ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

結末を超えて

 後五分。たったそれだけの時間で全てが終わる。『赤ずきん』の閉じている指は現在四本。あと一本をきっちりニ十分で閉じれば、勝負の段階に無い『天運』など容易に殺す事が出来る。唯一負け筋があるとすればこちらの能力の詳細をあちらが見破ってきて対処してくる事だが、それだけはあり得ない。魔術にも体質にも因らない能力に依存している存在は、それ故に常識的なモノを見落としがちだ。だから『赤ずきん』の能力がシュタイン・クロイツ全員が保有する能力と同じ存在だと思っているのなら、破られる事は一生有り得ない。まさかこんな攻撃が只の魔術によるモノだなんて、そんな発想は思い浮かばないだろうから。
「ぐ…………ごッ」
 しかし良く堪えるモノだ。そろそろ舌と目が飛び出して意識も朦朧として来てもおかしくないのだが、まがりなりにもシュタイン・クロイツである事が彼の意地を引き出しているのか、まだ抵抗の意思を見せている。愚かな事だ、既に勝負は決まっているというのに、まだ苦しんで、足掻いて、もがくか。魔力が尽きる心配は無いが、少しだけ面倒である。
「後五分ですけど、まだ足掻くんですか? さっさと諦めれば楽になるのに、どうして諦めようとしないんですか?」
 小指を閉じれば全てが終わる。だがニ十分で葬ると言った以上は、それ以上でも以下でも殺してはいけない。だから自分も後五分。この男の醜い足掻き様を見届けなければならない。その事の何と苦行たる事か。地位や権力に縛られている男に生きる価値など存在しない。そんな男を後五分も見続けなくちゃいけないなんて、そんな苦行がこの世に存在していていい訳が無い。生きとし生ける者、見るべき価値がある者は『闇衲』只一人であり、それ以外の者はゴミ同然というより、クズそのもの。どうでもいいのだ、そんな奴。




 生きていようが死んでいようが笑っていようが泣いていようが怒っていようが楽しんでいようが。




「……貴様、には」
 その言葉を吐く事すら彼からすれば命がけであろう。むしろその命を一秒でも伸ばしたいのなら、喋らない方が良い。それでも『赤ずきん』の投げかけた問いは、騎士として答えなくてはならないモノだった。
「貴様に、は分かるまい! キシ……たるも、の。何があって、モ諦めるわ、は、ナイ……」
「はいはい立派ですね。でも口では何と言ったって、今の貴方は後数分の命。騎士たる者が諦める訳にはいかない? 死は生物の絶対の理。諦めようが諦めまいが、もうすぐ死ぬ」
「それ……はどうかなッ!」
 或いは、それは魂の底から持ち上がった叫び、命をも燃やした全力の抵抗だった。
 その声と同時にルーサーは『赤ずきん』の魔術を破り、呼吸を確保してから僅か一歩で肉迫。『赤ずきん』の腹部を力の限り殴りつけた。
「……八ッ!」
 衝撃が背中から抜けない様に工夫は施した。膝からゆっくりと崩れ落ちる『赤ずきん』を抱き留めてから、ルーサーはようやく戦闘態勢を解除した。
「俺が『天運』たる所以は、確かに天稟のモノではない。だが、嘘も百回繰り返せば真実となる、という言葉があってな。紛い物の運に頼り続けてきた結果、俺は遂に誠なる運を手にしまった訳だ」
 言い換えれば、己との『勝負』。そもそも戦う気の無い存在相手に戦おうとする事が間違っていたのだ。それにようやく気付いたルーサーは、相手を己へと替えた。己が己である以上、己を『相手』にすれば『勝負』は成立する。
 赤ずきんが動かない事を念入りに確認してから、視線を彼の方向へと向ける。どうやらあちらもそろそろ決着が付く様だ。負けるにしても勝つにしても、こちらの目的は達成した。後は全てを見届けるだけだ―――










「『旋路ヴァールート』」














 ニ十分以内に終わらせると言われた以上、これ以上悠長に殴り合いをしている暇は無い。下手に試合を長引かせると彼女に時間を誤魔化されて無理やり約束を通されかねない。ヒースがまだ持ちこたえてくるようならば、いよいよ今までの試合の雰囲気をぶち壊す『不意打ち』を考慮しなければならなかったが、どうやらその心配は無さそうである。
 つい先程放ったばかりの蹴りは、ヒースの体力をごっそりと持っていった。よろめきながらもどうにか倒れ込む事だけは回避しているが、その体は常に揺れていて不安定。もう一撃でも顎に与えてやれば、完全に気を失いそうだ。尤も、それはこちらも同じ事なのだが。
「……へッ。もうすぐニ十分経ちそうだなあ」
 あちらも時間制限については理解しているようで、恐らくは次の一撃に全てを懸けてくる。こちらも先程貰った一撃が中々に重く、立っているのがやっとなくらいなので、やはり次の一撃で勝負をつけるしかない。だが……困った事に、先ほど放った掌底と上段蹴りがこちらの最大威力の攻撃だ。あれ以上の攻撃を放つとなると、こちらは武器を使うしか無くなってくる。一方でヒースの方は全力かどうかと言われると微妙な所であり、仮にあれが全力だったとしても、気合であれ以上の攻撃を出しかねないのが怖い所だ。騎士という存在は得てしてそういうモノであり、だからこそ普段は考えないような負け筋まで考慮しないといけない。
 極端な話、相打ちには確実に持ち込める。やる事はさっきと一緒で、彼の最大威力の攻撃を受けてから反撃してやればいい。だが、リアにしても『赤ずきん』にしても、これからも面倒を見る事になるのならこの局面だけは一方的に勝利を勝ち取らなければならない。相打ちなんて甘えだ、完全なる勝利を目指さなければ。
 それに―――シルビアの言葉を信じれば、相打ちという選択は『何もしない』という選択よりも愚かしく、滑稽な判断。間違ってもするべきではない。
「――――――はあ」
 手が痛くなるからと渋る訳にはいかないか。果たして成功するのかは謎だが、やる価値はある。『闇衲』は深く腰を落としてから、その両掌を上に向けて、大きく伸ばした。丁度背後と前方、両方に指先が向いている状態だ。それを見たヒースは「へッ」と笑ってから、全身の力を振り絞って体の揺れを抑制。素人故に敢えて構えず、ゆっくりと近づいてきた。お互いに最後の一撃と分かり切っている今、油断はしてはいけない。その瞬間に全てが決まるから。
 彼我の距離が一歩近づいた瞬間、彼の纏う重圧の強さに気が付いた。洞窟にて戦った時は一切感じなかった奇妙な重圧。その正体はきっと、死の存在を間近で感じる事が出来たからこそ生まれた、恐れ故の覚悟。今までの彼には『何かを失敗すれば死ぬ』という事が無かったからこそ、この瞬間だけは何よりも、誰よりも強く感じている。死を。
 二歩近づく。空間が振動している事に気が付いた。まさかとは思うが、世界が彼の殺気に怯えてしまったのだろうか。殺気自体に空間を歪ませる力が無い事は自分が一番良く分かっている為、そうとしか考えられないのだが。間違っても、気のせいという事はあり得ない。殺気と何年も共に過ごしてきた殺人鬼だからこそ、それだけは断言出来る。
 三歩近づく。視界の裏に映ったのは、こちらの攻撃が失敗して一方的に殺されている未来だった。自分自身にそんな能力は無い為、これは彼の殺気が垣間見せた幻覚だと思っていいだろう。しかし、
恐ろしいものだ。幻覚の中では『闇衲』の身体がバラバラに吹き飛んでいる。一体どんな攻撃を繰り出せば人体をここまで簡単に破壊出来るのだろうか。
 四歩近づく。思考する暇があるなら相手を見るべきだ。
 五歩近づく。
 六歩近づく。
 七歩。
 八歩。
 九―――






                今だ。






「はああああああああああああああ!」
 ヒースが攻撃を繰り出すよりも早く、『闇衲』が踏み込んだ。ここまで距離が近づけば蹴りは無い。あちらの攻撃は必然的に―――拳となる!
 『闇衲』の拳がヒースの心臓へとぶち当たった。一度やり始めたら後はもう体が動いてくれる。足を蹴って体勢を崩し、軸足を作って回転を掛けつつ裏打ちを放って、それから両耳を叩いてから、胴体に数発撃ち込んで。




「……天葬撃」




喉から頭部に抜けるように貫手を放つ。後は直接脳を握り潰せば、それで終了だ。

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