ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

鬼魔共同戦線

 リアの意識が目覚めれば謝る事も考えたが、結局彼女は夜になっても目を覚まそうとしなかったので、謝罪は翌朝の事になるだろう。『闇衲』は毛布も持たずに外に出て、家の壁を背にその場に座り込んだ。リアには見られたくないという理由から『暗誘』は退散。使えない筈の二階を買い取って無理やり住み込んだミコトを思考から外せば、『闇衲』は現在、一人だ。赤ずきんは当然の事ながらシルビアはリアに付き添っている。恐らくこれ以降こんな時間は二度と過ごせない事から、此度はたっぷりとこの時間を愉しもう。
 真昼間にあんな事があったからか、いつもと変わらない筈の夜がとても静かに感じる。本当は何の柵も無ければ良かったのだが、リアに助けてもらった手前、それは贅沢というモノ。彼女の復讐が終わるまではきっと叶えられないし、彼女の復讐が終わればそもそも世界が静かになるので『静か』な事が普通になる。そうなってしまえば自分はきっと『喧噪』を求めるので……ああ、全く最悪だ。
 そもそも自分はどうして殺人鬼になってしまったのか。原因も分かっているし、悪いのは自分だが、こんな綺麗な夜空を見ているとどうしてもそんな事を考えてしまう。もしかしたらもっと別な道があったんじゃないか。もっと平和的に解決出来たんじゃないか。いつもはどうでもいい事も、まるで重大な決断だったかのように思い出される。
「……俺は外に出ろとは命令していないんだが」
「……」
 音もなく扉が開いて、ミコトかとも思ったが、彼女は二階に住んでいる。わざわざ壊れた階段を使って一階に降りなくとも、彼女であれば二階から窓を破って飛び出してくる。気配が存在しないのでおかしいとは思ったが、その正体は良い子の『赤ずきん』だった。
「リアは目覚めたのか?」
「……どうして」
「あ?」
「どうしてワタシに命令をしなかったのデスカ。ワタシを使えば、もっと安全に、迅速に事は収まりマシタ」
 良い子は良い子故に良い子である。そこには可愛さも言葉遣いも必要ではない。ただ、命令された時に、命令された事をこなせばいいだけ。『良い子』とはつまりそういう事で、だからこそ赤ずきんの口調は、何の人間味も感じなかった。発音も、そこに込められた感情も、只言葉として成立すれば良いとでも言っているようである。
 『闇衲』は空を見上げながら、ぼんやりと答える。
「俺は子供に何か出来るとは思っていない。お前が幾ら良い子だと言っても、戦わせても良いとは思えなかった」
「それは嘘デス。貴方は私の性質をよく理解していルハズ。そしてそれを活用スレバ、シュタイン・クロイツの誰であれ葬る事が出来た事を知っていタハズ。だけど貴方はそうシナカッタ」
 まるで自分の心の中のように、『赤ずきん』は滔々とこちらの心の中を読んでくる。良い子は合理性のない理由には屈しないという事か。しかし困ったのは、彼女の言っている事は全て真実で、『赤ずきん』を使えば自分が死にかけるような事は有り得なかったという事。
 『良い子』が合理的で論理的な理由しか求めていないのであれば、こちらにはそれを提供できない。提供できるのは全て、合理性も論理性も道徳性も無い理由ばかりである。
「……まあ、お前の言う通りだよ。確かにお前を使えば、全ては上手くいった。リアがレイプされかけるような事も無かった。ミコトに気付かれる事も無かった。アイツ等を逃す事も無かった―――で、だからどうしたんだ」
 ならばこちらは開き直るしかない。そもそも殺人鬼たる自分が正論に動く等あってはならないのだ。
「俺は『良い子』を使うつもりは全くない。俺が求めているのはとびっきりの『悪い子』であって、お前のような自分の実力もしっかりと評価出来ていて、出来る事と出来ない事を把握出来ていて、更に命令された事しかやらない忠実な奴は要らないんだよ。俺が欲しいのはお前みたいな奴とは真逆の、もっと自由な奴だ。己の実力も分からず馬鹿な事やらかして、出来る事も出来ない事も取り敢えずやろうとして、命令されても従わない又は忘れるような……俺はそういう奴を求めている。もっとはっきり言えば、お前なんぞお呼びじゃない」
「……ではどうしてワタシを」
「義理だ。アルファスの馬車を見せる為だけにアイツの逃亡を阻害したからな。せめて何かしら一つ買ってやらなくちゃいけないと思っただけの事。決してお前が欲しかったからという訳じゃない……でも、もう俺はお前を買った。ならば精々、道具として使ってやるだけの事だ」
 『闇衲』はそこで一旦言葉を切って、少女の発言を先回りするように続ける。
「おっと、お前は悪い子にはなれない。今のお前に悪い子になれと言っても、それは『良い子』が『悪い子』を演じているだけに過ぎない。結局それも俺の命令だし、それが無くなればお前は悪い子をやめる。それじゃ駄目だ。お前は心の底から悪い子にならなくちゃいけない。だから俺は使わない。お前に『良い子』のままじゃここに居ても価値なんて無い事を分からせる為にな」
 ならば殺せ、とは言わない。自分の価値を見失ったとしても、彼女は死を選ばない。命じられていないから。それは言葉の上ではとても簡単だが、実際にそんな事になれば、その状態を保つ事がどれだけ難しいかが良く分かる。
 必要とされない上に、価値が無い。『良い子』を演じてきた彼女は、裏返せば己の価値を何よりも欲してきたという事。そういう人物がそんな状態に陥れば、当然パニックに陥って、大概は死を選ぶ。だが良い子を極めた彼女は、それすらも選べない。
「戻れとは言わんよ。命令はしたくないからな。只、お前が命令を聞いてさえいれば価値を持てるなんていう甘えた考えを捨てない限り、俺はお前に何も期待しないし望まないから、それだけは……まあ覚えておいてほしいが、忘れても結構だ」
 目を瞑って、それ以上の会話を無理やりぶった切ると、程なくして少女の存在は家の中へと戻っていった。








「……で、何でお前に入れ替わるのか、理由を聞いても良いかな、リア」








 『赤ずきん』に突然気配が生まれたと思ったが、この明らかに隠す気のない大きな気配は、リアしか居ない。
 気配云々の話で勘付いているモノも居るだろうが、『闇衲』はまるで気配の方を見ていない。外に出てから一貫して、ずっと空ばかり見上げている。もしもこれで外していたのであれば、相当恥ずかしい。
「……パパ、何で外で寝てるの?」
「流石にもう一度お前を連れ去られたら取り戻す自信がない。ならば未然に防いだ方が良いだろうと、こうして自ら警備に回ってやった訳だ。カッコいいだろ」
「全然」
「そうか、それはそうとして良い子は寝る時間だ。寝ろ」
 リアが外に出てしまったら自分がこんな所に居る意味が無くなってしまう。これ以上『  』を買い戻すのは勘弁願いたいので、彼女には可及的速やかに家の中に戻って頂きたいモノである……何て、良い子でもないリアが聞く筈もない。数十分経っても、その気配が家の中に戻る事は無かった。
 『闇衲』は諦めたように視線を少女へと落として、伏し目で見つめる。何故か反対側の壁に凭れて座り込んでいた。
「寝ろよマジで。殺すぞ」
「……ねえ、パパ。ありがとね、助けてくれて」
「何だ、急に。親として娘を助けるのは当然だろうが。むしろ助けない親とか居るのか。常識的に考えて有り得ないと思うけどな」
 殺人鬼が常識を語るのはもっと有り得ない事である。
「本当は強がりたかったけど、でももう無理。私、凄く怖かった。パパに助けられて、ようやく解放されたと思ってたのに、気づかない内に、男の人の精液の臭いがトラウマになっちゃった。パパには全く無いからかな。それとも、もうあんな事にはならないと思ってたからかな。本当に……本当に怖かった」
「―――ごめんな、リア。怖い思いをさせてしまって。今度も何も、今の俺には何も言う権利は無い。言うは易し、行うは難し。謝る事しか出来ないな」
 ふと、リアがこちらに顔を寄せてきた。殺意も無かったので、接近を許してしまうが―――刹那。『闇衲』の頬に柔らかい唇が当たった。
「でもパパ、助けてくれたじゃない。それだけで私は……嬉しかった!」
 キスである。夜の帳が下りて、町が静まり返る中、そんな事を言って微笑むリアの姿は、とても眩しかった。そんな事はあり得ないのに、今の彼女には、まるで穢れなど存在しなかった。
「本当に、ありがとう! 今だったら心から言える。パパ、愛してるわッ!」
「―――――――――そうか。全く嬉しくないが、一応受け取っておこうか」
「パパったら素直じゃないのねッ。それともパパを愛してるって証明が必要になっちゃう? 体を捧げちゃう?」
「ぶっ殺す」
「冗談! じゃ、お休みなさいパパ! 私も明日から頑張るから、今度こそあのクソ野郎をぶっ殺しましょうッ!」
 リアは最後にもう一度キスをして、家の中へと戻っていった。何も嬉しくないなどと強がってはみたが、彼女の表情を見るに、どうやら何も隠せていなかったようだ。
「ヒヒ……ヒヒヒヒヒヒ」
 何を思っていたかは分からない。それでも、この歪でよく歪んだわからない歪なおかしな感情は、悪いモノではない。








 

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