ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

人間馬車 後編

 両手両足を荒縄で縛って、最後に猿轡を嵌めれば、とても攫いやすい幼女の完成である。おまけにその少女がとても美人と来れば、一般的な男性であれば連れ帰ってしまってもおかしくないだろう。
「んーッ! んッ、ん………んッ!」
 特に深い説明もされず、何が起こるのかも説明されない。それなのに全身を縛られてしまえば、きっと誰だってまずは拘束を外そうともがく筈だ。尤も、殺人鬼たる『闇衲』がそんな間抜けな抜け道を用意する筈がなく、縄はきっちりがっしり締められている。少女の力であれを解くのは不可能に等しいだろう。
「リア。座り心地はどうだ」
「悪くないわね。もしかして準備ってこの事だったの?」
「ああ。こうした方が人間馬車を良く見られると思ってな」
 『闇衲』がした準備はそう大したことではない。只無断で他人の家の屋根を改造して、二人程が座れるような場所を作っただけだ。最低限の隠蔽工作として、下から見上げた程度では分からない様になっている。
「時刻は深夜。屋根の上から町を見渡してみても、人っ子一人見えやしない。人間馬車を呼ぶには最適な状態と言えるだろう」
「ねえ、そろそろ教えてくれてもいいでしょ。人間馬車って何なのよ」
 何とかして抜けようとするシルビアを見ながら、『闇衲』は声の調子を変える事無く言う。
「言葉通りだ。人間馬車は人間を加工して作った荷台の事。俺の言う人間馬車ってのはそれを引く商人の事だ。昼は普通の商人として売り物を売っているが、夜は売り物を供給する為に大陸を渡り歩く。お前達はこの町の者に『人間馬車』について尋ねていたみたいだが、人間馬車が有名なのはこことは違う別の大陸。『闇衲』について存在を知っている者は居ても、人間馬車について知っている人間は居ないだろ」
 まあその『闇衲』も、トストリス大帝国が滅んだ今は、忘れられつつあるなと嗤う『闇衲』。あり得ないと思っていたから考えからすっかり外していたが、人間馬車とはそういう事だったのか。人間を加工して作った馬車。果たしてどのような様相なのだろう。
 しかし今の発言、少し気になった。
「ちょっと待って。夜に売り物を供給する? どういう事?」
 確かに店を構えていない行商人は、いずれ品物が尽きるという逃れられぬ定めを背負っている。とはいえ、夜に売り物を供給というのは、何だか違う気がする。行商人に対しての知識が薄いので確実な事は言えないが、人間を加工して作った荷台を引いているくらいだ。それ以外は普通だなんてあり得ない。そうだとするならば、夜に供給というのも、他の人に見られたくないからという理由付けが出来る。
 リアが顔を寄せて詰め寄ると、『闇衲』は彼女の額を押して元の位置に戻す。
「売り物も人間を加工して作っているモノだからな。白昼堂々人を攫って加工して、それを誰かに売りつけるなんてしてみろ。狂気というより阿呆以外の何物でもない。夜に売り物を供給するのは当たり前だろうよ」
 やはりそういう事だったか。纏めると、『人間馬車』は身の回りの物を全て人間で統一している商人だ。普通の商人としてモノを売りつけているという事は、買ったモノ達はそれが人間であるという事を知らないのだろう。或いは人間の素材で作られた皿に料理を盛って、食べている者も居るかもしれない。そこまで聞いて、ようやく納得がいった。シルビアは人間馬車を引き寄せる為の餌にされているのだ。
「そろそろ察したようだな。さあ、俺の耳に間違いが無ければそろそろ人間馬車がここを通りがかるだろう。シルビアにはもっと死に物狂いで暴れてもらいたいものだな。釣りと同じで、餌は動かした方が掛かりやすいからな」
「パパって時々やる事が突飛よね……思ったんだけど、それって怒られない? だってパパ、私達に見せる為に呼ぶんでしょ?」
「そこは心配ないさ。いざという時は商人の領域に足を踏み入れるだけだ―――と、来たな」












 深夜にも拘らず、馬の蹄鉄音が耳に響く。どうにか体の向きを変えて音の方を向くと、それは凄まじい勢いでこちら側へと駆けてきていた。
 荷台のあらゆる所から歪に突き出た眼球と、不規則に開いたり閉じたりする数十以上もの『口』。馬の脚に付けられた装具はやけに人間の足に酷似していて、その手綱は酷似というより、まんま人間の両腕だった。細さから考えると、女性だろうか。
 その現実離れした異形に魅せられて、シルビアの動きは暫くの間死んだように止まっていた。その事に本人が気づいたのは、彼我の距離が十五メートルを切ってからだった。
「ん……んッ! んーッ!」
 馬車の軌道上には自分が居る。このまま抵抗を諦めれば轢かれる事は間違いないだろう。だが、リアの姿も、『闇衲』の姿も見えない。この拘束を解くにはどうしたらいいのか、危機感と焦燥感に押し潰されて、良い案が思い浮かばない。トストリス大陸の時に見えたもう一人の自分も見えない。あれはどういうモノかは考えている内に何となく察したが、もしもそれが正しいのであれば、今の自分には……この状況を抜ける方法は、無いというのか。
 馬車との距離が数メートルまで縮まった。手綱を引く人物は体を傾けて、シルビアを拾い上げんと手を伸ばしている。馬に轢かれる最悪の未来は免れたようだが、それでも連れ攫われるのはゴメンだ。自分は絶対に抵抗を諦めない。リアと『闇衲』が助けに来てくれると信じて―――




「贖異。移動」


―――蹄鉄音が、止まった。手綱を引いている人物は、不思議そうな顔で、馬を叩いていた。
「お前の動く権利は俺が買い取った。暫くは動けないから、悪戯に体力を減らす行為はお勧めしない……久しぶりだな、アルファス」
 シルビアの目の前に立つ『闇衲』は、傍らに少女を連れてフードを被った男―――アルファスへと語り掛けた。アルファスは忠告も聞かず、再度馬を叩いたが、やがて諦めたように人間馬車から飛び降りた。
「……久しぶりですねえ、『闇衲』さん。それをされたのは二度目だから、やつがれとしては、複雑な気分ですよお」
「その名前を使ってくれるなんてな。気遣い感謝するぞ」
 アルファスがフードを取る。月明かりに晒された顔は、顔の半分以上が正体不明の植物によって浸食されており、首や手には不自然に膨張した根っこのようなモノが伸びている。
 『闇衲』が手を差し出すと、それに応じるようにアルファスは握手をした。あまり仲が良さそうにも見えないが(そもそも『闇衲』が誰かと仲良くしている光景が想像できないが)、知り合いだったらしい。
「二度目? ……まあいい。それより、俺には大分急いでいるように見えたが、何かやらかしたのか」
 『闇衲』からすれば何気ない質問のつもりだったのだろうが、アルファスまでそう思っているとは限らない。ブチブチと何かが切れるような音と共に、彼が声を荒げた。
「それがねえ、聞いてくださいよお。やつがれはいつものように商品を売っていたんですが、その素材が何であるかがばれちまってねえ」
「口角を持ち上げてる根っこが切れたぞ。直せ」
「話を聞いてくれってえ! 今まではよお、お得意様だったんだがよう、使った人間が悪かった。僕のお得意様はとある貴族なんだが、そいつに現国王のご子息を使った商品を売り付けちまってよお。結果的に僕はお得意様も失って、国からも狙われる事になってしまった訳だよ」
「ほう。その割にはこっちに寄り道をするんだな」
「そりゃあ美しい女の子の声が聞こえたんだから仕方ないんですねえ。何せウチ、高品質のモノを提供するのが流儀だから!」
 アルファスは露骨に声の調子を上げて、自らの上機嫌をこの場に示す。それは結構だが、子供教会にしても、『闇衲』にしても、リアにしても、アルファスにしても、シルビアを人間扱いしてくれるような存在は見た事が無い。ここまで徹底して人間扱いされないと、もういっそ悲しいを通り越して空しくなってくる。
 そんな上機嫌な彼を一刀両断したのは、はた迷惑以外の何物でもない発言だった。
「ああ、別にこいつをあげるつもりは無いぞ。俺は只、ここに居る俺の娘にお前の荷台を見せたくてな」
 「よっす!」と挨拶をするリアを一瞥してから、アルファスは信じられないとばかりに『闇衲』の胸倉を掴んだ。
「はあ…………はあッ? そりゃないですよお! 『闇衲』さあんッ? せめて何か買ってってくださいよおッ」
「―――別に構わないぞ。俺の用事だけ済ませるのはお前に悪いから、元々そうするつもりだった。ただし、未加工品の奴をくれ。性別はどっちでもいい。金額は金貨千枚でどうだ」
 そう言いつつ、『闇衲』は懐から大層太った頭陀袋を取り出し、人間馬車へと投げ込む。中から何かにぶち当たったような鈍い音がしたが、両者共に気にしない。
「……無理やりだねえ。まあ、そこまで渡してくれるんであれば僕としても不満はありません。取引成立です。『闇衲』さんには特上品を差し上げましょう」
「特上品?」
 人間の顔を何とか再現しようとする植物。そうとしか形容出来ない程、アルファスの笑顔は歪で、気味が悪かった。
「名前は分かりませんが、貴方であれば何が特上なのかは直ぐに理解出来る筈です。商品名は『赤ずきん』。元々加工するつもりも無かった上、高級すぎてあなた以外の買い手は見つからなそうだ。どうぞ、お受け取り下さいなあ。これはもう、貴方のモノだ」


 

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