ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

恋心あれば敵対心

 自慢だが、『闇衲』の娘は美人である。これだけは譲れないし、何度でも自慢してやろう。リアはとても美人である。子供教会も孤児院も無くなった今、彼女に匹敵する美しさを持つ少女は、今の所シルビア一人だけ。その彼女も『イチ番』と呼ばれていた特別な存在。『ゼロ番』ことリアが如何に美しいかは言うまでもない。
 ある種の避けられない宿命だが、そのような美人は様々な人物に好意を持たれる事がある。その好意の内訳は、殆どの場合『性欲』に通ずる邪な感情なのだが……ヒンドの持つ感情は、少しだけ違うようだ。
「ああ、あの偽物とは違いますよ。俺は貴方の娘だと理解した上でこの発言をしています。なので、無理に奪うつもりはありません。そもそも誘拐が主な俺じゃ、殺人が主な貴方には勝てない」
「当然だな。俺は命を懸けてアイツを守る。幾ら相手がお前だろうと、アイツに手を出すのであれば容赦はしないさ」
「ええ、だから手出しはしません。幾ら俺が感情を避けられる体質だったとしても、殺されたらそれまでですからね。でも、だからと言って貴方にここで素直に殺される訳にはいかない。俺はリアに従う騎士のようなものですから」
「本人はそういう存在を持ちたがらないと思うが」
「……自称を付けた方が良かったですかね?」
 芝居がかった動作でニヤリと笑う『暗誘』。その酔狂さに、自然と溜息が出る。一応殺意を向けてはみるが、案の定、彼が視界に入った瞬間に、その感情は何処かへと消え去ってしまった。
 負の感情を操る事に長けた自分でさえ、その感情の何れも『暗誘』には向けられない。彼がその感情を受け入れようとしない限り、いつまでも向ける事は出来ないのだろう。リアにはまだ『特殊体質』の存在を説明していないので、彼女は困惑しているだろうが。妙な気分だ。ヒンドは健全な男性諸君の一角。当然ながらその言葉の節々には劣情を感じるが、それよりも大きな割合を占めているこの感情は―――何だ?
「取引しませんか? 先程は死期を悟ったと言いましたが……どうやら貴方は今回手を出す気が無さそうだ。だから……見逃してほしいんですよ」
 こちらの思考を見透かすような視線が、『闇衲』の殺意と交差する。交差するだけで、こちらの殺意は掠る事も無い。
「死にたくないのか」
 先程から軽い調子で真意を隠すヒンドに、『闇衲』は内心苛立っていた。心さえ読めてしまえば誰であろうとも恐るるに足らないのだが、この男はどうも読みづらい。せめてこの質問でその力量が計れればいいのだが。
 ヒンドは頭を振った。
「死ぬかどうかはともかく、俺は守りたいんですよ。心の壊れたフリをしている少女を、最高の結末ハッピーエンドに導く為にね。今まで誘拐魔として生きてきた訳ですが、俺は感動しています。心の均衡を保とうと壊れたフリまでして必死に生きようとする、誰よりも普通な少女に会えた事を。そして、守りたいと思えた事を」
「……守るとは、具体的には?」
「教えませんよ。まあ安心してください。シルビアもリアも俺みたいな奴が居たら話しづらいでしょうし、貴方達に粘着する気はありません」
 思った以上にこの男は気を配っている。シルビアとリアが気兼ねなく話せるかどうかまで考慮するとは、正直驚いた。一応彼女達は自分が常に付いているし、それが守るモノだと思っているから、彼の『守る』というのがどんな事なのかは分からない。自分が言える事ではないが、正体不明というだけでそれは随分と恐ろしい。だから彼女達の事を考えるならば、こんな頭のおかしい誘拐魔の取引に乗る必要は無いのだが。
「……条件次第だ。お前の要求を飲んだとして、アイツらに何の利益がある。下手な条件よりは、ここでお前を殺しておいた方がリアの教育上貴重な経験になるんだが」
 殺しの手伝いをする、とかその程度では全く割に合わない。もしもそんな浅い発言をしようモノなら即刻断らせてもらおう。ヒンドは『闇衲』の瞳を数秒見つめて、それからこちらに本を投げ渡してきた。
「中身は見ないでください。それはリアに向けたモノです」
 自分が本に手を掛けるよりも前にそう警告されたのでは、手の出しようが無い。
「リアに向けたモノ? 取引相手は俺なんだが」
「利益を被るのはリアです。ですが確約しましょう。リアはきっと喜びますよ」
「……ラブレター?」
「それで喜ぶんだったら、何百通でも」
 絶対に喜ばないだろう。読むだけ読んで、処分を自分に丸投げする未来が容易に見える。自分としても大量に送られるのは勘弁願いたい。
「…………まあ、子供好きのお前が言うのであればそうなんだろう。お前の条件を飲もうじゃないか。ただしリアが喜ばなかった場合は覚悟しろよ」
「有り得ないですよ、そんな事。貴方が貴方で居る限りはね」










 話を終えて帰ってくると、リアが両手を腰に当てて頬を膨らませていた。
「何話してたのッ!」
「ちょっと世間話をな。なあヒンド」
 如何にも仲が良さそうな感じで話を振る『闇衲』に、ヒンドは歪な笑みを浮かべるだけで話を流してから、視線をリアに向けて言った。
「リア。スティンなんて人物は最初から居ないから。分かった?」
 …………数秒。唐突に突き付けられた現実ウソに、少女は目を数回瞬かせた。
「え? い……いやいや、そんな訳無いでしょ」
 当然の様に言い放たれた言葉に、いつもは困惑させる側の彼女が、珍しく困惑していた。居る筈の人間を突然居ないモノにされたら、誰だってこうなるだろう。『ヒンド』にしては頭が悪いというかいい加減というか。
 ではこの時点での最適な解答を答えよと言われれば、生憎と『闇衲』も苦しい誤魔化しをするのだが。
「分かった分かった。……スティンという少年は居ない…………はい。もういいね」
 雑過ぎる。幾らリアが少女とは言っても、これ程までに適当だと食い掛かるのも無理はない。
「いやいやいや! 忘れられる訳が無いじゃないッ。え、ヒンド? どうしたの?」
「どうもしていないよ。只、そっちの方が気楽だと思わない? 逆に聞くけど、リアはスティンが居ない事に、どうやって説明するつもりだったの?」
 痛い所を突かれたようだ。リアは「えっと……」とあちこちに目線を逸らしながら答えを模索しているが、生憎と解答は何処にも書かれていない。やはり何も思いついていなかったようだ。本当に、ヒンドの配慮が無ければどう凌ぐつもりだったのだろうか。
「ほら、何も答えを用意してない。だったらこれ以上は詮索するのをやめて、大人しくいつものように過ごしていてよ。今は昼だからまだまだ時間はかかるけど、今日は……素晴らしい夜になるんじゃないの?」
 今度こそはリアもはっきりと認識した。ヒンドの瞳が金色に塗り潰された瞬間を。










 













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