ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

疑似家族と偽りの笑顔

 自分達に向けられる様々な感情。『ゼロ番』と『イチ番』が、かつて子供教会で向けられていた感情とは、少々違っていた。勿論劣情や恋慕、支配や加虐の感情は見られる。しかし……それはもう、仕方のない事と割り切った。大半の男は無意識的に上記の感情を抱いてしまうから、それはもういい。自分が言っているのは、それ以外の感情の事だ。
 言葉では言い表せない温かさ。これは何といえばいいのだろう。醜い感情ばかり見てきたリアには、とてもとても言葉には出来ない。シルビアもきっと、出来ないだろう。こんな感情は見た事が無かった。
 『闇衲』がどんな感情を抱いているかは分からないが、少なくともこんな感じの感情ではない(彼は感情を意図的に隠しているようだ)。やはり初めてだ。
「いたたたたたた……あー今でも痛い。パパったら全然容赦してくれないから困っちゃうわね」
 拳骨だとは思うが、それにしても硬度がおかしい気がする。『闇衲』は素手だった筈だが……まるでセスタスでも装備していたかのような鈍痛だ。意識を失わなかったのは奇跡に等しい。
「大丈夫か? 俺薬草持ってるけど、持ってこようか」
 焚火を囲むように自分達は座った訳だが、その位置には悪意があると言わざるを得ない。少年に左右を挟まれているリアにしろ、少年と男性に左右を挟まれているシルビアにしろ、碌な位置ではない。出来れば少女と少女の間に挟んで欲しかった。腕が何故か痺れてくる。
「ちょっとスティンッ。ちょっと可愛い女の子が来たからって何デレデレしてんのよ!」
「な、別にデレデレはしてねえよ! ただあんまりにも痛そうっていうか……大丈夫か?」
 こちらに心配の情を浮かべているのはスティンと呼ばれる少年だ。年の幼さ故か、まだ性欲や恋心と言った類の感情は理解出来ていない。そのスティンに頬を膨らませて怒っている少女―――名前はエトアというらしい。エトアはどうやらスティンの事が好きらしく、そのスティンが自分に振り向いているせいで、彼女は自分に警戒心を抱いてしまっている。見る限り顔は悪くないので、恐らくスティンの事を好きな女子は他にも居るのだろう。そう考えれば警戒心を抱いている理由も更に納得が行く。
「あはは……ありがとね。でも大丈夫! これくらいはいつもの事だしッ」
 男なんて別に、興味は無いのだが。心配を掛けて目を付けられるのは不味い。何とか笑顔でその場を取り繕うが、スティンには通じなかったようだ。
「いつもの事だと……? 女の子を泣かせる奴なんて最低な野郎だな! 一発ぶん殴ってやらなきゃ気が済まねえ! お前の親は何処に居るんだ、教えてくれッ」
「え。いやそれは……」
 ハッキリ言ってしまえば分からない。あの男に本気で姿を隠されると今の自分ではどうしようもない。何処に行ったかなんて分かる筈が無いのだ。
 しかしこの状況で言わないのは何だか庇ってるみたいで癪に障る。だからと言って嘘を言ってしまうのはあまりに申し訳ない。リアは口の中で言葉を噛みながら、何と言おうかと迷っていると、
「スティン。やめた方がいいよ。君じゃリアのお父さんには勝てないから」
 静かに呟かれた声は、スティンの反対―――つまり自分の隣から聞こえた。貰ったスープを啜りながら振り返ると、魔導書を読んでいた少年が、横目でスティンの方を見ていた。
「何だとッ? お前とは違うんだよお前とはッ。俺はこう見えてもヒンドから剣の修行を受けてるんだ、この拠点の中だったら大人にだって負けないさ」
「そのヒンドには勝てないでしょ。それにリアのお父さん……僕の見た限りじゃ、身体に一切の無駄が無い。リアに聞くけど、お父さんって騎士や武闘家だったりするのかい?」
「え……うーんどうだろう。パパが何かやってたなんて思えないけどなあ」
 殺人鬼をやっていたとは口が裂けても言えないが、リアも少しだけ気になった。川で見た『闇衲』の裸は、子供教会に居たどんな男性よりも引き締まっていた。彼は殺人鬼に身を堕とす前、何をやっていたのだろうか。
「ほら見ろ、やっぱり何もやってないんだよ。いいかメルス。体を鍛えていても動かし方を知らなきゃ素人と同じだ。やっぱりぶっ飛ばせるって」
 陰気さの抜けない少年はメルスと言うらしい。魔導書を読み込んでいる辺り魔術の心得があるのだろうか。スティンとは違って観察眼も相当なモノだし、今回の殺しでは彼が厄介な存在となりそうだ。
 スティンに関しては……勝手に死ぬ気がする。『闇衲』は子供相手に手加減するような人間ではない。敵意を持っているのであれば猶更だ。
「……僕の言葉を無視するのは勝手だけどさ。それにしてもまずは食事を終わらせた方がいいと思うよ。僕達は盗みまで働かないといけないくらい貧しいんだ。食べ物は無駄にしちゃいけない」
「―――ちぇ。確かにそうだな。分かったよ、今はやめとくよ」
 弁舌のメルス。力のスティンか。どっちが強いかは言うまでもないし、どっちが厄介かも言うまでもない。
 リアは空になった皿を置いて、立ち上がった。










 スープの味付けは必要最低限に留められており、正直な所、どんな味付けをしたかも分からない。薄すぎる。具には薬草や野菜が採用されているが、それだけだ。ほんのりと野菜の味がするようなしないような……もしかして味付けをしていないのか? だとすれば調理の時に振りかけていたあれは一体……
「パーパ」
「リアか。もう食事は済んだのか?」
 焚火から数十メートル離れた所で、『闇衲』は一人空を眺めていた。傍らにはまだ中身の残った皿が置かれている。
「食事は済んだけど、もうあそこは駄目……何だって私が男に挟まれなきゃいけないんだか」
「良かったじゃないか。男性を侍らせるのは世の女性の夢だぞ」
「嬉しくないわよ! 大体男を侍らせても何の得にもならないしッ。後侍らせてないしッ」
 やっぱり私はパパの隣に座っている方が落ち着く、とリア。褒めているつもりだったら全く嬉しくない。嫌味のつもりだったら見事だ。
「そう思うならシルビアも連れて来れば良かったんじゃないか? お前がそう思うならアイツだって男性に挟まれたくないだろうさ」
「シルビアを残さなかったらこっち来ちゃうじゃない。せっかくパパと二人きりの時間を過ごせるのに、邪魔者を連れてくる道理は無いでしょ」
 道具としてはこの上ない有効活用だが、シルビアが中々苦労している。もしかして自分よりもリアの方が彼女を酷使しているのかもしれない。まあそれも全て彼女が生きたいと願ったが故の苦難。これからも頑張ってもらいたい。もしかしたら労いの言葉を掛ける事も……あるかもしれない。
「―――ねえパパ。パパって殺人鬼になる前は何をしてたの?」
「……藪から棒にどうしたんだ」
「あっちでパパの事が話題になって、少し気になったの。ね、いいでしょパパッ。可愛い娘のお願いだと思って答えてよー」
 リアは両手を地面に突いて、顔をこちらに寄せてきた。ブカブカの首元からは未成熟な胸が見えるが……やはり分からない。子供教会の奴にしても普通の男にしても、ここから胸が見えたからってどうして興奮するのだろうか。頭がおかしいんじゃないだろうか。
「……俺が『闇衲』となる前の話か。俺自身も記憶が消えてきてるし、あまり話したい内容でもないんだが、他でもない娘の為だ。話してやる」
「本当ッ? パパ大好きッ♪」
 殺してやると言ったり大好きと言ったり、何処までも都合が良い娘だ。少々我儘で、お転婆で……
 攫われる前の彼女も、こんな感じだったのだろうか。本当の父親と母親と一緒に買い物に出かけたり、外で遊んだり―――
「俺は元王族だ」
「え、本当?」
「嘘だ」
 頬を膨らませて怒ったり、膝枕をされて喜んだり。
「俺は……元々は貴族だった。何処の貴族かなんて言っても分からないと思うから省くが、それなりに幸せな生活はしていたと思うぞ」
「へえー。パパが貴族の生まれなんて知らなかった。婚約者とかは居たの?」
 興味のある事にはとことん食いついたり、少しだけ踏み込んだ話題に胸を躍らせたり。
「居たと思うぞ。尤も、互いに恋心なんて持ち合わせちゃいなかったと思うがな。まぐわって子供を作るだけの関係。愛も何もない。そんな関係だった筈だ。だからもし、俺が『闇衲』になっていなかった世界があるのなら、俺は好きでもない婚約者と結婚して、そこそこ裕福な暮らしをしていたんだろうな」
「……その言い方は、もしかして」
「多分お前の思った通りだ。俺は逃げたのさ。結婚する前に出来てしまった子供を連れてな。そして逃げた先がトストリス大帝国。数年後に娘が連れていかれた事を除けば、俺は無事に逃げ切れた訳だ。ま、裕福じゃなかったけどな」
 皿を手に取って、残りのスープを喉に流し込む。やはり何の味もしなかった。
「へー……あれ? でもおかしくない? だったら私に合う服が残ってそうなものだけど、何でないの?」
「そりゃそうだろ。全部嘘なんだから」


――――――え?


「酷ーい! 本当だと思って真面目に聞いた私が馬鹿だったわ! 返せ、私の流した涙を返せ!」
 リアに自分の体をポカポカと叩く。敵意も殺意も無いこの攻撃には、流石に本気で反撃しようとは思わない。
 一応全部防御するが。
「そんな感動話を聞かせた覚えは無いし、大体涙なんか流してなかったろ」
「あれ、そうだっけ? まあパパがそう言うんなら、そういう事にしてあげても良いんですけどね」
「最後の敬語が妙に腹立つな。殴っていいか」
 言いつつ拳を放つが、リアの両腕が絡みついて失速。引き剥がそうとするが、身体まで絡みついてきたのではどうしようもない。諦めて力を抜き、片腕を差し出す。
「片腕もーらい! ねえパパ、私成長したと思わない?」
「思うぞ。今までのお前だったら避けるので精一杯だったからな。躱そうともせず冷静に攻撃を返す辺り、俺の指南は無駄じゃなかったんだと実感した」
「えへへ、パパったら素直じゃないんだから!」




 どんなに心が壊れても人間の本質はそう変わるモノじゃない。以前の彼女はきっと、こんな普通な少女だったのだろう。今まで散々悪態をついてきた訳だが、本音を言えば……




 リアのような娘が居たら、どんなに人生が楽しかったか。本人には言わないが、そう思う。




 







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