ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

狂犬治療

「もーパパったら酷い! あんなの避けっこないわよ、鼻血出ちゃったじゃない!」
 ミコトに鼻血を拭いてもらいながら、情けなく激昂する少女が一人。正体不明の殺人鬼である『闇衲』の娘こと、リアである。まだまだ鍛えられている最中とはいえ、あの不意打ちは卑怯にも程がある。
「……アイツ、アンタには結構甘いと思ったんだけどね。どうやら外には出したくなかったみたい」
「何それ! だったら言ってくれればよかったのに」
「言っても止まらないと思ってたから蹴ったんでしょ。アンタの事良く分かってそうじゃない」
 そんなミコトの窘めも、今のリアには通じない。本気の『闇衲』の蹴りが垣間見えて、自分の実力不足を痛感しているのだ。いや、そもそもリアは自身を過剰評価していたのかもしれない。普通の蹴りならば避けられる。つまり、自分は成長しているのだと思い込んでいたのかもしれない。
 しかし『闇衲』の本気とは真っ向からの勝負ではなく、地形や武器、経験則と言葉を用いた総合的戦術にある。先程の蹴りにしても、扉を蹴る事で扉自体に蹴りの勢いを乗せて死角を失くし、確実にリアを吹き飛ばしている。
 気づくべきだったのだ。何の小細工も無しに戦ってくれるという事自体が、『闇衲』の精一杯の手加減だった事に。
「全く……それもこれも、パパの教え方が下手くそなせいよ」
「八つ当たりはやめた方がいいと思うけど。それに殺しって、何よりも実践する事が一番の教育になるのよ。アンタ達を見る限り、どうやら最近はまともにそれが出来てないみたいね。だからアンタが成長出来ない原因は、アイツの教え方が下手というより、今に関してはシュタイン・クロイツのせいだと言い切っていい。恨むならアンタをレイプしかけた男共を恨みなさい」
 諭すように言っているが、ミコトの語調は一切の起伏を見せない。『闇衲』を全面的に肯定するような発言からは彼女の尋常ならざる好意を感じるが、それでも一切の感情が読めない。だからこそリアは、彼女をお姉ちゃんと呼ぶ事にしたのだが。
 男性を肯定的に見ているような女性も、レイプされかけた今では嫌悪の対象なのである。例外は現在の所、『闇衲』のみ。
「殺人鬼さん、戻ってきませんね。一体どうしたんでしょうか」
 シルビアが思わず漏らした不安は、リアのレイプ未遂から来る無意識の恐怖だろうか。彼女自身は当事者では無いが、『闇衲』が助けてくれたという事実は、リアにしてもシルビアにしても非常に心の拠り所となっており、それが今の余裕を生んでいる。尤も、それは『闇衲』ありきの余裕であり、無くなってしまえば一般人に過ぎないシルビアの心内は、膨大な寂寥感に満たされる事になる。
 その不安が伝播したのか、リアも同意するように頷いた。
「確かに。ガルカって単純な構造だから、直ぐ戻ってくるとは思ったんだけど」
「リアもそう思うッ? これって、扉から顔を出して様子を見るのも駄目なのかな?」
 彼女が扉ごと蹴られた瞬間は、シルビアもばっちり目撃している。あんな目には誰も遭いたくない為、やろうとは思っても躊躇するのが現実である。
「え……うーん。お姉ちゃんはどう思う?」 
「―――しない方が良い、というか絶対にダメよ。『闇衲』があそこまで真剣に『出るな!』って言ったって事は、外じゃ本当に不味い事が起きてたって事。買い取った訳でも無いから私が分かる由も無いけど、多分アンタやシルビアが出ちゃったら、命の危険があったんでしょうね」
 他人の言う事なんて滅多に信じないが、『闇衲』の古い友人であるミコトが言うからには、きっとそうだったのだろう。確かに、いつもの彼であれば『来るな……と言いたいが、まあいいか』等と言葉のみの警告をして、自分の行動を赦してきたような気がする。それが今回は有無を言わさず行動を封じてきたとなれば……




「帰ったぞ」




 立て付けの悪い扉が蹴破られると同時に、外から『闇衲』が血塗れの状態でこちらに首を向けてきた。明らかに血液が付着しないような場所にも血がこびりついている事から、リアないしはシルビアを驚かせる為に敢えて血塗れになったのだと思われる。
「さ、殺人鬼さん。血塗れ……どうしたんですかッ?」
 彼の作戦は見事に成功。シルビアは『闇衲』の足元に駆け寄って、何とかその血を拭おうと―――丁度良いモノが無かったので、自らの袖を擦り付ける。彼女の袖程度では到底許容出来ない血の量なのに、どうしてそれで拭えると思ったのか。
 少女の滑稽な姿を見ながら、冷淡な口調でリアは尋ねる。
 彼の肩に担がれた少年を見ながら。
「パパ…………何それ」
 拠点内部が一気に冷えたような感じがした。男性に対する絶対的嫌悪感、そして恐怖感。何よりも信頼していた筈の『闇衲』がそれを持ち込んできて、リアの内情はぐちゃぐちゃである。表情を決めかねている少女は、程なくして渋面に落ち着いた。
「何それとか言われても、見たままだ。狂犬だよ」
「―――は?」
「娘のリア、父親の俺、姉のミコト。道具その一シルビア、道具その二『赤ずきん』。考えてみろ、まるで家族だ。一家団欒とでも言おうか、ハハハ。ここまで血の臭いが似合う家族も居ないだろうけどな。で、まあそんな俺達だが……下僕ペットが足りない。こいつはその立ち位置に居る奴だ」
「ま―――待って!」
 全く気持ちの籠もっていない笑い声と、理解させる気の無い早口。リアは一度負の感情を押しとどめて、改めて『闇衲』に尋ねる。
「―――どういう事?」
「外を見れば語る必要は無さそうだが、勘違いされたら困るから言わせてもらおう。俺はお前に『修行はする』と言ったが……あれは嘘、というよりそんな暇が作れるかどうかは正直怪しい。外に出られなくなるのはきついしな。それに、そもそもあの発言は矛盾していた、済まない。奴等を誘い込む適当な場所を探しつつ、外に出られなくなったお前の修行をするなんて無理だ。そこで出てくるのが、この少年」
「……ああ。もしかして外で発狂してた声って、その子?」
「それは被害者だ。話を続けるぞ。この少年、理由は分からないが、どうやら超が付くほど女性が嫌いらしい。さっきも『女は死ねえええええええええ!』なんて言いながら刃物振り回してたし間違いない。で、俺が考えたのが―――こいつを引き取って、取り敢えず拠点の中に放り込んでおけば勝手にリアの相手をしてくれるんじゃないかと」
 明らかに発想がおかしい事には、シルビアさえも気づいていた。
「待ってください! 女性って……私やミコトさんもそれに含まれますよね。それはどうするんですか?」
「その時は俺が鞭を入れる。具体的にはお前を狙った場合は俺がこの少年を瀕死にする。そして直す。ミコトを狙った場合は俺が手を出さなくても勝手に瀕死になる。そして直す。幸運にもミコトは治療も出来るからな、幾ら瀕死にしても問題ないと思っての計画だ。それを繰り返していけばこの狂犬もおのずと学習してリアしか狙わなくなるだろう。だから安心してくれ、リア以外は寝込みも襲われないだろう」
「ちょっと! 私は、私にはもう安眠すらも許されないのッ?」
「安眠をしたけりゃ強くなって、この少年を一蹴出来る程の強さを手に入れる事だ。あ、そろそろ本当に死にそうだから治療頼む」
 そう言って少年を肩から直に落とす様からは、優しさの欠片も感じなかった。 







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