ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

赤き荊

 このまま奴らが現れなければどんなにか良かったと思うが、この町で彼等と遭遇し、そして殺しきる事が出来なかった以上、こうなる事は最早定めだった。この町の住人の数はそう多くないが、それでも彼ら二人を殺した上で全員を殺す事は不可能だ。成り行きで始めた以上、殺しきらなければ確実にバレる。いや、一夜の間に起きた謎の殺人に精神を削られてまともな思考すら出来なくなるかもしれないが、今回の町殺しに人の流れを使う気はない。リアに殺しを重ねてもらう為に全て自分達の手で殺さなければならない。それが『闇衲』の教育であり、世界への復讐を望んだリアの願い。
 だからこいつらは、邪魔だ。強いとか弱いとか以前に、とても邪魔だ。
「んー何だあお嬢ちゃん、その糸……というより腸は。ひょっとして運命の赤い糸って奴かなあ?」
「……アンタには関係ない」
「おやあ大分嫌われちゃって。でも安心してくれよお、俺は嫌われたくらいで諦めるような男じゃないんだ! いつか君の子宮にキスをするその時まで、俺は君を求め続けるさ」
 格好つけたような身振りと手ぶりと口調だが、言葉の選択が最悪を通り過ぎていて、ちっとも心に響かない。特に『君の子宮にキスを』の下りは、聞いていて眩暈を感じた程だ。リアでなくても嫌悪しかねない内容なのは言うまでもない。
「まあ、俺が求めなくなった所で、君は俺を求め続ける。俺のモノで子宮にキスをされた女性で、俺の事を好きにならなかった女性は居ないんだぜ? 中には婚約を破棄してまで俺の性奴隷を懇願してきた奴も居る。どうしてか分かるか?」
「聞きたくもねえんだよ」
「ああ、そうさ。婚約者のモノじゃ満足できねえんだとさ! ハハハハハハハハハハ! 一度俺と夜を過ごした女は、もう俺との性行為でしか満足できない体になっちまったんだよおッ! ……なあ、お嬢ちゃん。魅力的だとは思わないか。この俺に身体を明け渡すだけで、無限の快楽が手に入るんだぜ?」
 リアの中で疼く殺意が高まっている。目の前の男の一挙手一投足、その発言の欠片さえも許容せず、ひたすらに殺意を煮込み、濃度を高めている。糸越しですら伝わるこの感情。暴発すれば自分でも手に負えなくなりそうだ。
「おい、もうそこまでに―――」
 容赦ない語りを続ける『殱光』と違って、『天運』は比較的常識人なようだ。その違いはリアの嫌悪の方向性が全面的に『殱光』にのみ向いている事からもハッキリしている。
「俺には分かってるんだ、お嬢ちゃんの子宮は下りてきてる。俺の子供を孕みたいって叫んでるんだ。ねえ、魅力的なオスを嫌ってみるのは仕方ないのかもしれない。異端であろうとする在り方、十分に分かる。でもさあ、もう少し体に素直になってみても良いんじゃないの? 結局のところ、良質なメスは、最高の雄の所に集まってくるんだから」
「……しねえんだよ」
「お?」
 リアは少女とは思えない程醜悪に顔を歪めながら、憎悪を込めてハッキリと言い切った。
「今の俺は、血腥くて、鉄臭くて、男臭いパパの服を着てんだよ! てめえの臭いなんか目じゃないくらいとびっきりの臭いが付いてる奴着てんだ! 大体、その理論で行くんだったら俺は異端で在り続けようじゃねえか。魅力的じゃなかったとしても、俺の事を雌としか見ねえような雄よりかは……パパの方が好きだ」
 思いの限りを込めて紡がれた、リアの本音。普段も中々素直だが、今回に限っては素直というより、考えた事がそのまま口を出たような言葉だった。それは素直じゃないのかって? 全然違う。思考という過程を省略した言葉は愚言と呼ぶのだ。このまま喋らせると何を言うやらわかったもんじゃないので、適当に止めておこう。
「―――そう言ってくれるのは有難いが、一人称を俺に合わせるな気持ち悪い。後、そこまで臭うんだったらやっぱり返してくれて構わないんだが」
 服に手を伸ばすと、案の定リアは飛び退いた。
「ダメーッ! ほら、こういうのって『パパ色に染まる』って言うんでしょ? これはパパを殺す事と同じくらい、娘として、当然の事なのー!」
「パパ色とやらは恐らく殆どの人間が持ち合わせている鮮血色だし、正確には『彼色に染まる』だ。それも恋人を作る気が無いお前には無縁な言葉、全てにおいて違っている」
「だってだって、パパ以外の男の人はああいうの多いし。それに……もし、そんな人が出来ても、その人は絶対殺させてくれないし」
 先程まで殺意を高めていた彼女の言えた事ではない。まさか『殱光』をああいうの呼ばわりするなんて、身の程知らずも良い所。美人に対して異常な寛容さを誇る『殱光』だから何も無かったが、普通は斬首が相当だ。
「腕も落とさせてくれない、足も落とさせてくれない、目もくりぬかせてくれない。それって私の事を好きじゃないって事でしょ? だって、本当に好きだったら目の一つや二つ、腕の一本二本、足の一本二本くらいあげられるもん。ね、パパはどう思う?」
「好きな人が居ないので分からない。只まあ……殺される覚悟くらいはするさ。恋人っていうのは互いが互いの命に刃物を向けている状態の事。お互いに自分の事を殺してくれてもいいよと、そう約束して初めて恋人になれる。恋人同士がいつも傍に居るのは、お互いに直ぐ殺し合えるようにという意味だからな」
「へー、知らなかったッ! でも私、パパにだったら殺されてもいいけど、恋人じゃなくて親子だよね?」
「ああ。俺も教えたい事はあるが、お前に殺されるのだったらそれに過ぎたる幸福は無い。しかしそうだな。恋人と親子の違いについて語るには後二時間程必要だから……まずはシュタイン・クロイツを何とかしようか」
 どうにか話を軌道修正できた。この話をしている間に襲ってくれても良かったのに襲わないとは、まがりなりにも騎士団という訳か。性格も高潔であれば、文句のつけようも無かったのにもったいない。
「いやあ、見せつけてくれるねえ、親子愛。まあ? 聞いてみると良いさ。じっくり耳を澄まして、ほら聞こえる。俺とお嬢ちゃんの子供が言ってる。『パパ、ママ、早くお外出たいなー』、『パパやママのお顔、見てみたいなー』とか―――」




「裏声で気持ち悪い一人劇場してんじゃねえよ、この腐れ勃起野郎!」




 この場に居る誰もが思っていた事―――『天運』も例外ではない―――を、何処かで聞いた事があるような、しかしこんな口調では無かったような声が強烈な飛び蹴りと共に代弁して、ヒースを吹き飛ばす。ぶち抜いた家屋は幸運にも先程殺したばかりの家である。あまりに強烈な飛び蹴りは砂埃を舞い上げてその者の正体を隠すが、それでも敢えて今言わせて頂こう。
 有難う。
「ヒースッ!」
 誰が動いた訳でも無い、そもそも戦闘も始まっていない状況で、第三位が吹き飛ばされた。会い方である『天運』が驚くのは当たり前だが、やはりというべきかその表情には驚愕のみで、彼の身を案じるような表情は欠片も見えなかった。その期待に応えるように、程なくして砂埃の中からヒースが飛び出してきた。この場の誰にも予想出来なかった不意打ちは大分応えたようで、口元からは一筋の血が流れている。
「いやあ強烈な飛び蹴りだなあ。ゴホッ、グフッ! ……敢えて問おうか、誰だ」
「私は『赤ずきん』だ」
 砂埃が消え去って、姿を現したのは『赤ずきん』だった。『殱光』がリアに執着しているので忘れがちだが、そもそも彼らがここに来た目的は、彼女の確保である。その彼女が謎の口調と共に盛大な飛び蹴りをかますなんて、さしものシュタイン・クロイツも目を白黒させている。 
「……主の娘?」
「娘ちゃん…………?」
 そんな二人を横目に、赤ずきんは無防備にこちらへと視線を向けた。
「狼さん、御機嫌よう。私、貴方のせいで悪い子になっちゃいました。責任は取って下さいますよね?」
「―――まず、落ち着こうか。その口調は何だ」
「……元々良い子だった私には、悪い子のイメージが浮かばなかったの。でも心の底から悪い子になるには、まずそのイメージを作らなくちゃいけない。誰かが望む姿じゃなくて、私が望む姿にならなくちゃいけない。だから私の周りに居る女性三人の言動パターンを記憶して、敢えて混ぜてみたの♪」
 何という無茶苦茶。確かにこの場所に彼女が現れる事なんて尤もやっちゃいけない事だし、あのミコトをすり抜けてまで来た事から、本当に悪い子になったのだろうという事は分かるが。如何せん登場の仕方が派手過ぎた。これでは悪い子と言うより、ヤバい子だ。
「私、もう誰の命令も聞く気はないけれど、狼さん。一緒に戦ってくれませんか? 私は御父上に見せてあげたいんです、私が成長したって所を、直接。いや、狼さんは私と一緒に戦わなきゃいけない。だって良い子の赤ずきんを悪い子にしてしまったんだもの、責任は取ってもらわなくちゃ、ね。いいでしょ狼さん。その代わり、私が『天運』の相手をしますから」


「は?」
「へ?」
「ん?」
「え?」


 これは不味い。悪い子と言うより、ヤバい子と言うより、阿呆の子だ。
「お前、『天運』が一対一で勝てるような人物だと―――」
「人である以上、負けは存在します。如何に類まれなる運を持ち合わせていようと運は運。確定では無い。ニ十分で葬って見せましょう」
「……言ったな? もし出来なかったらどうするよ」
 『赤ずきん』はニッコリと笑って、元気な声で言った。
「貴方に処女をあげます」
「いらんわ」
「嘘です。これから一生リアの手助けをします。でももし葬る事が出来たら、狼さん。リアなんか捨てて、私だけの狼さんになってください。他の為には何もしない人になってください」
 昔と言う程昔の話では無いが、リアも瀕死の自分を治療したお礼として『父親になってほしい』と言っていたが、今度のお願いはそんなちゃちなモノとは比べ物にならない程にデカいお願いだった。普通は断るだろう。捨てて、とは言っているが、現在のリアは『娘』だ。父親としては断るべき賭け。
 しかし、メリットは捨てがたい。こんな少女がリアの友人としてこれからも手助けをしてくれるのであれば、精神面はシルビア、肉体面は『赤ずきん』となって隙が無い。この状態が完成すればリアの成長はより一層目を瞠るモノになるだろうから……乗らない訳が無い。
「因みに、何故そんなお願いを。俺は有能ではないぞ」
「今まで良い子として尽くしてきたんですから、誰かに尽くされたいと思うのは当然の事です。それに私は悪い子ですから、独占欲が強いんです。狼さんは私を引き取ってくれた唯一信用していい存在。権力も無く、地位も無く、だが生き抜く力だけはある。そんな人、もう会えないと思っているので……誰の手にも渡したくないのは、当然じゃないですか!」
 ミコトという女性が如何にマシな存在だったかを今思い知る。そして『赤ずきん』は悪い子にしない方が面倒じゃ無かった。もしも時間を遡る事が出来るなら、取り敢えず彼女を引き取ったばかりの自分を殺したい。
 鼻まで釣り上がった口元を見ているとそう思う。こいつ、本当に人間か?
「あーそういう……良し。乗った」
「乗っちゃうんだ! パパったら随分と決断が早いわね!」
 もしかしたら捨てられるかもしれないリアは、当然猛抗議だ。賭けに乗るか否かの選択は自分にあるので、何の意味も無い。
「乗るだろ、そりゃ。『天運』だって目の前の相手が目的のモノなんだから、意地でも持って帰りたいはずだ。おまけに舞台は一対一、アイツの尤も得意とする形式。ニ十分でやられる訳がないから、つまりこれは無償でお前の友人を手に入れるチャンスだ。後は俺達が力を合わせて『殱光』に立ち向かうだけだ。分かったか?」
「分かって……無いけど、まあいいわ。パパがそう言うんなら、信じる」
 赤い糸を断ち切ってから、『闇衲』はナイフを逆手に持ち替える。今回に限っては彼等は待っていたという事ではなく、単純に『赤ずきん』の飛び蹴りの威力が高すぎて、『殱光』が回復するのにそれだけ時間が掛かったという事だろう。『天運』も多対一では勝てない事を知っているから動かなかった訳だ。
「そろそろ痛みは消えたか?」
「ああ、お陰様で、ようやくな。にしても娘ちゃんも無謀だねえ。ルーサーと一対一で戦うなんて、愚かしいなあ」
「俺もそう思うが、人の事を気にしていていいのか? 今回の相手は俺だけじゃなくて―――」
 一歩踏み出してから、上空にナイフを放り投げる。弧を描きながらナイフは暫し上昇の後、重力方向に落下。
「―――俺の娘も一緒だぞ」
 ナイフが地面に突き刺さった瞬間、『闇衲』の掌底が顎を撃ち抜いた。















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