ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

真意と記憶 ~休息

 シルビアについてはその働きを心配する必要は何処にもない。彼女はリアと違って自己主張の強いタイプでも無いので、言伝程度であれば無難にこなしてくれるだろう。
「…………なあリア。お前の意志がこれからも変わらない事、信じていいのか?」
 答える声は無い。返ってくるのは小さな呼吸と時々発生する寝返りだけである。それでも良い。たとえ彼女の意識が夢の中にあったとしても、彼女には問わなければならなかった。確かにリアと出会った事は偶然以外の何物でもないが、自分にも目的というモノがある。それを達成できるかもしれなかったからリアと契約を結んだ訳で、彼女は知る由も無いが、自分は少々焦っている。果たして本当に達成出来るのかと。
「約束してくれたら、俺はお前に全てを捧げてもいいと思っている。お前の願いを全て叶えてもいいと思っている……まあ、酷な話か。お前に全てを押し付けるのは」
 歩き続けて幾星霜。百代過客とは永遠に歩き続ける旅人の事を言うが、『闇衲』がまさにそれだ。一体どれ程生きていれば自分の目的は達成されるのか。世界を救うとか、滅ぼすとか。そんな大げさなモノでは断じてないのに、一体どれ程の時間と年月と生命を消費しなければならないのか。或いはもう、叶わない願いなのか。
「こんな事は二度というつもりは無いが、俺はお前に期待している。期待しているからこそ、私はお前をあんな誘拐魔に渡す気は無い。手しか貸すつもりは無いが、その手は最大限に貸してやろう。片腕と言わず、両腕まで、存分に使わせてやる」
 無意識にリアの手を取ろうとして……やめる。自分が触れば悪夢を見てしまいかねない。自分は間違いなく悪人だが、外道であるつもりはない。敵であるならいざ知らず、訳も分からず両腕を壊された娘にちょっかいを出す悪質さは持ち合わせていない。
 というのは建前で、やはりちょっかいというモノは反応が面白くないとつまらないし、重傷を負ったせいで心の余裕を失っている彼女にそんな事をしても面白くない。だから今は敢えて何もしない。彼女としても、その方が良いだろう。
「さて……行くか」








 意識は脈絡なく唐突に覚醒した。反射的に飛び上がって周囲を見回すが、誰も居ない。
「……パパ?」
 自分は確か『暗誘』なる人物から助け出してもらって、それで……そう。治療を受けたのだ。自身の両腕の包帯がそれを物語っている。シルビアは『闇衲』の命令を受けてあの集団の方へと向かったので、自分はこの時だけは、間違いなく一人ぼっちであると言える。
―――寂しい。こんな感情、久しぶりだ。
 ふと、取り戻した記憶が視界の先に映し出される。そういえば自分が元居た世界でもこんな事を感じた事があったっけ。リアの本当のパパは仕事が忙しくて、自分に滅多に会ってくれなかった。夜遅くまで帰りを待っても、「疲れているから」とあしらわれて。あの時程寂しさを感じた事は無かったが、まさか今になって思い出すとは。寂しさが匹敵している証拠だろうか。
「パパ…………ママ…………」
 寂しくても、幸せだったのかもしれない。今のクソッタレな日常なんかより全然楽しかったのかもしれない。いや、きっと楽しかったのだ。あの時は人を殺したり傷つけたりする発想何て無かった。パパの行動も、自分達が幸せに暮らしていける為に頑張っていると考えれば納得がいった。
 ……帰りたい。
 両腕を破壊されて満足に動けないから弱気になっているだけ。こんな情けない所を『闇衲』に見られたらきっと揶揄われてしまう。そう考えてどうにか鎮めようとしても、それでも気持ちは治まらない。
「帰りたいよ…………こんな世界になんか、一秒だって居たくないよ」
 震えが止まらない。
「怖いよ」
 涙が止まらない。
「私は……………私は!」


「―――それは他人様に見せられるような顔とは言い難い。落ち着け」


 制御不能の悪循環に陥っていたリアの思考を止めたのは、この世界における父『闇衲』だった。その片手にはスープを乗せており、どうやら自分の為に作ってきてくれたようだ。動揺している姿を見られたからか、リアはゆっくりと俯いて、それきり押し黙る。その光景に笑いを堪えている彼の姿が目に付いたが、どう言い訳した所で今の状況を誤魔化す事は出来ない。
「お前は復讐をするんじゃなかったのか?」
「復讐は……もう戻れないって諦めてるからよ。戻れるならそれに越した事は無いわ。アンタみたいな奴にも会わなくて済むしね」
 吐き捨てるように語調を強めると、自分の傍らに座り込んだ『闇衲』は乾いた笑いを漏らした。
「そうだな。俺みたいな奴と会わなくていいならそれに越した事は無いな……ほら、口を開けろ。両腕使えないだろ」
 大して気にした様子も見せないので、リアは大人しく彼の指示に従う事にした。近づけられたスプーンに噛みつくと、口の中にしっかりと味の付いた汁が広がる。喉の奥に流し込むと、身体全体がジワリと温かくなったような気がした。
 五臓六腑に染み渡るとはこの事を言うのかもしれない。
「美味いか?」
「……ええ。でもこんなにしっかりした料理、何処で作ったの? そんな設備がある場所なんて想像もつかないんだけど」
「ちょっとしたアテがあった。ほら、口開けろ」
 再びスープを口の中に流し込む。
「ねえ、パパ。私って今日一日動けないんだよね」
「……ああ。だから俺がこうして料理を食わせてやってるんだろ。丸一日動けない訳じゃないんならこんな事はしない」
 素直になれない訳では無いだろう。『闇衲』はそういう男だ。まだまだ短い付き合いだが、それだけは良く分かった。
「だったらさ、一つお願いしてもいい?」
 スープを近づける『闇衲』の手が止まった。
「……お願いばかりだな、お前。まあいいか。回復した後に借りは返してもらうからそのつもりでいろよ。で、何だ?」
 『闇衲』が運ぶスープを口にしつつ、リアは言葉を続ける。
「今日一日パパにくっついてていい? 私、一人だとおかしくなっちゃうみたい。戻れもしない昔の世界なんか思い出して……感情が抑えられなくなっちゃうの。だからお願い、今日一日だけでいいから……パパの胸の中で寝かせて?」
 契約関係を結んで以降も何度か挑発してはいるのだが、この男は本当に女性に対する煩悩が存在しないようだ。子供教会の男達であれば何だかんだ性行為へと無理やり発展させそうな所を、スティンであれば顔を真っ赤にして慌ててしまうような所を、この男は動揺するような素振り一つ見せず、少しだけ考えて。
「……好きにしろ」
 ぶっきらぼうにそう言った。しかし、その時の『闇衲』の表情の何と面白い事か。彼の顔には露骨に『クソガキ抱いて寝るとか安眠妨害もいい所だが、お願いを聞くと言ってしまった以上は聞かない訳にはいかないが気が進まない』と書かれており、大概の男性が満更でも無い様な表情を浮かべる所を(頼られて嬉しくない男性は少ないだろう)、この男は本当に嫌そうな顔を浮かべている。
「ありがと。愛してるわよ、パパ」
 心に浮かんだ感謝の言葉をそのまま口にすると、やはり『闇衲』は。
「それ以上その言葉を言ったら永久に飯抜きだ。道端で餓死しろ」
 嫌悪感丸出しの表情を浮かべてそう言うのだった。





コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品