訳だが、例えば『赤ずきん』が使った魔術がこの系列であったのなら、ニ十分であのようにする事は決して不可能じゃない。だが、赤ずきんの両手が血塗れになっている事を考えると、何やら違うようにも思えてくる。
 以上の事から、どんなイカサマを使って『天運』を殺したかは分からないが、取り敢えず分かっているようなふりをしている。『赤ずきん』がもしもイカサマをしていないというのなら無駄な煽りとなるが……ここからでも良く聞こえる程の尋常じゃない歯ぎしりから察するに、図星なようだ。
「とは言っても、流石に私は人間何でな。お前が一体どれ程の時間を掛けてそいつを殺したかまでは正確に把握できていないんだ。という訳で教えてくれ。お前は一体どれ程の時間を掛けてそいつを殺したんだ?」
 帰ってきた答えは、人間が認識するにはあまりに広すぎるモノだった。
「……二〇兆二三九八億八六九一万七六五四。本当に予想外でした。まさか己自身と勝負をして、無理やり『天運』を発動させるなんて」
 余程悔しかったのか、赤ずきんはこちらに嘘を吐こうともせず、素直に真実を語ってくれる。一体どれだけこの勝負に自信を持っていたのか分からないが、これは必然の結果だった。飽くまで『闇衲』の経験則だが、実力差の乖離故に絶対の自信を持つ奴は、勝つにしても負けるにしても相手にその自信をへし折られる。『赤ずきん』は正にその例に当てはまっていると言えるだろう。勿論こうなる事は、『闇衲』には見えていたのだが。
 そもそもあらゆる勝利する事において必要なのは強さでは無い。運だ。運さえ強ければ勝負はどうにかなる。『天運』は正にそれを体現したかのような化け物であり、ヒースとタッグを組まれて襲い掛かって来られたら不味かった。『赤ずきん』の自信を引き換えにその面倒が全て流れたというのなら、こちらは彼女に感謝しなければならないだろう。
「あらゆる時間軸に干渉して殺し続けたのに、それでも次から次へと道が開けていって……本当に、何なんですか―――」
 最早こちらの事など眼中に無いようで、『赤ずきん』はブツブツと独り言を言いながらその骨と肉の集合体を踏みつける。何度も、何度も、何度も。その光景は見ていて非常に惨たらしかったが、『闇衲』はそれ以上に情けなく見えてしまって、これ以上の直視は叶わない。流石に苛立ったので、取り敢えず赤ずきんの後頭部を力の限り殴っておく。あちらからすれば突然殴られた様に感じた事だろう。
「流石に無様だ。俺に価値を見出してほしいのなら、取り敢えずその醜い行動を止めろ」
 赤ずきんは後頭部を押さえながら距離を取る。
「―――狼さん。でも……!」
「でもじゃない。どう言い訳したってお前は俺達との勝負に負けたんだよ。そしてお前に勝てないと分かってからは、それこそが『天運』の目的だった。それでいいだろう、お前は『天運』に負けたんだよ。お前達の間にどんな駆け引きがあったかまでは知らないが、少なくともお前は負けた。ニ十分で奴を葬れなかった。約束通り、これから一生リアの手助けをしてもらうぞ」
 まともに戦う事は無かったが、『天運』には感謝せねばなるまい。彼のつまらない意地が時間を大きく遅延させて、結果として赤ずきんとの勝負を決める要因になった。正面から堂々と戦う事を好む騎士という存在に未だ理解は示せないが、それでも一定の敬意は払っておく事にしよう。騎士の誇りとやらも、たまには役立つモノだ。
「ふふーん! 私からパパを奪うなんて一兆億万年早いのよッ! これに懲りたら大人しく私の為に働きなさいッ」
 二人のシュタイン・クロイツが消え去った事で安堵したのか、調子づいた口調でリアが煽りを入れてきたが、今の『赤ずきん』を煽ると何をするか分かったモノじゃない。それとなく制止しつつ、彼女にも仕事を与えておく。
「そんな単位は存在しないからな。で、リア。お前はそこで倒れているシルビアを家まで連れて帰ってくれ」
「え、シルビア居たのッ?」
「そんなクソみたいな三文芝居をしなくても、別に怒りはしないさ。シルビアには男性にしか分からない筈の痛みを引き受けてもらったからな」
 可憐なる少女が股間を押さえながら蹲る姿は中々見られないだろう。見ていて飽きるモノじゃないが、赤ずきんに信頼されている自分が彼女の担当をしなければ暴走される恐れがある。少しだけ名残惜しいが、彼女の痛みに悶える姿を見る権利はリアに譲るとしよう。
「じゃ、一旦帰るか」
 リアが重そうな足取りでこちらに近づいてくるのを見届けてから、『闇衲』は赤ずきんを背負い、全力で駆け出した。
「あー! ちょっとパパずるいッ。こっちはこんなに重いの抱えてるのに!」
「重いとか言ってやるな! お前よりはずっと軽いッ」










 拠点の扉を蹴破った瞬間、見慣れた顔の少年がこちらを見るや出し抜けに襲い掛かってきた。が、今は疲れていて遊ぶ余裕がない。手加減抜きで蹴りを放ってやると、少年は病葉同然に吹き飛んでしまった。妙な手応えがあったが、もしかしたら骨を数本砕いてしまったかもしれない。まあいいか。どうせ直る。
「……意外に早かったわね」
「―――ミコト。管理をしておけと言ったのに殆どの奴を逃がすとはな。言いたい事は色々あるが、特別に許そう。真面目な話、こいつらが来なければ危なかった」
 シルビア然り、『赤ずきん』然り。特にシルビアにはかなり恩は感じている。これからは少しだけ甘く接してやらなくもないと、考えるくらいには。
 『闇衲』は背中から『赤ずきん』を下ろして、指を揉み始めた。
「また行くの?」
「ああ。もしかしたら数人くらいは逃がしているかもしれないが、何にしても音を立て過ぎた。今夜中にこの町を殺しておかなきゃ、これからが動きにくくなる。久々に人体破壊術を行使して指が痛いが、そんな事は言っていられなさそうだ。こいつの管理を今度こそ頼む……今度こそ、一歩も外に出させるな。何があってもな」
 言い終わると同時に再び扉が蹴破られて、今度はリアが入ってきた。その背中には未だに苦悶の表情を浮かべているシルビアが震えている。
「リア。そいつを下ろしたらもう一度殺しに行くぞ」
「分かった! じゃシルビア、ちょっとここで待っててね……」
 雑に下ろした自分とは違って、リアはシルビアを優しく下ろして、可能な限り負担のかからない様に手を離す。女性には分かる筈も無かった痛みを感じているシルビアは、未だ股間を押さえて地面をごろごろと行き来していた。
「よっしゃ、行きましょう!」
「随分殺る気だな。そこまで人を殺したかったのか?」
「勿論よ! だって人殺しは、パパと私を繋ぐ縁だもの。頭のおかしな奴等に邪魔をされちゃったけど、私達の殺しはこれから。それに。この町殺しって、そもそもパパのうっかりで始まった事だし、私が協力しなきゃ終わらないでしょ?」
 いや、むしろ協力してくれない方が手っ取り早くて助かるのだが。
「ああ、そうだな」
「だったらやらなきゃねッ! 至らぬ父親を助けるのは娘の役目なのです!」
 無い胸を張ってドヤ顔でそう言い放つリアを置いて、『闇衲』は再び夜の街へと繰り出した。
「あーッ、待ってってばー! もう、パパァッ!」
 さて。久しぶりに脳髄を摂取した事で頭も冴えてきた。次は一体、どんな風に殺してやろうか。明け方までに全員を殺せるかは疑わしいが、気楽に行こう。


 

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